第9話 家族ごっこ
僕は幸並中学校に通う中学1年生だ。
小学生の頃大きな事故に遭い長期入院をしていたが、今はもう後遺症もほとんどない。
家族は3人。僕と母、それに「お父さん」。仲の良い、どこにでもあるごく普通の家庭だ。表面上は、ね。
正直に言うと、「お父さん」があまり好きになれない。好きになれないと言うと語弊があるが、何か得体の知れない怖さを感じた事があるのだ。
優しいんだよ?それに、母に対しても常に思いやりを感じるし、大切にしてくれているのだという事が僕にもわかる。
ただ。
あれは僕が小学5年生の時の事だ。ある日突然僕に「お父さん」が出来た。
「お父さん」は僕と初めて会った時こう言った。本当のお父さんだと思ってくれとは言わないよ。ただ、君のお母さんと同様、これからは君も大切な家族だ。だから少しずつでいい、私を信じてほしい。ゆっくりでいいから、友達になろう。
「お父さん」はそう言うと手を差し出し、握手を求めるような仕草をした。
大きな手だ。その手は優しく包み込むような懐の大きさと、これまでの人生がそうさせているのか、ある種の凄みを感じる。
僕は戸惑っていた。この人が僕の「お父さん」。母から再婚したいと話があった時、僕は僕の大切な何かがなくなってしまうような、妙な喪失感を感じた。しかしそれと同時に、母の幸せと更には僕自身の想い描く理想の家族像に期待した。
「お父さん」は中々手を出せずにいた僕の手を取り、差し出した自分の手を握らせる。それは勇気を持って踏み出す一歩の、その背中を押してくれるような感覚だった。
「お父さん」の言葉通り、僕たちはゆっくりゆっくり家族になっていった。休日には動物園やら遊園地、連休ともなれば旅行にも連れて行ってくれた。サッカーや野球も一緒にやった。あぁ、そうか。これが父親なんだ。そう思った。
だけど。
あれは夏休みの事だ。家族で海水浴に出掛けようという事になり、僕たち家族は車で海に出掛けた。ちゃんと覚えていないけど、九十九里浜だったと思う。
リハビリの一環でプールにも通っていた僕は、その頃にはもう人並みに泳げるようになっていた。ゴムボートなんかも借りてくれて、夕方になるまでたっぷり遊んだ。
日も落ちてきたし、そろそろ宿に戻ろうと海の家でシャワーを浴びる。「お父さん」と一緒だ。
『よし、シャンプーしてやる。』
「お父さん」はそう言うと僕の頭にシャワーを浴びせ、僕の頭を無造作にもみ込み泡立てた。
『いいよ、シャンプーくらい自分で出来るって。』
なんだかこそばゆい。
『いいからいいから、ついでだよ。』
「お父さん」は笑いながらそう言った。
少し照れ臭かったけど、なんだかちょっぴり嬉しかったんだ。
でも。
シャンプーの泡が目に入りそうになって手で拭う。
すると扉の内側についていた鏡に、僕の後ろに立ちシャンプーをしている「お父さん」が見えた。
その鏡に写った「お父さん」は僕が鏡越しに見ているのに気付いていない。
笑っているんだよ?僕の頭をシャンプーしながら笑って、今日の海の話なんかをしているんだよ?
でも。
その目・・・。
その目は一切笑っていない。僕の首の後ろ辺りを凝視している。
え?何だ?
そう思った瞬間、流すよ?と「お父さん」。僕はシャワーを浴びて目を閉じた。
流し終わり水を切り、「お父さん」はこう言った。
『よし、オッケー。じゃあお母さんのとこ戻ろうか。』
その顔は優しい父親そのものだった。
一瞬見えたあの目は何だったのだろう?理由なんてわからない。正体不明の恐怖が僕に芽生えた瞬間だった。
その後の「お父さん」は、やはりいつもの優しい「お父さん」だった。母にも僕にも理想の父親そのものだ。
僕が見たあの目はたまたまだったのか?怖いと感じたのは気のせい?勘違い?
その日、理想の父親であり続ける「お父さん」に、僕はそこで絶対に踏み込めない最後の一線をひいてしまった。
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