第2話 るいと公衆電話
今日は本間さんは体調が良くないからお休みです、と水嶋先生から話があった。
たぶん嘘だ。
普段あんなに感情を表に出すタイプではないだろうからきっと学校に来づらいのだ。
その日の日直は僕で、家も同じ2丁目だったから帰りにプリントを届けてほしいと言われた。
もし会う事が出来たなら、まさおの事を謝ろう。
駅前のロータリーを右方向に入って、東武ストアを左。
陸橋の下を潜った先に本間さんの家がある。
チャイムを押すと、奥から微かに返事が聞こえた。恐らくお母さんだろう。
本間さんの家は一軒家で、入り口には立派な門がある。いわゆるお金持ちの家のそれだ。
ガチャっと音を立てて開いた扉から『どなたですか~?』と声がした。
『あら、まどかのクラスメイトさんかしら?』
そうだと返事をして、今日配られたプリントを持ってきたと伝えた。
『わざわざありがとうね。良かったら今お紅茶を入れてたの。飲んでいってくださいね。』
お母さんはそう言うと、家の中に僕を招き入れてくれた。
『まどか、ちょっと熱が出ちゃっただけなのよ。明日は学校行けるから心配しないでね。』
そう言いながら、広いテーブルに紅茶とクッキーを置いた。甘いダージリンの香りがした。
『まどかさん、大丈夫ですか?』という僕の質問に母親はそう答えた。そして、明日はもうすぐ学校で合唱コンクールがある為、その選曲などの話し合いがある事を伝えた。まどかさんにも考えておいてほしい、と。
すると2階の扉がガチャっと開く音が聞こえ、階段の上からリビングを覗き込むように女の子が顔を覗かせた。
本間さんだ。
髪を纏めていないから一瞬誰かわからなかった。
『あ・・・』
彼女は少し気まずそうな顔で僕を見た。
『あ、あの!今日プリント配られて、それで届けてほしいって先生に言われてさ!』
急な事で相当な早口になってしまった。別に、なにも慌てる事なんてないのに。
『それであの、昨日はごめん!クラスで変な話をまさおがさ!あんなの気にしないでくれよな!』
いやいや落ち着けよ。話には順序ってモノがあるだろ?
体調大丈夫?とか、合唱コンクールの話とか。
いきなりタブーに踏み込むような話をするなよ。
本間さんは一瞬固まって、返事の言葉を選んでいるようだった。大した時間ではなかったと思うけど、気まずさからかもの凄く長い沈黙に感じた。
少し左上に視線を泳がせた後、ようやっとといった様子で本間さんが答えた。
『いいの・・・ただの噂話でしょ?気にしてないよ・・・。』
明らかに気にしている。いくら僕だってわかる。
彼女の表情。
ものすごく言葉を選んでいるその様子。
きっと妹さんとあの公衆電話の話は、彼女にとってとても触れてほしくない、心の傷になっているんだ。
昨日学校で何かあったの?母親の目は明らかにそう言っている。
まずい、余計な事を言ってしまった。学校で泣いてしまった事。早退した事。彼女はきっと具合が悪くなったとしか言っていないんだ。
リビングに降りてきた本間さんはそういった気まずい雰囲気を察したかのようにこう言った。
『お母さん、少しお部屋でお話してもいい?合唱コンクールのお話とか聞きたいの。』
変な心配をさせないようにする為か、精一杯の明るい声で言ったように感じた。
母親は少し勘繰るような表情を見せたが、その声を聞いて大丈夫なのだと納得したのかこう言った。
『少しだけ、よ。またお熱出ちゃうと困っちゃうでしょ?』
リビングから階段を登った先、1番左の部屋が彼女の部屋のようだった。扉を開けながら彼女は言った。
『ごめんね、お母さんとっても心配症で・・・。』
『いや、コッチこそごめん。いきなり昨日の話しちゃって・・・。』と僕。
『私ね、お母さんにも言ったの。あの夜何があったのか。でも、お父さんもお母さんもすごく泣いていて、私の話もちゃんと聞いてもらえなくて。』
本間さんの妹。
夜中の公衆電話。
その話なのか?それは今、僕が聞いていい話なのか?
『やっとね、少し慣れてきたんだよ。転校する事になっちゃったけど。』
『ホントの事を言うと、今でもものすごく悲しいし、きっとずっと妹の事忘れるなんて出来ないの。お父さんとお母さんも。』
『だから、学校であんな風に言われるのは耐えられないの。前の学校でも変な噂になっちゃって、みんな陰でコソコソある事ない事言って。』
『君に言っても仕方ないよね、ごめん。わかってるの。でもね、山口くんがあんな風にみんなの前で言うから・・・。』
『うん、ごめん。アイツ、そういうトコほんと無神経でさ。僕もただ聞いていただけで・・・。その話、あんな風にみんなの前でする話じゃないのに止められなくて・・・。』
『うん・・・。』やっと絞り出したような声で彼女は答えた。
しばらくの沈黙の後、本間さんは決意した様子でこう言った。
『まだ君の事あんまり知らないけど、話してもいい?誰にもちゃんと話せてない、あの日の事。』
『ずっとね、気のせいだって、悪い夢だって思うようにしてきたの。でも、私ホントは誰かに聞いてほしくて。』
僕が聞いていい話なのか?本間さんとはまだ、やっと少し話せるようになってきたばかりだぞ。単なる噂話じゃない、何かがあるのか?
色々考えてしまって返事も出来ないでいると、彼女は察したのかこう続けた。
『ホントは私も知りたいの、あの日妹に何があったのか。私が見たモノは何だったのか。でも、怖いの。だから・・・。』
助けてほしい。そう続けたいんだと思った。でも、この話はきっと僕が聞いた所で何も解決しないだろう。
だとしたら何で僕に?きっと彼女が話したい事は、普通じゃあり得ない話なんだろう。聞いた所で僕に何が出来るとも思えない。
でも、目の前の彼女は助けを求めている。話を聞いてほしいと。
『僕に何か出来るのかわからないけど、話聞かせて。』
そう言うのがやっとだった。
僕らの住む街は、ちょうど産業道路を挟んで学区が分かれる。
産業道路より北は青木北小学校に通い、南は並木小学校といった具合だ。
本間さんは今回の引越し前は産業道路より北に住んでいたので、青木北小学校に通う6年生だった。
本間さんには『るい』という2つ下の妹がいて、対照的な性格だったけどとても仲が良かった。
るいは少し短めの髪形で、ボーイッシュな雰囲気。性格も活発で明るかった。クラスの男の子と喧嘩しても物おじせず、その度にお母さんにも怒られたものだ。
夏休みの事だ。その日は何年かぶりに最高気温を更新したとかで、朝からとても暑い日だった。ジリリとうるさい蝉の声で目が覚めた。
夏休みの夜はるいがとても楽しみにしている事があった。町内会の盆踊り大会だ。
まどかが起きたてのまま、寝ぼけ眼でリビングに行くとるいが朝から騒いでいる。
どうやら夜のお祭りに着ていく浴衣をお母さんに頼んでいるらしい。
『お姉ちゃんと一緒の浴衣がいいの!』
どうやらお母さんの用意した浴衣は気に入らないらしい。
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