妹のいう事なら何でも聞くんですね?私のお願いは聞いてくれなかったのに。婚約破棄するのなら、それでもう良いです。

仲仁へび(旧:離久)

第1話



 婚約者に婚約破棄された。


「君とは一緒にいられない。俺は真実の愛に生きる事にする」

 

 でも、私は思ったより衝撃を受けなかったようだ。

 

「そうですか、分かりました」


 ためらいもなく、頷いていた。


 考えてみればそれは当然の成り行きだったのかもしれない。


 私の婚約者は、妹のいう事なら何でも聞くのだから。







 貴族令嬢として生まれた私には、妹が一人いる。


 子供の頃から妹は病弱な体だったため、満足に外に出歩けない。


「お姉様、私の事は放っておいて、外で遊んできてください」

「そういうわけにはいかないわ。大事な妹なんですもの。そうだ、さみしくないように。今日はここで絵本を読んであげるわね」


 だから、幼い頃からこんな感じだった。


 無理をするとすぐに体調を崩してしまうため、妹はずっと安静にしていなければならない。

 その事を私は、とても悲しい事だと思った。


 そんな妹は、一日中私室のベッドの上で過ごさなければならないから、ある程度の我儘が許されていた。


 だから妹を溺愛していた両親は、妹が欲しがった物を何でも買い与えるようになった


「ああ、どうしてこんな可哀そうな体に産んでしまったのかしら」

「外に出られないなら、せめてこの部屋の中だけでも、楽しく過ごせるようにしてやろう」


 そんな事が続いたからだろう。


 妹は次第に我儘になっていった。

 婚約者が来た時も、色々な物をねだった。

 身に着けているブローチがほしい、綺麗なハンカチがほしい。

 庭に咲いている花がほしい、持っている本がほしい。


 かわいらしいお願いは段々度を越していって、しまいには婚約者を好きに操るようになった。


 普通だったら、私という人間を放っておいて、妹にうつつを抜かすはずがないのだが。


 妹は美しかった。

 世界一の美女といっても過言ではない程に。

 それに妹の声は、甘やかで鈴の音が鳴るようなものだった。


 生ける芸術と言っても過言ではなかったのだろう。

 だから、私の婚約者は魅入られてしまったのだ。


 彼と共にいても、彼の心はいつも妹へ向いていた。


「わざわざ遠くから妹のために珍しいお花をとりよせてくださったんですね。ありがとうございます」

「いいや、当然のことさ。気にしないでくれ。俺も君の妹の笑顔がみたいからね」







 そんな事が続いていれば、誰だって違和感を覚えるだろう。


 婚約者である彼は、私ではなく本当は妹の事が好きではないのかと。


 その推測は当たっていた。


 彼は私を切り捨て、妹を選んだのだ。


 うすうす分かっていたので、落胆はしたものの、動揺はなかった。


「妹の事をよろしくお願いしますね」


 妹を溺愛していた両親は、私の婚約破棄を喜んでいた。


 決して名誉な事ではないはずで、家名に泥を塗るような事なのに、行き過ぎた愛情が目を曇らせていたのだろう。


「良かったわ。これで病弱なあの子も、少しは楽しい毎日を送る事ができるようになるわね」

「ベッドの上からロクに動けないのだから、女性としての幸せもつかめないかもしれないと思っていたけど、本当に良かった」


 両親は、私の事など、ずっと前からどうでも良くなっていたのだろう。


 私は冷めた目で、家族や婚約者を見つめるだけだった。







 その後、屋敷の中では、私の事はいないものとして扱われた。

 時々、婚約者だった人がやってきたけれど、当然私の部屋にはこなかった。

 屋敷の主である父と、そしてその妻である母が妹贔屓なのだから、彼等だけでなく使用人も最小限しか言葉をかわしてくれなくなった。


 そんな日々を目の当たりにした私は、急に無気力になってしまった。

 貴族令嬢として今までがんばってきたけれど、急に全てがむなしくなってしまったのだ。


 日々ぼんやりしていると、誰かが窓の外にやってくるようになった。


 子供の頃遊んでいた平民の男の子だ。


 他の男の子達と騎士ごっこをしていたところ、怪我をしていたのを発見して、手当してあげたのが出会いのきっかけだ。


 今は成長して、男の子というよりは逞しい男性になっているが。


 彼とは色々な話をした。

 妹のために、色々な事を教えてもらおうと思ったから。


 彼は最初の頃は「妹の事なんてどうでもいいだろ」とふくれっ面をしていたが、次第に諦めたのか大人しく話を聞かせてくれるよになった。


 彼は、私の知らない世界の、平民の生活について色々教えてくれた。

 私は彼から聞いた話を毎日妹に話してあげた。


 妹に与えられた世界は狭いものだ。

 だから貴族の世界の話だけでは、退屈してしまうと思ったから。


 けど、それは相手を増長させるだけだったのだろう。


「よう、最近外にでてこねーよな」


 私に話しかけてくれた男性の名前はシンフォ。


 茶化すような表情で、近況を尋ねてくる。


「婚約者の野郎にでもふられたか?」

「その通りよ」


 普通だったらそれは答えにくい質問だっただろうが、今の私にとっては別に特別隠すような事ではなかった。


 正直に言った私に、シンフォは「やべ」という顔になった。


「気を使わなくてもいいわ。思ったより衝撃を受けてないもの」

「部屋にひきこもってんのに? 衝撃を受けてないってやつの行動じゃねーだろ」


 それは、自分の努力がむなしくなっただけだ。

 けれど、彼は信じなかったようで。窓からこちらに手を差し伸べてくる。


「気分転換に散歩でもすりゃ、少しは元気が出るだろ」


 私はその手をとった。

 ぐいっと引っ張られて、強引に外に連れ出されてしまう。







 散歩は一定の効果があったようだ。

 色々な景色を見ているうちに、物事に対する気力が少しだけわいてきた。


「私は、今までずっと妹のために生きてきたのかもしれないわね」

「ん?」


 今まで私は、妹が可哀そうだからと思って、色々な事をしてきた。

 小さな頃から、何でもしてあげてきた。


 それは元婚約者がしていた事と違わないのかもしれない。


 元婚約者は妹の言う事を何でも聞いていたけれど、私もそうだったのだ。


「だったら、今から生きていけばいんじゃねーか。自分の人生をよ」


 シンフォはそういう。


 だが、少しだけ顔をしかめて続けた。


「でも、お前は人の為に生きていたけれど、お前の妹は自分の為だけに生きていた、婚約者の野郎も自分のためだけに生きていたみたいだぞ」


 どうしてそんな事が分かるんだろうか。


「お前の部屋に行く前に通りかかって、窓の外から聞いちまったんだよ。色々と」


 そういえば、今日元婚約者が屋敷に来たとか使用人が言っていたのを、扉越しに聞いていた。


 シンフォは、その時のことを詳しくは言わなかった。

 だから、細かい詳細は分からない。


 だが、彼の表情はとても苦しそうだったからきっと、あの二人は本当に自分の事しか考えていなかったのだろう。

 

 妹は今日も我儘で、婚約者は美しい妹の言いなりになる事を幸福としているのだ。


 シンフォは、「こんな事なんて、伝えたくなかったけど」と付け足した。


 他にも聞いたことがあるようだ。


「あいつ、お前との約束すっぽかしてたんだな。お前の誕生日に出かける約束も。友人に贈る品物を一緒に選ぶっていう頼みも聞かなかったんだろ?」

「知られちゃったのね。ちょっと、恰好悪いわ」

「恰好悪い事なんてない。お前は悪くないだろ。それにほら、お前は妹の為だけに生きていたわけじゃないって分かるじゃないか」


 どうしてそこまで彼が必死に私に言葉をかけてくれるのか分からない。


 彼はずっと、傷ついた顔をして、不安そうにこちらを窺っている。


 だから私が「どうして、そんな顔をしているの?」と問うと、彼は私の頬に手を添えた。


 彼が手をはなすと、彼の手が濡れている事が分かった。


 そこで初めて私は、自分が泣いている事に気が付いたのだ。


 私は、本当はとても傷ついていたらしい。


 でも、きっと心が大きな衝撃を受けすぎたため、麻痺していたのだろう。

 シンフォが私を抱きしめる。


「あんな奴らの事なんて忘れろ。俺がお前を幸せにしてやるから」


 彼は私に約束をしてくれた。


 正式な書類も何もない、口約束でしかない。婚約の約束を。


「数年経ったら、必ずお前を迎えに行く。だから、他の男のもんになんじゃねーぞ」


 どうやって約束を果たすのか分からないし、方法があったとしてもそれは簡単ではないだろう。


 けれど私は、ただの口約束でもすごく嬉しかった。


「だったら私も、また貴族令嬢としての勉強を頑張りながら待ってるわね」








 その後、数年が経過した。


 婚約を破棄された私は、その経験で誰かと一緒になる事が億劫だったため、ずっと一人だった。

 それにシンフォとの約束もあるため、同性の友達はできたものの、異性とはあまり仲良くならないようにしていた。


 家では透明人間になったみたいで、私以外の家族の楽しそうな声だけが響いている。


 けれど、そこに一人の男性がやってきた。


 立派な鎧と、剣を身に着けた男性が。


 その人は、出迎えに出た両親と、挨拶をしようとする妹よりも先に、私に声をかけにきてくれた。


 普通なら無礼だとされる行為だが、彼の立場を考えるとただの貴族は文句を言えなかった。


 なぜなら彼は、国の王に頼りにされるような、英雄の称号を得た人間だったからだ。


「約束を果たす為に迎えに来た。俺と一緒に来い」


 出迎えに来た彼を見た私は、あの日以来一度も流した事がない涙を再びこぼした。


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