第46話 失ったもの、残ったもの
いや、まいった。
国綱と遊ぶつもりは無かったのだが、ここに来る前から少しばかり腹を立てていたものでローガンの扱いが雑になってしまった。
苦笑しながらも膝を着いたままのローガンの妻に手を差し出す。
「えっと、奥さん、名前、なんだっけ?」
「えっ! ああ、はい……、モニクと言います」
「そうか、モニクさん。別に怒っちゃいないから大丈夫。
まあ、立ってくれ。えっと、そうだな。おい、
キッチンで切り分けてこいよ」
「うぃうぃ~! アップルパイ様の出番だそ、だそだそ!」
言うと同時に肩掛けバッグからパイ箱を取り出し、頭上に捧げ持ちながらキッチンに向かって滑るようにスススッと消えていく。
その姿に慌てたモニクも急ぎ足で後を着いていった。
室内が静かになると再び緊張した空気が戻って来る。
と言っても緊張しているのはオルドスとローガンの二人だけであり、俺としては阿保らしいと感じているだけである。
椅子を取り寄せるとテーブルから距離を取ってどっかと座り込み、足を組んだ。
「なぁローガンさんよ。あんた、いつまでそうしているつもりだ」
俺の問いかけにローガンは一瞬歯を食いしばって下を向く。
「いつまでも何も、もう俺はフライファエド家の役には立てんのだ」
「ほう? そりゃ何故だ?」
「何故だと! この足で何ができる!」
その言葉を証明するかのように、杖を頼りにのろのろと立ち上がる。
「生きてんだから、何でもできるだろ」
「俺は、剣しか……、知らん、のだ」
そう言うと再度うつむき、そのまま中身のないズボンの右足を
血を吐くような声だ。
なるほど、奴の言う事はある意味では事実なのだろう。
だが、それでも俺は、その言葉を受け入れる気は無かった。
何故なら、俺は今のローガンの言葉以上に価値のある声を聴いてしまっているのだ。
実は、この男が自殺を図ったと聞いたときから腹が立っていた。
ようやく俺はその憤りを隠さずに言葉に込め始める。
「何故、俺たちがアステリアの力になろうと決めたか分かるか?」
「……」
「初めて会った日の夜、彼女はずっと泣いていた。
ああ、そうだ。彼女が泣いていたからだ」
俺の言葉に反応して最初に驚きの声を上げたのはオルドスであった。
「それは……、同情してくださった、という事でしょうか?
アイ様やレイ様の理屈は私ども人間風情には分かりませんが、ただそれだけの事で、あれだけのことしてくださったのですか?」
オルドスの言い分は当然だが、俺は首を横に振って、その言葉を否定する。
「いや、貴族でなくなることや、単に金の調達ができないことで泣いていたなら、俺たちは彼女を見捨ててこの地から去っていただろうよ。だがな、違ったんだよ」
「違った、とは?」
「天井の崩落があって撤退することになってしまったが、彼女はダンジョンに潜るという努力を惜しまなかった。
危険な森に踏み込み、魔獣に怯えながら夜の闇の中で一晩を過ごした」
俺が言葉を一瞬とどめたのは、その時の彼女の努力、それが潰えた時の絶望、森の暗闇の心細さを感じ取って欲しかったからかもしれない。
「結果が失敗だと知った時、そのとき初めて彼女は泣いた。
何故泣いたか分かるか? 彼女が誰の為に泣いていたか分かるか?
『足を失った家臣に』何もしてやれないのが辛い、と泣いていたんだ!」
言い終えた途端、部屋の中にドスン、と鈍い音が響き渡る。
両手で顔を覆ったローガンが床にへたり込む。
食いしばった歯の隙間からは、嗚咽が長く長く漏れ続けた。
◇ ◇ ◇
ようやく落ち着いたローガンを椅子に戻す。
怪我を負った足を見ても良いか、と聞くと黙って
医薬品を詰め込んだ大型バッグを傍に置いて、彼のズボン裾をまくり上げていると、ゆっくりと頭の上から緩やかに声が聞こえ始めた。
「レイ様、まだ、私にもできることがありますでしょうか?」
「そりゃ、いくらでもあるさ。春になれば俺たちは商売を始めるんだ。
売るための紙づくりも、その素材調査もしなくちゃならん。
そういった研究や加工は座ったままでもできるようにするつもりだ」
そこまで言うと、彼が頭の上で頷いたのが感じられた。
落ち着き始めたようだ。
少し、カウンセリング替わりの会話を進める。
「そりゃ、腹立つよなぁ」
「えっ?」
会話を始めるが、いきなり言われては何のことだかわからず、当然、返事は戸惑ったままだ。
だが、それでいい。
これは興味や関心を持ってもらうテクニックだからだ。
「あんた方ふたりは、先代のアウグストス殿が王都にいた時からの家臣だそうじゃないか」
「ええ」
ローガンはまだ声に力が入らない。
「こんな辺境まで来て、長い疫病が収まったばかりだから人手も少ない。そりゃ、ずいぶん苦労してきたんだろ?」
「いいえ、それが家臣というものですから」
掠れてはいるものの、声には確かな誇りが感じられた。
だから俺は大きく頷きながら彼を労う。
「そうだな。そう言えるだけの事はしてきたってことだよなぁ」
「はい。それだけは間違いなく」
めくり上げたズボンの中は膝のあたりで足がなくなっていたが関節は残っている。
傷口は焼かれて血止めがされており、ようやく傷口が落ち着き始めていたが、まだまだ皮膚の盛り上がりは薄く、未だに無理は禁物だと感じられた。
「そうしているうちに世の中は落ち着き始めて、村には子どもたちも増えていく、さあ、これからだって時だったんだろ?」
「……」
「はい、悔しく、情けなく」
すすり泣いているのは果たして、どちらだろうか?
「主君が死んだにしても家を残すには金が必要だ。
ところが弱ったところに隣の領主が攻め込んでくるおまけ付きとなりゃ、ひどい話にしても、こりゃあ行き過ぎってもんだ」
俺はオルドスから聞いた彼の心理的状態には少なからず不快感を持っていた。
足を失うということは、確かに辛いことだ。
この世界の治療レベルを考えれば、医療環境に恵まれた俺が思う以上の苦痛なのだろう。
だが武人なら、そんな覚悟は戦場に身を置くと決めた時に終わらせておくべきことなのだ。
何より、子供であるにもかかわらず責任を押し付けられたままに一人残されたアステリアの事も考えろ! お前は大人で男だろ、と怒りたい気持ちを持ったままここに来た。
しかし、立ち直ってもらうためのカウンセリングは、まず相手に寄り添って
それから生きる理由を考えさせるのだ。
「だが怪我を負った自分たちには何もできない。そりゃあ、腹も立つ、
だがな、あんたらにはまだアステリアがいるんだ。今度は早まってくれるなよ」
「……」
「おっと、包帯、巻きなおすぞ」
「あ、はい」
バッグから取り出した新しい包帯で傷口の巻きなおしを終える。
それから、もう一度バッグの奥をまさぐる。
中から出て来たものの長さを調整しながらローガンの足に軽く添えてみた。
「れ、レイ様! それは!」
そこまでは静かに俺たちを見ていたオルドスだが、それを見て叫ばずにはいられなかったのだろう。
声が弾んでいる。
俺が取り出したもの。
それは、この世界には少しばかり不釣り合いなものであった。
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