第38話 牢の中のふたり②
「あれ! あれれ、あるぇ~!」
場違いな声が牢内に響き渡る。
廊下の陰から現れた少女は一見して10歳ほどに見えた。
とは言えこんなところに現れる以上、その美貌も相まってただ者ではないという事は分かる。
さて、何を言うのだろうか、と身構えた時だ。
まずは予想通りに少女は俺たちに何かを語り掛けようとしたのだが、ふと目を凝らすと、今度は急に慌てて妙な声を立て始めたのである。
いや、違う、この視線は……
そう、少女の視線は俺を見てなどいない。
この子の視線は何故か副官であるフォッカーに釘付けになっていた。
それに気づいたのとほぼ同時に、少女は鉄格子の扉を引きちぎって廊下に放り投げる。
直後、ドガン、ガランと凄まじい破砕音がして鉄製扉が廊下を転がっていく。
引きちぎった時の音で分かる。
あの鉄格子には確かに錠が下りていたし、重さも普通の鉄格子に間違いはない。
それを子供のおもちゃの様に引きちぎり、幼児の抱える人形よりも軽々と放り投げたのだ。
それからずいっと彼女は牢内に入って来る。
その見開いた目の迫力もあって鬼気迫ると言えるほどの空気をまとっている。
この数秒間の間に繰り広げられたとんでもない光景が現実とは信じられず、あっけにとられる俺の横をすり抜けて褐色の少女はフォッカーの前に立つ。
そのあまりの勢いにフォッカーも腰が抜けたのだろう。
みっともなくも、
「ひぃぃ~!」
と喚いて腰だけで牢の床を後ずさっていく。
それに合わせてゆっくりとフォッカーを追い詰めていく少女。
そして後ずさる床がなくなり、ついにフォッカーは壁に追い詰められた。
日頃はその目を軽く向けるだけで領館の貴婦人の多くに顔を赤らめさせるフォッカーであるが、その美麗な顔は今では涙と鼻水でぐちゃぐちゃである。
両手の平を鼻水まみれの顔の前で盾にして
「やめ、やめで」
と見苦しく命乞いをする様は惨めとしか言いようがない。
軍人としては醜悪な姿と言える。
だが、俺はフォッカーを責める気にはなれなかった。
奴はまだ若く経験も少ない。
人間は常識を超えた事態が起きたがために今まで持っていた覚悟も矜持も霧散することなど珍しくも無い。
今受けた衝撃がまさにそれに当たるのだろう。
それを乗り越えるには戦場を数多く経験するか、古参の助けを借りるほかないのだ。
だから俺は叫ぶ!
「アーデルトラウト・デビアス・フォッカー! 騎士は敵前に引くべからず!」
我ながら良い声が出たと思う。
石造りの牢内の狭さも相まって俺の声は思った以上に響いたようだ。
その声に鼓舞されたのか、ハッとなったフォッカーの目に光が戻った。
惜しむらくは未だ少しだけ恐れの残る瞳だ。
だが奴は確かに歯を食いしばり、相手を正面から見据えて見せた。
震えながらも相手に正対し始めるフォッカーに対して、褐色の少女は特に動揺する気配も見せない。
まるで役者が違うというべきだろう。
そして少女は軽くかがむと、座り込んだままのフォッカーの高さに目線を合わせる。
何が起きるのか、思わずつばを飲み込む。
だが次の瞬間には、俺もフォッカーも全く予想できなかった光景を見る事となった。
「ごめ~ん。まさか女の人がいるとは思わなくてさぁ。
もしかして、お姉さんのことも思いっきり引きずっちゃったかなぁ?」
イタズラのバレた子どものように「てへっ」っと軽く舌を出して右手の拳で自分の頭を軽くコツンと叩く少女。
あっけに取られて声も出ないフォッカーことアーデルトラウト。
また今にも泣きだしそうなその表情は、久々に見せる男爵家令嬢のもの、そのままである。
その一方で自分はと言えば、少女の言葉にある重要なことに気づかされてフォッカーの表情など後回しだ。
そう、あの時あの戦いの場にいたのはフライファエド嬢などではなく、この娘だったのだ。
“旅の学生が二名”
あの情報を甘く見るべきではなかったというのは間違いない。
だが、この結果となった今を考えると、少しばかりの対策を立てても、それに意味があったなどとは、とても思えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます