第35話 敵襲①
白く積もっていた屋敷正門前の新雪ではあったが、今ではひどく踏み荒らされて見る影もなく泥にまみれている。
その中に凛々しく立つのはひとりの美しい少女であり、場の誰もが呼吸を忘れたかのように息を止めて目を見開く。
もっとも、わずか12歳の少女が唯一人で屈強な兵士10数人を地に叩き伏せ、次は誰かとばかりに、上に向けたひとさし指を軽く2度3度と内側に曲げて見せたのでは、目をそらすのが難しいのは当然と言えただろう。
◇ ◇ ◇
ゴルディッツ率いる61名の兵士は昼食時間の少し前に貴人用の馬車を率いて現れた。
おそらく彼は兵士に充分な休養と食事を取らせて万全を期し、対してフライファエド家には夜襲だと思わせておいて虚を突いた形にしたかったのだろう。
だが、門の前には彼らを待ち受ける者がいた。
エステル(偽)と形だけは従者として付いて来たオルドスの二名である。
敵襲の30分ほど前から家人全員で二階の窓から外を観劇することに決めていたフライファエド家一同は、椅子やテーブルを持ち出してお茶の準備にも余念がない。
なお、二階広間の壁にはドローンカメラによって送られてきた3アングルからの映像が音声といっしょに付いて来る始末だ。
その中でエステル(真)は、というと国綱を心配してバルコニーに出てしまっていた。
流石にこれでは顔を見られかねないので、申し訳ないが
マリーが「
仕方なく俺とマリーも一緒にバルコニーに居座る。
バイザーメット姿のエステルは手すりまでも顔隠しに使って門をしっかと見据えた。
そうして準備万端整った直後に彼らはやってきたのである。
脳内インターフェイスを使って国綱の視覚・聴覚を共有すると、遠目にだが正面にゴルディッツが見て取れる。
この共有機能を使うのは久々だが、やはりキツイ。
意識の半分をバルコニーにおいておかなくてはならないので悪酔いしそうになる。
だが、なんとか耐えて思考をふたつに振り分けることに成功した。
国綱が化けたエステルがまるで動じずに自然体で立っていることにゴルディッツは驚いたようだが、余計な戦闘が無いことには喜んだようで、その声は柔らかい。
「いや、先だっては失礼な言葉も出してしまいましたが、それも貴殿の安全を考えての事。
このように理解してもらえてうれしいですな」
紳士的に対応しようとしたゴルディッツではあったが、エステル(偽)はそんなことは知った事ではないとばかりに煽ることおびただしい。
「んぅ~、な~にボケちゃってんのぉ? このハゲ
「おおぅ!」
さすがのオルドスも今回ばかりは右手のひらで顔を覆って天を仰ぐ。
「ハ、え、今、なんと?」
思わず自分の聴き違いではないかと問い直すが、それすらもエステル(偽:以下国綱に戻す)が相手をおちょくる燃料になってしまう。
「んふ~、さては、おじいちゃん、髪が薄くなっただけじゃなく、耳も遠くなったな!」
そう言ってビシっとゴルディッツを指さしたところで屋敷内は爆笑の渦に包まれる。
この時点で国綱を心配しているのはエステル(真:以下エステルに戻す)ただ一人となってしまった。
というのも、この数日の間、家人を相手にした対人戦闘訓練を進める中で俺と国綱の強さはオルドスも舌を巻く腕前だと折り紙がついていたのだが、先ほどの変身お披露目のついでにロッコとドリューによって北集落で魔獣退治の顛末が事細かに全員に知らされた。
これによって、ただでさえ盤石であった俺と国綱への信頼は更に爆上がりし、誰一人としてその戦闘能力を疑わなくなったのだ。
とはいえ、今回は“殺さない”という縛りもある。
最終的に勝つことに間違いはないが、そこまでの流れは簡単でない事も確かだ。
だからこそ国綱の煽り文句を聞いて頭を抱えたのはオルドス一人ではなく、俺も右に同じであったのだ。
剣を抜かれたら嫌だな、と思ったが、その心配は無かった。
国綱の煽りを無視して兵士二人が前に出る。
彼らは一瞬だけオルドスを警戒したが、彼が素直に後ろに下がったことに驚きつつも安堵して、国綱の前でゴルディッツ方向に右手を向けて足を運ぶように促す。
正確にはゴルディッツの後方に置かれた貴人用の馬車に乗り込むようにとの意味だ。
「では、あちらにどうぞ」
だが、国綱は首を横に振る。
「行かないよ」
「わがままを言われては困りますな」
そう言って一人の兵士が国綱の右肩に自分の左手を軽く添える。
だが、それこそが戦いの開始を告げるゴングであった。
国綱はその手に自分の手を重ねる。
兵士は自分の手を振り払われると考えたのであろう。
肩に置いたその手にほんのわずかに力を加えた瞬間を国綱は見逃さない。
相手の手の甲に自分の手を当てて、上から肩にしっかりと抑え込む。
「は? ごぶっ!」
兵士にとっては国綱の小さな手が自分の手にかぶせられたことに対する戸惑いで一瞬動きが止まった。それだけのことだった。
だが、次の瞬間、その兵士は地面にひっくり返って完全に伸びてしまっていたのだ。
国綱は左手で兵士の手の甲を固定しつつ、右腕の上腕の尺骨を使ってほとんど力も入れずに相手の左腕の肘関節を逆に
無意識に痛みを避けようとしたために、軽く突き出された国綱の足を避けることもできなかった兵士は顔から地面に激突。そのまま強制的に眠りにつかされたという訳だ。
「な、なにをする」
次の兵士は両腕を伸ばして国綱を捉えに来たが、
背中から地面にたたきつけられた大柄な兵士は自重で息が止まり、こちらも気絶してしまった。
「おい、何をしているか! さっさと連れてこい!」
遠目で何が起きたのかわからなかったのだろう。
ゴルディッツは6つに分けた隊のひとつ10名まるごとを捕縛に向かわせた。
だが、大外刈り、体落とし、かわず掛け、もいっちょ一本背負い、ついでに小手返し、隅落とし、などなど国綱は柔術や合気道の技を駆使して次々と兵士を無力化していく。
この手の体術が、この世界には無かった上に国綱の技能は過去最高の名人のそれを上回るものである。
全く対応できずに彼らは次々と放り投げられていった。
また、気絶しなくとも息が詰まって行動不能になったところをオルドスが装備するスタンガンによって止めを刺された上に、結束バンドで後ろ手の親指二本と両足を縛り上げられていったのでは意識が戻ってもただの芋虫に成り下がるだけである。
結果、最初に語った通りの惨状が門の前に現れたのだ。
「ば、抜剣!」
「アホウ! 無手の子どもひとりに大の大人がそろって剣を抜くとは随分と勇敢だな、貴様は!」
皮肉を交えながらきつく怒鳴られ顔を真っ赤にして下を向く副官。
それを捨て置いてゴルディッツは新たに指示を下した。
「どんな技を使っているかは知らんが、10人ばかりで周りからゆっくりと押さえつけろ。
多分、こっちの力を上手く利用してるぞ。それをさせるな!」
思いの外、判断が早い。
流石に小さいながらも隊を率いるだけあるよな。
それはさておき次の手はどうするか、と少しだけ迷う。
それに合わせるかの様に国綱から連絡が入った。
エステルとマリーに気づかれぬように、門を眺めるふりをしながら脳内インターファイスでの通信を開始する。
『んぁ~、ねぇ、この人たち囲んでくるよ~。どするの? 殴り倒しちゃう~?』
「いや、お前の場合は相手を制圧できるほどの力で殴ったら、対象を殺しかねん」
『んじゃ、この10人は?』
「ナノマシンを使う。
お前の打撃力を見せてエステルが化け物みたいに見られちまうよりはずっと良い」
『にゅ? 今更じゃね?』
「技と力じゃ、違うんだよ」
『ウィっす! では、お笑い劇場~はっじめるよ~』
返事が終わると同時に門の前で国綱が呪文を唱え始めた。
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