第30話 屋敷と新設備
フライファエド邸、宿泊5日目。
早朝に中庭を借りて剣を振っていたところロッコに声をかけられ、今日から月が変わって
彼は事あるごとに様々な事を教えてくれるので助かる。
彼らには常識でも俺たちには未知のことだらけだ。
情報はいくらでも欲しい。
さて、この館に来て以来、最大の懸案事項にようやく手をつける事ができることになった。
それは館内部のある設備についての問題である。
できることなら初日のうちになんとかしたかったのだが、いかんせん、フライファエド家が代々維持してきた館に手を加えることになるので当然ながら外観が少し変わる。
また何より、この世界の人々にとっては俺が求める設備を生活室内に直接設置することには心理的抵抗がある様であった。
それに何より俺たちには縁遠くなった、ある臭いの問題が大きい。
だから、いつもは俺や国綱の言う事に迷いなく「はい」というエステルが珍しく、「少し考えさせて欲しい」と言ってきたのである。
それも昨日になってようやく許可が降りたので、いよいよ問題に手を付けることになる。
その問題とは………
そう、「トイレ」である。
いや、俺も傭兵であったからにはまともでない環境で大小の用を足したことなど数しれない。
だから一度は、「まあ、このままでもいいか」とも思ったのだが、戦場のような特殊な環境で一時的に不安定な用便を強いられても特に苦痛に感じなかったのは、それが一時のことだと割り切れたからだ。
だが、この世界で生活するにあたって、ケツを拭くのに一生スポンジを使い続けるというのは勘弁して欲しいと思う。
あくまで男性用に限っての話だが、この館のトイレは本館からだいぶ離れた場所に小さな小屋があって、そこにいくつも穴の空いたベンチが置かれているスタイルになっている。
一方、女性はというと……、おまるを使うらしい。
国綱も使い方を教えてもらったらしいが、あいつに排出機能は無い。
奴の身体は取り入れた
ともかく男性用は古代ローマ方式というやつで、用便場所が個室には分かれていない。
隣のやつと会話を楽しみながら用を足すのである。
また、事を済ませた後の処理に紙など使えるはずもないので、桶に入れた水を少しずつ排水路に流しながら棒に刺したスポンジを使って尻を洗うことになる。
昔、ある戦場で似たような状況ですることになり、気まずいながらも仲間と鼻をつまんで笑いあったものだ。
今では話のネタにもなる割といい思い出ではあるが、だからといって決してその環境に慣れたいと思っている訳では無い。
清潔なトイレが使えるならそれに越したことはないのである。
ともかく、許可が降りた以上、手早く工事を済ませてしまうことにした。
屋敷はちょっとした大学キャンパスほどの広さがあり、正門から母屋の正面玄関までは正面の庭を横切る形で40メートル近い通路を歩くことになる。
敷地全体の形状を一言で言うなら途中から緩やかな高台になっている擬似的モット&ベイリー形式の屋敷と言える。
(モット&ベイリー=モットと呼ばれる小高い丘の上に本館を置いて、周りに庭を広げ、そこに兵舎や畜舎、籠城用の畑などを置く形式の小城)
屋敷はコの字型の主館の閉じた方を正門に向けて「コ」の中央に中庭が、また、左右にそれぞれ3つずつ建物が建っている。
まず、主館は三階建てで、一番下の階にエントランスがあり、男集の詰め所と寝室、武器防具の倉庫、それから書庫がある。
二階は、主人と家令のスペースで執務室や客間、食堂もこの階だ。
最後に三階はメイドの詰め所と寝室となっている。
厨房と食料倉庫は臭いを配慮してひとつの別棟になっており、狩りの獲物などもこの棟で解体される。
その他に家畜小屋と馬小屋、納屋、庭師小屋、そして前述の対話型トイレの他に、今では使われていないものの、小さな兵舎までもが備わっている。
さて、今回新しいトイレを設置するのは主館と厨房棟だ。
主館は各階のコの字の先っぽ左右に建物を増設するようにして設置する。
それぞれのトイレは2個室にそれぞれ温水洗浄便座を取り付ける。
宇宙船で使われる超音波洗浄方式も考えたが、この世界には早すぎる気がするので却下した。
なお、使用する水は厨房に使う水と共用で地下から汲み上げて使用する。
それから上下水の配管を設置、下水は地下の設置した濾過槽で処理することにした。
増設部分は一階から三階までひとまとめになったパレット式構造である。
コルンムーメ内部の大型工作室で作られた建材壁や床面などをレイバーアンドロイドが組み上げて4時間ほどで改装は完了した。
これで6箇所、12個室のトイレが出来上がる。
少々多いように思えるが、いずれ来客が増えることも見越しての増設である。
おっと、最後に今までの主館に後付けをしたことがわからないよう外観を工夫することも忘れてはならない。
ここまでやってようやく本当の完成と言える。
一方、正面広場に立ったエステルや屋敷の面々は眼の前であれよあれよと言う間に出来上がっていく増設階を見てあっけにとられていた。
4時間は決して短い時間ではないが、ほとんどの時間、彼らは建物が生まれ変わる光景に熱中していたのである。
さて、いよいよ完成したトイレのお披露目である。
エステルを始めとして家人の全員が不安視していた臭いについては、決まりを守って使い適切に清掃を続ければ絶対に臭いが出ることはない、と念を押して安心させる。
因みに俺の祖先の国では家の中ではトイレこそを一番清潔に保つようにせよ、との教えがあるとも伝えると、不思議な習慣ではあるが良い考えだと納得してもらえた。
次に使い方を教える。
男衆には俺が、女性陣には国綱がレクチャーをする。
好奇心の強い人間から順に挑戦していくのだが、主館の右端と左端で、あぉ~!だの、ふぉ~!だのと素っ頓狂な声が次々に上がっていく。
ともあれ、最後の方には
「これは凄いものです! 革命です!」
「もう、普通の厠には入れませんなぁ」
「実は持病がありましたので………、助かります」
「き、きもちよかったぁ………あへぇ」
などと、それぞれの言葉を使って、すこぶる高く評価してくれた。
更に洗浄便座以上に高く評価されたのが陶器製便器である。
この便器の中に用を足した後に水で押し流して清潔を保つという使用方法を見て、
「なるほど、これなら絶対に汚れがつかない」
と感心され、臭いがないのも当然だと誰もが納得する。
実際にはちゃんと汚れるのだから掃除には気を使ってほしいのだが、まあ追々慣れるだろう。
そして、最後に最も注目を浴びたのが“トイレットペーパー”であった。
「こんな薄く、柔らかい紙を贅沢に、このような
とのエステルの言葉に同意して誰もが文字通り尻込みする。
彼らは紙といえば羊皮紙しか知らないのだ。
だが、俺が、
「これは木材から作られる紙だよ。いずれはフライファエド領の森林から生産して王国に広めたいね」
と言うと、新たな産業への期待に一転して目を輝かせ始めたのである。
特に元は商人であったウィルは、これがどれほどの利益を生むのかすぐさま分かったようで、
「いよいよ当領地にも目玉となる独自の産業が!」
と大喜びだ。
その日の夕方からはトイレの完成祝いと、新しい特産品を生み出すための団結式を兼ねたささやかなパーティーを行うことになった。
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