第29話 それぞれの思惑


 夕食後に少し残った執務を進めましたが侍女のマリーも休ませなくてはならないことに気づいて、少し早いですが仕事を切り上げることにしました。


「では、アステリア様、失礼します」


 マリーが一礼して退室すると同時に静まり返った部屋に暖炉の薪のはぜる音がバチンと響きます。

 

 椅子に掛けたまま暗くなった窓の外を眺めて、様々に考えを巡らせます。


 侯爵家の様子が壁に写し出された日から早2日が過ぎました。


 今年ももうすぐ終わります。

 11番目の月である火入月ひいれのつきも今日でおしまいとなり、いよいよ明日からは最後の月である再陽月さいようのつきに入ります。


 今年の初雪は再陽月さいようのつき5日いつかごろではないか、と言われています。

 初雪から10日もすると領地と外を結ぶ街道も深い雪に覆われ、隣村にすら簡単に行き来する事は難しくなります。

 そうして28日ごろからは太陽が南の空に4日間留まり、再陽の月の名にふさわしく再び天頂の方向へと動き始めて太陽の再生を迎えます。


 これこそが新しい年の始まりであり、新しい太陽の誕生なのです。


 でも、わたくしたちは次の新しい年をどのような気持ちで迎えることになるのでしょうか。


 レイ様はゼンガ―リンツ侯爵家の兵が館を襲うのは雪が充分に降り積もった20日はつか前後だろうとおっしゃいました。

 館の人間が全員そろっている雪の日であれば、私たちは寄り親であるクーンツ伯爵への救援を出すのが遅れるでしょうし、完全に囲まれてしまえば救援の使者を出すこと自体できなくなるでしょう。

 ですから侯爵家の兵はそのあたりを狙って攻めてくるだろう、というのがレイ様の予想です。


 実際、そうなればろくな抵抗もできずに領地は侯爵家に占領され、私たちは全員が侯爵家の、或いはこの屋敷の地下牢にでも投げ込まれることになるでしょう。


 ですが、それはアイ様、レイ様がいらっしゃらない場合の話です。

 お二方のおかげで北集落と中集落の領民は皆、わたくしに従うことを誓い、侯爵家の兵が乗り込んできた場合も事が終わるまで静かに待つことを約束しました。

 また、アイ様が領民一人ひとりに精霊の見張りを付けるという念の入れようです。


 ただし、南集落だけはそのまま侯爵家に寝返ったままにさせています。

 彼等にも気づかれないように精霊の見張りを付けていますが、今は裏切らせたままの方が侯爵兵を迎え撃ちやすいのだそうです。


 レイ様は『侯爵軍には必ず勝つから心配するな』と言ってくださいました。

 ならばわたくしは、事が終わった後の事を考えなくてはなりません。

 強大な侯爵家を相手にして何ができるかわかりませんが、最後まで戦う事だけは決めました。

 お父様が残してくださったこの領地を守らなくてはならないのですから。



    ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇



 一息ついた部屋の中で、俺は国綱に向き合ってこれからの事を話し合う。


「さて、どう戦うか、そろそろ方針を決めんとな」


「んぅ。ころさない!」


「そう、そこは守ってくれよ。後は打って出るか籠城か、だな」


「それ意味あんの?」


「ある」


「んぁ? どう、あんの?」


「打って出るなら、形だけでもエステルの身を相手に晒すことになる

 彼女は領主であり騎士である以上、敵前から逃げる訳にはいかないだろうからな」


 俺がアステリアをエステルと呼んだことに国綱は嬉しそうに笑う。

 けどな、そう言わんとお前が蹴って来るんだから仕方ないんだよ!


 と、そんな俺の考えを知ってか知らずにか、奴は自信たっぷりに反論してきた。


「んふ~、エステルの安全はボクが保証しますよ~。剣や弓矢なんていう原始的な攻撃はぜったいに通さないもん」


 先だって北集落で使ったドローンによる磁場シールドに絶対の自信があるようだが、俺はそれを切って捨てた。


「それが甘いんだよ」


「?」


「エステルはダンジョン内でどうやって視界を確保してた?」


「んにゅ! ……あ~魔法、かぁ!」


 俺の言葉で国綱はようやくエステルがダンジョン内で灯火魔法という不思議な力を使っていたことを思い出したようだ。


 そうなのだ。

 この世界には『魔法』という不思議な現象がある。

 この正体が分からない以上、作戦も充分に立てられない。

 何より国綱に命じた「不殺」すら守れるかどうかも怪しい。


 エステルやロッコによれば、魔法は軍隊でも使われているという。

 つまり魔法の種類によっては充分な殺傷力があるということだ。

 敵がその力を使う可能性もある以上、決してないがしろにしてよいものではないのだ。


「魔法とは何か? これが分からんことには何も始まらんな」

 大きくため息を吐いて天を仰いだ俺の耳に国綱のおとぼけた、それでいて決して無視できない一言が飛び込んできた。


「うぃ~。魔法の正体なら分かったよぉ~」


「なにぃ!」


「んぁ~、だからぁ~、魔法の正体ならぁ~」


「聞こえとるわ! 俺が訊いてるのは、その内容だ!」


「短気は損気だぞぃ、チミぃ~」


「おっさん芸やめい!」


「んにゅ~、楽しいのにぃ~」


「で、?」


「んぅ、多分、レイも予想してたと思うけど、この世界の魔法ってのは大気中のナノマシンに口頭で命令する事で指示した人物が望んだ物理現象を起こさせてるものなんだよね。

 ただ、マシン起動用に決まったキーワードが必要な上に、個人が持ってる生体電力量がそのままナノマシンが使えるエネルギー量に比例するみたいだねぇ。

 それから、この世界の人たちはこの生体電力量を“魔力量”って呼んでるのも確認できたぉ。

 つまり、ボクが量子通信を使ってミニドローンやナノマシンを使うときの命令速度や使えるエネルギー量とは全然ちがうんだなぁ。

 単純な力勝負ならこの世界の魔法使いにボクは絶対に負けないと思うよぉ」


「ふむ、俺たちの世界の科学発展との違いはあるにせよ、過去にかなりの文明があったという事だな?」


「んぅ、あのダンジョンとかいうのも、その遺跡なんじゃね?」


「では、魔法が使える人間と使えない人間がいるのは何故だ?

 生体電力なんてものは量の多少はともかく誰でも持ってるだろ?」


「んぁ~、サンプルに捕らえたナノマシンからの情報と艦のデータベースを基にして導き出した仮説でも良い?」


「頼む」


「ん~、ナノマシンが命令を聞く相手を最初から決めてたんだと思う」


「つまり、俺たちが脳内インターフェイスで使用できるドローンを登録しているのと同じような条件だな」


「んぅ、ちょっと違う。こっちのマシンは人間の汗や呼気から判別できるDNAやRNAを基に敵味方の判断をしてたんじゃないのかなぁ」


「できるのか?」


「ん~、呼気による個人判別はボクらの世界だって21世紀初頭には完成してる技術だぉ」


「へ!?」

 この情報には真面目に驚くが気を取り直して先へ進む。


「じゃあ、魔法が使えない国もあるって事かな?」


「んぅ、それは、その後の歴史次第だよね~」


「どういう意味だ?」


「んにゅ! つまりね。科学技術のレベルが近い国なら戦争では同じようなナノマシンを散布したでしょうから数百年、数千年経つうちにマシンは相互に絡み合いながら自己増殖を繰り返して敵味方の区別も怪しくなって、単に自分が理解できる遺伝子情報があれば命令を聞くって事になってるんだと思うんだな~。

 魔法を発動するナノマシンはユニット単位で全く違う遺伝子情報保持者である二人の人間の命令を交互に、あるいは同時に聴いてもおかしくないぐらい機械情報が混ざり合ってるんだぉ。

 そんで、それはこの惑星上のどこでも珍しくない現象みたい。

 あと、散布した時期に後進国だった国々の人たちが多く持ってるDNAにはなかなか反応しないだろうから、今でも魔法が使えない人が多い国は貧しいんじゃないかなぁ」


「あるいは、そういう人々は国を保持する事をあきらめて被支配階級に陥ったか、だな」


「んぁ~! な~るほど! だから魔法が使える人が貴族なんだ~!」


「魔法が使えるエステルと魔法が使えないマリーやロッコとの関係を見てるとそれが正しい様に思えるな」


「んにゅ、最低3000人ぐらいはサンプル集めないと仮説の補強もできないけどねぇ」


「まあ、少なくともとっかかりができただけでも良しとしよう。

 問題は攻撃してくる兵士にどれくらい魔法が使える人間がいるか。あと、それをどうやって見極めるかだな」


「ん~、今のところサンプル不足だから攻撃されるまではわかんないねぇ~」


「とは言っても魔法とやらにどれだけの威力があるかわからん以上、大人しく攻撃を受けるって訳にもいかんから対策は必要だな。

 この世界のナノマシンを稼働不能にできるかどうかテストしておいてくれ」


「んぅ、それは問題なくおわってる。屋敷の裏に駐機してある爆撃機ボマーから妨害波が出せるから半径10km以内なら無理なく止められると思うぉ。

 ただ、まだまだわかんない事も多いから確証は持てないよ。いったんは魔法を止めることができても、ボクの妨害に対抗する能力が相手にもあるかもなんだよ~」


「なら、さっき言った通りだな。今回、エステルを前に出すことは絶対にしない」


「うん!」


 国綱が元気に答えたところで今日の話し合いはひとまずお開きになった。



    ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇



メモ  この世界の時制と各硬貨の交換比率


1年 372日で12か月 各月はそれぞれすべて31日まで


 1月  陽祭月 (ひまつりのつき)

 2月  深雪月 (ふかゆきのつき)

 3月  春待月 (はるまちのつき)

 4月  芽吹月 (めぶきのつき)

 5月  南風月 (なんぷうのつき)

 6月  長雨月 (ながあめのつき)

 7月  薫風月 (かぜかおるつき)

 8月  盛夏月 (せいかのつき)

 9月  長夜月 (ながよいのつき)

10月  果実月 (かじつのつき)

11月  火入月 (ひいれのつき)

12月  再陽月 (さいようのつき)


曜日   聖、風、火、水、木、石、土


貨幣の交換比率

金貨1枚 銀貨50枚

銀貨1枚 銅貨50枚

銅貨1枚=半銅貨2枚=小銅貨10枚 半銅貨1枚=小銅貨5枚


その他、贈答用に大金貨(白金貨)などもあるが、大きな決済は手形やギルド資金の取引によって行われている。

なお、商業ギルドは銀行の役割も果たしている。


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