第21話 空門よ、私は(借金とともに)帰ってきた



 屋敷の北にある小さな門は、少し高まった丘の坂道を昇りきった頂上にあります。

 坂道を昇っている最中は門の中に空しか見えませんので、別名を空門そらもんと呼んでいますが、わたくしはこの門から見る空が好きです。


 屋敷を出て5日ほどなのに、もう何年も経ったかのように思えます。

 我が家の北門は本当にこんな姿だったのでしょうか?


 魔獣との戦闘の後に急いで北集落を立ったつもりでしたが、屋敷にたどり着いたときには日も暮れかかっており少し疲れを覚えもします。


 とはいえ普通ならば12体もの大型魔獣を相手にして、自分の家に帰りつけるなど、ありえない話なのですから、わたくしも贅沢なことを考えたものだと少し、いえ大分恥ずかしくなりました。


 あの戦いの中でレイ様とアイ様は、私に見えていた12体のほかにも精霊の力を用いて、ロッジから遠く離れた場所でも魔獣と大型獣を合わせて601体も倒していたそうです。

 これを知った時の私は、どんな顔をしてたのでしょうね。

 ドリューなどは、大型魔獣を12体も倒した、というそれだけでレイ様とは目を合わさないようにしていましたが。


 さて、お二方は魔獣の死体を片付け、その後は北集落で壊された家の修繕を済ませてから屋敷に向かう、と後日の再会を約束してくださいました。

 本来は領主の仕事であることを押し付けて先に帰ることになったのは申し訳なく思いましたが、今回ばかりはアイ様の、

「んぅ~。だ~いじょうぶ、大丈夫、ダイジョーブイ! 先、帰っていいよ~」

 とのお言葉に大いに甘えることにしたのです。


 と言いますのも、事が収まった後、何故か北集落の領民の誰も彼もが、今回の遺跡への同行を断ったことについての謝罪をし始め、額を地にこすりつけてのお詫び大会になってしまいました。

 そのため私としては非常に居心地が悪くなってしまい、とにかくその場を逃げ出したかったのです。


 出迎えてくれた家人たちは先ぶれに走ったドリューの知らせに私の無事を喜んでくれましたが、魔獣騒ぎのほかに遺跡内部での遭難未遂について知ったマリーだけは、

「やっぱり私も一緒に行くべきだったんです!」

 と、大騒ぎしていました。

 もっとも話がアイ様との出会いへと進むと、不思議な灯火ともしびや、思いやりのあるお言葉に大層興味をひかれたようで、いつの間にか笑顔を取り戻してくれましたのでホッとしました。


 ただ、遺跡内部でのアイ様との出会いはともかく、レイ様とは魔獣討伐の前に初めてお会いした、とマリーや他の家人には嘘をつきました。

 何故なら、ロッコとドリューは、私の名前で出した命令を領民が跳ねつけたことを自分たち家人がふがいなかった為だと考え、責任を感じ更には深く恥じてまでいます。

 ですから、ふたりのためにも通路でのあの会話は無かったことにしたかったのです。


 とても悩みましたが、こればかりはレイ様もお許しくださると信じて嘘をつくことにしました。


 それにしても久方ぶりの自分の部屋は、なんと安堵できるものなのでしょうか。

 夕餉ゆうげの後にマリーと少しの時間のおしゃべりを楽しんでベッドに横たわると、あっという間にまどろみの中へ。


 そうして、少々寝過ごした翌朝。

 村の見回りに出ようと屋敷の門前に立った私とマリーの前に、それは現れました。


 雲以外の何かが空に浮かぶということがあるのでしょうか?

 飛竜や鳥や虫のほかの何かが空を飛ぶことがあるのでしょうか?


 確かにそれは巨大な虫に見えなくもありません。

 でも、虫だって羽ぐらいは広げて空を飛ぶと思うのです。


 二階建ての屋敷の屋根を優に超える高さに浮かぶそれは、まあるい体に少しの出っ張りがひとつあります。

 そのでっぱり方向にゆっくりと進んでいるので、あれが頭でしょうか?

 真っ白なおなかを見せて、ふわふわと漂う様は丸まった白い猫が眠っている様にも見えました。


「お、お嬢様! 危のうございます。マ、マリーの後ろにお隠れ下さい!」

 そう言ってマリーが私の前に出ますが、私は不思議とその白い何かに危険を感じることはありませんでした。

 こんな不思議なものがあの方々に係わりが無いはずがないのですから。


 そして、案の定です。


『んにゅ あ~、あ~。テス、テス』 

 しゃべり初めに少し息を継ぐような可愛らしい声。

 たった一日聞いていないだけなのに、懐かしく待ちわびた気持ちになっている自分がわかります。

 そうして次の瞬間には、ただ一人しか呼ぶことのない「私の名前」が響き渡りました。


『エステル~、聞こえテル~?』



        ◇       ◇      ◇



 浮いているときにはよく分かりませんでしたが、地面に降りて来た白い物体は思いのほか大きなものでした。

 屋敷前の草原に鎮座するそれの長さは、軽く60メートルを超えているように思えます。

 また高さは屋敷の屋根を越えるほどでしょうか。

 つまり、屋敷の母屋とほとんど同じ大きさの何かが、今、空を飛んでいたのです。


 その何かの前方下側、地面に近い位置が少しだけ開きました。

 そこから後ろ向きの小さな足がもぞもぞと出てきます。


 あれは、やっぱりアイ様です!


 そこから地面に降り立ったアイ様はすぐさま駆けだすと、あっという間に私に飛びついてきました。

 とは言っても、アイ様は水鳥の羽のように軽いので受け止めてもほとんど衝撃がありません。

 そのまま、私の胸に顔をうずめてぐふぐふと妙な笑い声を出していますが、どんな姿でもアイ様は可愛らしいですね。

 と、レイ様が後から駆けつけて、そのアイ様の襟首を捕まえて持ち上げてしまいました。


ぅお~、話せ、くの帝欧!」


「意味わからんわ」


 レイ様は190センチメートルを超える巨体をものともせずに凄まじい勢いで走って来ました。

 気付けば目の前にいたというほどの素早さはまるで旋風つむじかぜのようです。


 この迫力に泣きそうになったのは、かわいそうな侍女のマリーでした。


 アイ様が私に飛びつくことを阻止できなかったからでしょうか、今度こそは、と身構えていたマリーはレイ様の姿を目にすると、すぐさまに私の前に飛び出したのですが、勇気もそこまでで、あっという間に彼女の腰は抜けてしまったようです。

 へたり込んだまま動けなくなってしまいました。


 涙目で私に謝罪するマリーですが、あなたはよく頑張ったと思います。

 レイ様の突進力で、もし誰かにぶつかったなら大人の男の人でもひとたまりも無く吹き飛ばされてしまいますでしょうから。


「いや、すまん。侍女殿」

 そう言って尻もちをついたままのマリーに手を貸して、優しく引き起こすレイ様。

 うん、ちょっとマリーの顔が赤いのが気に入りませんね。


 あら? 何故、私は腹をたてようとしているのでしょう? ちょっと変な気分です。


 ともかくマリーを引き起こしてアイ様を左肩に乗せたままにレイ様は私に向き直りました。


 カサ カサ カサ


 あれ? アイ様、今、レイ様の腕を伝って登っていきませんでした?

 さすがは精霊様です。人間にはできない動きといいましょうか。

 でも、ちょっとある種の虫を思い出すのでやめていただきたいといいますか……。


「ああ、失礼したアステリア嬢。

 先に例の“球”を飛ばして連絡しようと思ってたのですがね。こいつがどうしても直接行くんだって聞かなくてなぁ」


 えっと、そうですね。気を取り直さなくてはなりませんね。


「いえ、かまいません。このような不思議なものは、お二方ふたかた以外にいらっしゃらないと、すぐに分かりましたから」

 気にしてはいない、と言ったつもりでしたが、意外なことに謝罪した側のレイ様が、自分たちの失敗をそう簡単に許してはいけないと釘を刺してきます。


「失礼だが、フライファエド嬢。俺たちの失敗をそう簡単に許すのはまずいな。

 君はそれでいいかもしれんが、君の家臣には君を守る義務がある。

 だから君自身、迂闊に不審なものに近づくべきじゃあない。

 なにより、今後は旧来の家臣たちと共に俺とアイも君を守る側に立つのだから、そこは気を付けて下さるとありがたい」


 心の中で、あっ、と声が出ます。

 北集落では私を“アステリア”と呼び捨てにしていたのが、今は“フライファエド嬢”と公的な呼び方となり、口調もやや丁寧になっています。

 これは、お二人が私の配下もしくは護衛の関係であるとマリーに示して、私の権威を守って下さっているのです。

 この様な心配りをしてくださる方々が私の味方になってくださることの幸福をしみじみと噛みしめます。


 と、そのマリーからも異議が出ました。

「そ、そのお方の仰る通りです、お嬢様!

 あんなに前に出られたら、私では守り様も無いじゃありませんか!」


「んぅ~。そうだ、そうだ!」


「誰のせいだと思ってるんだ! こんクソボケェ!」 


 なぜかマリーに同調して私を責めるアイ様の言葉にレイ様からキツイお小言が入ると、アイ様はまるで小さな亀のように首をすくめてしまいます。

 その姿の可愛らしさとおかしさに私とマリーはそろって声を上げて笑ってしまいました。

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