第17話 メーデーとは5月1日に非ず

 臨時の集会への呼びかけをよそおって村人の避難誘導を進めていた俺は最も森に近い小さな家をのぞき込んでいた。


「どなたかいらっしゃいませんかね?」


 奥からなにやら物音がする。

 だれかいるのは確かだが、さて、手早く大家屋ロッジまで誘導するには、どうすればいいかな?


 そんな事を考えていると奥から出てきたのは100歳には手が届きそうな老婆だった。

 尤も、この世界は我々の世界と比べて栄養状態や生活環境がいいとは言い難い。

 そのため我々よりもずっと老化が速い可能性が高い。


 案外、まだ60代くらいかもしれない、などと失礼なことを考える。

 それから、とりあえず挨拶を、と声を出そうとした時だった。


 ゴーっと凄まじい音が響く。

 こいつは森からの音だ!


 何が60分後だ、国綱の奴め!

 あいつ、対象の出す影響音が戦域に到達することまでは計算に入れて無かったな!

 今回は単純戦闘じゃない。

 保護すべき民間人がいるんだぞ。


 と、ここまで考えて、これは国綱の責任とは言えないことに気づく。

 なんの事は無い、純然たる俺のミスだ。


 奴は確かに戦略・戦術を目的とした新機軸AIではある。

 だが、あいつが外宇宙戦闘艦コルンムーメに入り込んでまだ2週間にもならない。

 駆動系・電子系を抑えた運航制御や、モニタ・空調・水管などの生活系艦内制御を始めたばかりで、”戦闘オプション”と言う言葉が何なのかも知らない。

 基礎戦術は知っていてもそれを環境に合わせる方法など知らない。

 なにより俺たちは、ここまで連邦軍相手に戦闘行為など一切行うことなく、唯々逃げ回っていただけである。

 いくら突破と制圧の権化である強襲揚陸艦のAIと言えども、知らないことは出来ない。

 

 そう、ただそれだけの事なのだ。


 さて反省はともかく、今はこの老女の安全を確保しなくてはならない。

 慌てて、ここは危険だと説得し、有無を言わさずに彼女を背負って走り出す。


「ちょっと、お兄さん駄目ですよ。こんなおばあちゃんをさらっても得することなんかありませんよ」

「いや、そういう話じゃなくてですね。ともかく、少し大人しくしてくださいな」

「近頃の子はずいぶん情熱的だねぇ」

「いえ、ちょっと何か間違えてますね」


 後々はともかく、今は背中でうっとりとしている老嬢の誤解は説かない方が安全なようだ。

 確かに、この世界の人々は成人男性ですら俺たちに比べてやや小さく軽い。

 とはいえ、いくら軽くても背中で自由に動かれては運ぶ際には酷い負担になる。

 だが、こうして静かにしてもらえるなら、女性、それも老人の体重である。

 単なる荷物と同じで酷く邪魔になるということは無い。

 なにより目的地である大家屋ロッジまで2,000mもない。

 問題は無いはずだ。


 傭兵としての自分の体力を信じ、とりあえずは走った。


「それにしても、軍から逃げ切ったことで気が抜けてたな。国綱には後で謝らんと」


『はははっ! よくわからんが謝るなら許してやろう!』


「げっ! なんだこりゃ? こいつ、直接脳内に?」


『ファ三チキください(小声)』


「アホか! って、そういや脳内インターフェイスは、まだお前に同調させてたか!」


『だそ、だそ!』


 俺は傭兵時代に汎用情報ネットワーク端末の脳内施術を済ませてある。

 会社によって半強制的に行われた非道な手術だったが、この機能に命を助けられたこと数知れずだ。

 今は国綱に同調しているので、その気になれば国綱を通じてコルンムーメの遠隔操作もできる。

 つまり、こうした連絡はもちろん、艦首の40m級熱線ブラスター砲ですら衛星軌道上から地上にぶちかますことも可能という訳だ。

 尤も、最大威力で着弾した場合は戦術核兵器の直撃並に酷いことになるだろうから、絶対にやらんが。


 おっと、今は連絡の話だ。


「それで、どうした?」


『んんぅ~! メーデー、メーデーなのですおぅ!』(メデ:フランス語:私を助けて)


「?」


『んにゅ~。どっちが先に家の中に入るかでもめた村人Aさんが村人B氏をぶん殴って、怒ったB氏の奥さんがAさんの金玉引っ張り倒したんで、泡吹きながらこけたAさんが頭を打って大流血、後はもう、すんごいことに!』


「なんだ、そりゃ……」


 思わず股間がヒュンとなった。

 今、はっきりしていることは、B氏の奥さんは絶対に怒らせちゃならん人だ、ということだけである。


『あ、あのっ! よろしいでしょうか?』


 アステリアの声だ。

 遺跡から彼女をマーキングしているドローンに音声指示を出して、そのマイクを使って通話しているのだろう。

 国綱がそばにいるからこそできる中継ことではあるが、若いって凄いな。

 彼らの文明から800年近い時間を越えた技術をたった1日で使いこなすとはね。


「うん。で、結局どうなってる? 騒ぎが収まらないのかい?」


『いいえ。それは収まりました。今は皆、室内にいます。

 先に二階に上がっていた子どもたちが降りてきて、大人をなだめるのを手伝ってくれて助かりました。

 それにしても駄目ですね、私は……。一人では領民すら上手に説得できません。

 あと少しロッコが戻って来るのが遅れたら怪我人がもうひとりふたりは増える所でした』


 報告に少しばかり不快な内容が混ざるが、これについては後ほど喧嘩の当時者どもにツケを払わせてやるぞ、と心に決めた。


「そうか。まずは良かったが、その怪我人の中に重傷者は?」


『いません。アントンさんの出血が激しかったので最初は驚きましたが、頭の怪我は軽い切り傷でも激しく出血するものだとドリューが教えてくれました。

 ただ、出血は頭だった筈なんですが、何故がおなかを抑えてウンウンと苦しそうでして……?』


「そ、それ以外に、問題は?」


『はい、その、こちらが本題なんですが、森に一番近い場所に住んでる薬師くすしのエメットおばあさまが、まだこちらに来ていないんです。ですから、わたくしおばあさまを迎えに行きたくて、こうして連絡を』


 その言葉が終わると同時に、俺とばあさんは大家屋ロッジに滑り込む。

「だいじょうぶ。そのエメットばあさんなら、ここだ!」


 派手な音を立ててドアが閉まると同時に、森が大きく揺れた。

 群れはいよいよ近くなったようだ。






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