第11話 27歳の明晰夢 ~3年前の一風景~

 これは夢だな、と気づきながら夢を見ることがあると聞いたことがある。


 自分にそれが起きるとは思わなかったので、少しだけ驚く。

 ただ、この夢は大切な約束を確かめさせてくれる夢だという事も知っているので、誰にともなく感謝した。


 しかし、不思議だ。

 この会話を交わして、まだひと月と経ってはいないはずなのだが、何故、今頃こんな夢を見るのだろうか……



 見慣れた応接室に高そうなローフットテーブルを挟んで博士と俺が向かい合わせに腰掛けたソファは、これまたかなり高級な部類に入るだろうと思われた。


 夢の中でも変なところにこだわる自分が少しおかしくなる。


 そんな俺のとまどいに気づく素振りすらなく博士は静かに立ち上がると、そのまま窓辺まで歩いて視線を外に向けた。


 窓の外、それなりに広い芝生の庭で走り回る幼い娘が気にかかるのだろう。

 今は安全でしょう、と言いたいが、それは俺の仕事ではないので口にしない。


「娘は君に懐いているね」


 何気ない一言だが、博士がもう少し若かったならその言葉には殺意が含まれていたかもしれない。

 しかし、博士は娘に大甘だ。溺愛していると言ってもいい。

 そのため、彼女が気に入っている俺に対して怒りを明確にしづらいのだろう。


 或いは怒り心頭ではあっても、親としての余裕がそれを上手く隠しきっているだけなのかもしれない。

 いずれにしても油断から来る無用の刺激は禁物である。

 だから、差しさわりの無いセリフを吐く。


「そうですか?」


「そうだとも」


 なんだか、戦地で身柄を拘束されたうえで尋問されている気分だ。


「私が与えられた命令はあなたを守ることであって、娘さんは契約のうちに入っていないんですよねぇ」

 そう、この仕事のサービス的に“ついで”という感じであいつを何度か守ってはいるが、それは自分が可能な範囲で行っているだけで、彼の護衛に優先させたことは一度もない。


 だが博士は、その余裕が気に入ったという。

「そこで、だ。私と個別に契約しないか?」


「……」


「だめか?」


「内容次第ですね。オプション契約と捉えるにせよ、会社との契約に齟齬そごが生じる場合は認められませんから」


「特に変わった内容ではないよ。今のように娘を守って欲しい。それだけだ」


「……」


「次の仕事が無いことぐらいは調べてある」


 驚く俺の顔に視線を向ける素振りすら見せず、博士は言葉を続ける。

「君はこの仕事をもって退職する予定になっている。そうだろ?」


 質問ではなく確認する口調に俺はあっさりと観念した。


「その通りですが、やはり会社に話は通してもらいたいですね。

 それに、仮に私が引き受けるとしても期限はどうなります?」


 俺の問いに好感触を得た、と考えたのか博士はここでようやく顔を俺の方に向ける。


「わかった。会社の方はきちんと話をしよう。期限は娘が良いと言うまで、だな」

「明日にでも“もう良い”と言われたら?」

「子どもの思い付きの言葉を契約の抜け穴に使うような男に、こんな提案はしない」

「酷い話ですね。YESと言えば下手すりゃ一生縛られかねない」

「その通り! だからこそ、この契約は君に持ち込んだ。当然だが報酬は納得のいくものを用意すると約束しよう」

「ほう。随分と信用してくださるんですね」

「今のところ、君ぐらい信用ならん人間はいないよ」


 特に侮蔑した口調という訳では無いが、ごく普通にひどい言葉を吐き出してきた。


 だが、その言葉で彼が思い付きで言っているわけでない事が分かる。

 俺について、しっかりと下調べをしたのだろう。

「それを聞いて安心しました。仲間内でも俺は少しばかり壊れてるって有名でして」


「そう、君は人間としての“情”と言うものを知らない」

「それはいくら何でも酷い言いようですね。俺は別に人殺しが好きなわけではありませんよ」

「わかってる。君は別に残虐ではない。だが、冷酷だ。特に自分に対して」

「……」

「なあ、君は何を頼りに生きているんだ?」

「……」

「君は、契約上必要とあれば死ぬことを気にもしていない」

「それは別に俺だけじゃないでしょ? 例えばSPなんて種類の連中もそういう風に教育されています。そして実際にそう行動してますよ」

「彼らは君とは違う。確かに彼らも身を挺して要人を守るが、その行動原理は国家あるいは社会に対する忠誠だ。また、残された家族に対して国が保証する事も信じている」

「ああ、それはあるでしょうね」

「だからこそ彼らは希少な存在であり、僕の様に中途半端な研究者に本物のSPは配備されない」

「……」

「そこで話は戻るが、君だ。君は独身でその上、天涯孤独だ。事故についても聞いている」

「その件については黙秘させて頂きます。自分の中では終わった話ですから……」


 嫌な話は避けて通るに限る。腹を立てる要素はできるだけ省きたい。


「……いや、強いて君に嫌なことを思い出させる気はない。

 だが、妻や子を持たず国家や組織に所属している訳でもない独り者など、仕事として身を挺して対象を守るにしても最後の瞬間に、どう振る舞うかなどわからない」

「ええ、そう考えるのが当然ですね」

「うん。それが普通なんだ。が、君は違う。君は契約にすべてを置いている。

 しかも実績がある。 

 君、過去に護衛対象を守って2度死にかけてるよね。

 その内の1度などは襲撃者の数が多すぎて護衛の半数が逃げた中、最後まで対象の壁になって守り切ったと聞く。そのときの損害は片手の指じゃ足りなかったと言うじゃないか。

 そこを生き残ったんだ。傭兵としての能力だけは信頼するしかあるまい」

「危険地帯で護衛に入る場合、生き死には覚悟の上ですよ」

「口では誰でもそう言う。だが実際は逃げる奴もいたじゃないか。

 しかも君は、この護衛の後も同じような仕事をいくつもこなしている

 何より、北アフリカで死んだ警備兵の中には、」


 クソ、誰が漏らした!

 事故の話は予想がついていた。

 だが、この不意打ちには、はらわたが煮えくり返りそうになる。

 ようやっとだが感情を殺して平静を装う。

 それと同時に聴きたくも無い博士の言葉の前に自分の声を割り込ませた。


「確か、さっきは“信用ならない”とか言ってませんでした?」


 俺のわずかな声の変化に感じることがあったのか博士は、そのことについては口をつぐみ、素直に話の方向を変えてくれた。


「……うん、そうだね。

 確かに自分の命より契約が重い奴など人間として信用できんよ。

 この先、娘が連れてくる恋人がそんな奴ならショットガンで追い返すか、一服盛った上で死ぬまでぶん殴るかして命の尊さってやつを教えてやるさ」


 おい怖いぞ、この人。

 だが、これが親バカってやつかと思うと、さっきまで胸を焼いていた怒りも忘れて思わず苦笑が出そうになる。

 そんな俺の感情を読むかのように博士は笑いながら言葉をつづけた。


「だが仕事を依頼する相手としては素晴らしい。それこそ“信頼”できる」

「なるほど、使いつぶすにはもってこいですね」

「わかってて潰されようってんだから、ますます信用ならんなぁ」

「言い訳させてもらうなら、“そういう”んじゃないんですよ」

虚無主義ニヒリズムではない、と?」

「そんな上等なもんじゃありません。単にやることが無いんです」

「ああ、そういうことか……、なら、やっぱり君に頼むのが正しいな」


 なら、の意味合いがさっぱり理解できないが、とりあえず契約は受けることに決めた。

 もちろん最低限の期限は切ってもらうが、長い仕事になりそうだとは感じた。


 立ち上がって博士と握手する。

 

「ありがとう。そろそろ娘がやってくる。気を付けたまえ」

 その言葉を残して霧のように博士が消え去ると、入れ替わるように足音が近づいてきた。

 いつの間にか俺はソファに横たわっている。


 身が軽いあいつは隙あらば脅かしてやろうと、寝ている俺にいつも忍び足で近づく。

 だが、な。そうはいかないんだよ。

 作戦行動中の傭兵の睡眠なんぞ、いつでも半覚醒状態なんだぜ。


「うらぁ!」

 大声と共に飛びあがるように身を起こした。

 何かが転げ落ちる派手な音が、そう狭くもない室内に響き渡る。


 ソファの下に目をやると、マンガのように目を回したクソガキが合成樹脂の短刀を片手に気絶していた。


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