七 ラブホでペプシ

「とりあえずコーラ貰うね」

 ジジイはイケボでそう言い放つと慣れた手つきで無駄に高いコーラを取り出した。

「あ、ペプシじゃん。僕こっちの方が好き」

「いや誰?」

 まじで。

 顔がジジイだからジジイと思ったが、服装はそれなりにちゃんとしたジャケットスタイルだった。紺色にウィンドウペイン。グレーの地模様のベスト。ノータイだが形のきれいなシャツの首もとはボタンを二つ開けている。白髪は整えられ、同じ色の口髭も不潔感がない。

「青年、そんな噛みつくような目で見るもんじゃないよ。邪魔したのは悪かったけど」

「突き落とした方がいいのか悩んでんだよ」

「ああ、これ」

 壁に開いた円形の孔。ジジイはその方向にふいと手先を振る。瞬間、孔は消え失せ元の壁に戻った。

「まあ落とされても死なないけどね」

 ニコッと笑って、ジジイはこちらに向き直る。

双天世界ヒュペイトの香りがするな。お嬢さん、あの大悪人、卑怯者のヴァルナルは元気?」

「何を……!」

 弾かれるように立ち上がったアニヤがジジイに詰め寄った。

「ヴァルナル様に何という無礼な……名もない一兵卒から大変な苦労をして、人々のために立ち上がった英雄ですよ! 数多の戦をくぐり抜けて多くの人を救い、堕落した神殿群を立て直し、今も世界を救おうとしておられる」

「って聞いてるんだね。さしずめ君はヴァルナルの側近く仕えてきた神子か」

「そうです。私は戦で家族をなくし、怪我と飢えで動けなくなっていたところをヴァルナル様に救われました。大変な戦の最中だったのに、私を陣中に置いて面倒を見てくださったのです。命の恩人です! 戦の後、傷が癒えた私に、何かしたいことがあるかと言ってくださり、私はご恩返しのためにお側に仕えたいと申し上げました。そうしたら、お前を従者にしたくはない、ならば神子になって国を支え、時々帰って来ておくれと」

 何か切迫したような口調でアニヤはまくし立てている。ジジイはアニヤを見ている、まるでとても大事なものを見るような目で。

「……私にとってヴァルナル様は、主で、偉大な英雄で、父親代わりと言ってくださる優しい方で、」

「本当にそう? そういう人が欲しかったからそう思いたいだけじゃない?」

「そんなことありません、私は!」

「人間は、起きていることに対して自分に都合のいい意味を求めてしまう。だから都合のいい物語は時に嘘を含む」

 ジジイはペプシをまた一口飲み、ちらりと俺を見た。

「で、君はこのお嬢さんを心配してる」

「は? あんたの意味が分かんねえから見てるの間違いだ」

「若者はせっかちでいけない。僕はこの日を何百年も待ち続けた。ゆっくり話をしてもバチは当たらないと思うよ」

 意味が分からない。しかし一人増えたのは使えるかもしれない。俺は事故死偽装専門の人殺しだ。アニヤ一人よりも、このジジイと一緒に死んでいた方が自然な状況を作れるかも。

「今認識できてるものだけがすべてじゃない」

「疲れてきた。自己紹介しろジジイ」

 ジジイは意外に懐っこい顔で笑い、そうね、と言って答えた。

双天世界ヒュペイトではロドという名だった。こちらでは時代につれ色々だ。お嬢さん、恐らく今、双天世界ヒュペイトには星の神がないだろう。昔話には少し残っているくらいかな」

「……ええ、夜空にかかるたちがいたと……でもそういえば、星の神殿はありません。空には星があるのに」

「やっぱりね。神の化身が追い出され、星は脱け殻になった。今の月もそうなんだろうな」

 まあ座りなさいよ、とジジイはまるで自宅に客でも迎えたかのように振る舞って、自分もソファに腰を下ろした。アニヤが大人しくベッドに座り直す。

 ジジイ――ロドはペプシのペットボトルを空中で手放した。宙を滑るボトルにキャップが飛んできてしかるべき位置で回転し、キュッと閉まる。ボトルはそのままサイドテーブルにことんと着地した。

 手品か。

 それともアニヤが使った魔法と同類のものなのか?

 俺の気が狂って幻覚を見ている可能性は?

 ……ああ、狂ってるのなんて、今に始まったことじゃない。俺は多分、最初から。

 殺しの後に特有の疲労と頭痛が戻ってきつつある。痛む頭に一瞬目を閉じたとき、ロドの妙にいい声がまた聞こえてきた。

「世界の本当の造りと、長い夜の理由について話そう。それで幾つかの謎も解けるだろう」





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