第47話 シキニェムの毒
ロナルドは長い間「シキニェム」の木の枝が
半地下のルオフー城内の石牢には、天井付近に明かり取りを兼ねた通気孔があるのみ。独房内に充満する毒煙を排気するには、相当の時間がかかった。
アレクシスとの打ち合わせで、その存在を伏せておくことになっていた「シキニェム」。
……燃やすとその煙は神経系に作用し、数日後には死に至る……と、古代エアデーン人の残した資料にはあったらしい。
今、ロナルドの体は先端部分から徐々に感覚を失い、動かせなくなっていた。ロナルドはその毒性を、自身の体で証明することになってしまったことに、打ちひしがれていた。
ロナルドは目を閉じる。帰らない自分を心配しているだろう一人娘……。
タルール人の誰かが、自分の状況を伝えてくれれば……。
グレーンフィーンの
〈リゼ……、アレク……〉
ロナルドは心の中で叫んだ。
王国人を恨み、自分を始末したミハイルが次に二人に手を出さない保証はない。アレクシスのように、遠距離の思念通信の
ロナルドは、どれぐらいそうしていただろう。
もう顔を動かすことが出来なくなっていた。明かり取りから視界に入る光で、永遠とも思える夜が明けたことだけは分かった。
息苦しさで目を覚ましてからは、自分の呼吸を繋ぐことだけに集中していた。
そんな時、戸口でこそこそと話すタルール人の思念が聞こえてきた。
〈ロナルド、キこえるか? ボクだ、ワンチェシーだ。ミハりがずっといてチカづけなかった。イマ、トビラをアけるから、マってろ〉
鍵をガチャガチャやっている音が聞こえる。ワンチェシーが、部下を使って、牢の鍵を開けようとしているらしい。
〈ほら、ハヤくしないとヤツらが……〉
なかなか鍵を開けられない部下に対し、ワンチェシーの焦りの思念が伝わってくる。
『そこで何をしている!』
〈ウワッ!〉
帝国人兵士の声がした後、数名の兵士の足音と大きな物音が響いた。扉の向こうで、ワンチェシーは呆気なく捕まってしまったようだった。
……ワンチェシー王子まで、巻き込んでしまった。
荒い息の中で、ロナルドは申し訳なさに目を閉じた。
***
ミハイルは、捕り物を階段の上から眺めていた。
手負いの獣のように、フーフーと唸り声を上げるタルール人が着ているその衣装には、タルール人の顔の判別などつかないミハイルにも見覚えがあった。
『これはこれは、ワンチェシー王子殿下ではないですかな? こんなところまで来て、裏切り者を逃がそうとするとは。お父上は何と思われるかな?』
侮蔑を込めた眼差しでワンチェシーを一瞥すると、そのまま捕らえておくよう兵士に命じた。
ミハイルは、タルール人の牢番から取り上げた鍵を部下の兵士に渡し、ロナルドの牢を開けさせた。
床には灰となった木の残骸が残っている。もう昨日のような臭いは残っていなかった。兵士に続いて、ミハイルも牢に入った。
兵士たちに両腕を取られ、上体を起こされても、ぐったりと動かないロナルドを見た。
『これはどういうことだ? あの煙を吸っただけで、こうなってしまったというのか? 素晴らしい! 素晴らしいな!』
目をキラキラさせたミハイルは、ロナルドを観察する。
ロナルドは目線を合わすことも、反らすことも出来ず、喉からヒューヒューと呼吸音を上げるだけだった。
『ふはは! タルールなど要らぬ。このタルールの木を燃やし、その煙を、エアデーン人に吸わせれば良いということだ! エアデーン王族の暗示支配など恐るるに足らん! 温暖なエアデーンの地を手にすれば、我が帝国の食料問題は解決するではないか!』
思い付いた考えに酔うミハイルの高笑いが、牢内に響き渡った。帝国人兵士たちは戦慄を必死に抑えながら、上官の次の指示を待った。
やがて笑いをおさめたミハイルは、ワンチェシーのことを思い出した。
裏切り者を助けようとしたワンチェシーも、閉じ込めておく必要がある。だが、新たな独房を用意させようにも、通訳がこの状態である。
帝国人兵士らの動揺とミハイルの逡巡の隙をついて、ワンチェシーの部下のタルール人の一人が逃げ出した。
それを追いかけようとする部下に、『放っておけ』とミハイルは言った。
結局、ミハイルはワンチェシーをロナルドと同じ独房に閉じ込めさせると、再び鍵をかけさせて、地下牢を後にした。
***
〈ロナルド、ロナルド! ダイジョウブか?〉
ミハイルの気配が消えると、ワンチェシーはロナルドに駆け寄った。ロナルドはもう息も絶え絶えで、意識もあまりはっきりとはしていない。
ワンチェシーは、幸いなことに手足は縛られなかった。狭い独房内で、ワンチェシーは闘志に燃えていた。
これ以上、ジーラント人の横暴を赦してはいけない。
〈ボクのテアシをシバらなかったことを、コウカイするがいい!〉
ワンチェシーは呼吸を整え、ゆっくりと片足立ちになる。
浮かせた片足の足裏を、ゆっくりと軸足の膝横に当てる。体が一瞬でもぶれると、このタルール王族に伝わる秘儀は成功しない。胸の前で手を合わせる。
再び呼吸を整え、合わせた手をゆっくりと天に向けて伸ばしながら、短く区切った明瞭な思念が、指先に届くように集中させる。
《ワンチェシー ツカマル》
《ロナルド キトク》
《リゼット スグコイ》
《タルール タチアガレ》
《テキハ ミハイル》
……その思念は、伝播してゆく……。
ルオフー城内からジャングルに住むタルール人へ……。
ジャングルを
バオアン平原から、ジンシャーン、シーグーにいるタルール人へ……。
シーグーの港で
……その思念は、すべてのタルール人の意識をワンチェシーの意識と同化させるほど、強力なものだった。
***
リゼットは、オリガに言われて急いで家に帰った。
「オリガが翼竜に乗せて、お父様のところに連れていってくれるって!」
前日はリゼットを〈足手まといだ〉と叱ったスーも、それを聞くと喜んだ。
リゼットはその変化に少し戸惑ったが、スーだけでなく、家中のタルール人の使用人の皆も、リゼットがルオフー城に行くことになったことを喜んでくれた。
旅支度なら、朝のうちにほとんど済ませてあったが、皆が足りないものがないか、手伝ってくれた。
タルール人は皆、ワンチェシー王子の思念通信に感化されたのだと気付いたのは、
旅立つリゼットを見送ろうと、シーグーの町にいるタルール人、ほぼ全員が集まっていたのだ。
タルール人の闘志を高める足踏みダンスが、誰からともなく始まった。リゼットは、いつもと雰囲気の違う彼らに背中を押された。
──タルール人と心を繋ぐグレーンフィーン家の者として、私にも、やるべきことがあるはず!
ワンチェシーからタルール人へ伝わった闘志は、リゼットの心を奮い立たせた。
しばらくして、オリガが翼竜に乗ってリゼットを迎えに来た。
オリガは断熱マントを着たリゼットを、さらに専用の布でぐるぐる巻きにした後、風で飛ばされないよう、彼女が座る鞍にしっかり固定した。
そうして二人の女子は、先に行った仲間を追いかけるよう翼竜に命じて、ルオフーを目指した。
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