第46話 翼竜
夕方になり、他の港湾作業員たちが宿舎に戻って来て、やっと閉じ込められた部屋から解放されたリゼットは、ずっと宿舎の前でウロウロしていたスーに連れられて家に戻った。スーは、
〈おじょうさまがいっても、アレクさまのあしひっぱるだけ。アレクさま、ただしい〉
と珍しくリゼットを
泣き疲れて疲労困憊のリゼットは、その晩は家で大人しく寝ることにした。
翌朝早く、リゼットは使用人たちより早く起き出すと、一人でルオフーまで行く準備を始めた。こうなったら、アレクシスは嫌がるかもだが、ヴィクトルしか頼める相手はいなかった。
ジンシャーンの丘の頂上にあるヴィクトルの家に行き、帰国書類申請の受付開始時間まで、門が開くのを外で待った。あまりに早い時間なので、失礼かと思ったからだ。
だが今日は、その予定時間よりも前に、ヴィクトルはオリガと共に、
『おはようございます。ヴィクトル殿下、オリガ』
『おはよう、リゼット。こんな朝早くから珍しいな』
『あのっ、殿下にお願いがあって……。父を、父を助けて欲しいんです!』
リゼットは、昨日散々泣いたので、もう父親の無事な姿を見るまで泣かないと決めていた。
だから、ヴィクトルに『どういうことだ?』と聞かれても、今日は冷静に詳しく話すことができた。
『父がナザロフ総督閣下に捕まって、ルオフー城内の牢に幽閉されていると昨日、仲の良いタルール人が知らせてくれたんです』
『何だって! ミハイルは今ルオフー城にいるのか! アイツもヤツの部下も見当たらないと思ったら……。ロナルドを閉じ込めてどうするつもりだ?』
ヴィクトルは苛立たしげに唸った。
『……わかりません。昨日のうちにアレクシスが
『えっ! あいつ一人で行ったのか? ミハイルの部下は三十人以上はいるぞ!』
『えっ! さ、三十人以上……?』
それを聞いて、リゼットはサーっと顔の血液が引いていくのを感じた。
ミハイルには屈強な帝国人兵士が三十人以上もいるのに、アレクシス一人でどうやって?
リゼットは、昨日アレクシスが強引に自分を置いていこうとしたわけがやっと理解できた。……自分は、何と愚かだったのだろう。スーの言うとおりだ。
馬上からヴィクトルが呼びかける。
『おいリゼット、大丈夫か? 俺は今からシーグーの港に行く。チーム・ヴィクトルのメンバーの家は知ってるか? まだ帝国に戻っていない者もいるし、この時間なら家にいる。オリガと手分けして、大至急、港に集まるよう伝えてくれ。今日は
リゼットが『分かりました』と返事をすると、ヴィクトルはリゼットを安心させるように笑い、馬の
リゼットとオリガは、高台から
リゼットは時計回りに徒歩で、オリガは反時計回りに巨大馬で下る。オリガが反時計回りの道を選んだのは、そちらの方がメンバーの家が多いからだ。
二人は、ジンシャーンの丘をそれぞれ下りながら、道の途中や、少し入ったところにあるメンバーの家に寄り、助けを求めた。
もう五年も住んでいる、狭くて濃い付き合いのジンシャーンの仲間だ。リゼットもメンバーの大体の家は把握しており、うろ覚えのところは予めオリガに聞いておいたのですぐに分かった。
朝早くから起こされたメンバーは、リゼットが話す内容に、一気に眠気を吹っ飛ばされ、皆準備が出来次第、港に行くことを約束してくれた。
居住区正門のところでオリガと合流すると、リゼットは巨大馬に乗せてもらって、一緒に港まで向かった。
***
港では、ヴィクトルが
タルール産の食料は与えられないから、翼竜用の飼料も先日の便で届いていた。ヴィクトルは、それらを網に入れて纏めさせている。翼竜到着次第、ルオフー城に向かう気だ。
やがてメンバーが続々と港に集結した。
オリガは、
『……悪いが、私は行けない』
と断っていた。それを聞いたヴィクトルは、一瞬の
『そうか、そうだな』
と了承した。
チーム・ヴィクトルは補欠なしの十五人ちょうどのチームだ。うち四人はすでに帰国していた。翼竜に乗ってアレクシスを追いかけるメンバーは、ヴィクトルを含め九人だ。
翼竜が一頭余るが仕方がない。
翼竜を載せた臨時便が到着した。狭い船内に閉じ込められていた翼竜は、休憩もそこそこに、空を欲した。
オリガ以外のメンバーは、翼竜に早速準備していた荷物や鞍を装着し、騎乗した。
リゼットは、そんなアレクシスの仲間に、最後に大声で叫んで頼んだ。
『皆さん! 父を、アレクシスを助けて下さい! お願いします!』
翼竜の背に乗ったヴィクトルは親指を立てて『任せとけ!』と返事をした。
こうして、チーム・ヴィクトル部隊を乗せた九頭の翼竜は、大きな羽ばたきとともに風を巻き起こして、空へと飛び立った。
***
オリガは激しい風を起こしながら、空へと舞い上がる
……彼女の瞳に映るのは、翼竜に対する憧憬と畏怖……。
オリガは最愛の兄を、翼竜からの転落事故で亡くしていた。
リゼットもそのことを誰かに聞いて知っていたのか、オリガの手をそっと握ってくれた。小さな彼女の手には、翼竜に乗れない自分を慰め、癒してくれる力があるような気がした。
オリガはリゼットと一緒に、翼竜に乗って旅立っていった仲間を、その姿が小さく見えなくなるまで、静かに見つめていた。
やがてオリガは残された翼竜の手綱を持ち、本来の業務「引越荷物の運搬」をさせるべく、世話係に引き渡そうとした。
その時、リゼットが耳を押さえて、膝から崩れ落ちた。
『リゼ、どうした!』
『……ワンチェシー様が呼んでるの。ワンチェシー様も捕まってしまった……。お父様が危ない、もうすぐ死んでしまうかも。だから、私に早く来いって……』
だが、リゼットは泣かなかった。フラフラとしながらも立ち上がる。
『でも……、私行けない。足手まといになるもの……』
オリガは、グッと翼竜の手綱を握った。
──この先、ジーラント帝国に帰り、帝国人、いや、誉れ高き「竜騎族」として生きていくのならば、いずれ克服しなければならない「恐怖」だ。
今たった一人の肉親を失うかもしれない、小さな友人のために自分の「恐怖」に打ち勝てず、何が「竜騎族」だ!
『リゼ、家に一度帰って断熱マントを着て待ってろ。迎えに行く』
『どうしたの? オリガ』
オリガは覚悟を決めた。
『私は本当は、翼竜に乗れる。私がお前のお父上のところまで連れていってやる。ただし、荒事には一切参加しない。急げ!』
『……オリガ、いいの? ……ありがとう。ありがとう……』
リゼットはオリガに抱きついて礼を言うと、家路に走った。
オリガは、リゼットをいったん家に帰すと、翼竜の世話係と装備品について確認をした。
……そして、「あの日」以来の翼竜に乗った。
久しぶりの浮遊感に恐怖心が甦るかと思っていたが、そこにあるのは翼竜に乗れたという喜びだけだった。
空の上から、家路に向かって急ぐリゼットの姿が見えた。オリガはその向こう、ジンシャーンで一番高台にある自分の家へ向かった。
両親も翼竜に乗っている娘を見て驚き、そして喜んでくれた。
オリガは両親に事情を話し、自分の身支度を整えると、リゼットの家に向かった。
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