第45話 訴え

 スーに腕を引っ張られながら放心状態で歩いていたリゼットだが、港湾施設内にある倉庫で、数人の役人と検疫作業をしているアレクシスを見つけると、駆け出した。

 

「アレク! ウワッ!」

 

 慌てるあまり、転んでしまう。

 

 その物音に気付いたアレクシスは、持っていた書類のバインダーを役人に渡すと、リゼットの方へ駆け寄ってきた。

 すでに目に涙を浮かべているリゼットを助け起こしながら、アレクシスは〈どうした?〉となるべく優しく聞いた。リゼットは、

 

「お父様が、お父様が……帰ってこなくて……、アーインがやって来て、お父様はナザロフ総督……、ミハイル様に捕まっていて」

〈ミハイルが! 今どこにいるんだ?〉

 

 アレクシスは、ぐずぐずと話すリゼットの両腕を掴んで問いただす。

 

「ワンチェシー様が、お父様が危ないから私に伝えるようにって、アーインに……」

〈ということは、今ルオフー城にいるということか?〉

「殴られて……、牢に入れられたって。……死んじゃうかもって!」

 

 一体どういうことだ? 連日の作業に終われ、ミハイルが行方不明と聞いても、何も対処をしてこなかったことが悔やまれた。

 

〈分かった。親父さんは必ず助けてやるから、家でおとなしく待ってろ!〉

 

 そう言うと、アレクシスはリゼットを安心させるように、ぎゅっと抱きしめた。だが、リゼットはその胸を突き飛ばした。その拍子に、ポロリと目に溜まっていた涙が零れる。

 

「いや! 私も行く。お願い! 連れてってアレク!」

〈ダメだ!〉

「お願い! お願い! 私もルオフー城に連れて行って!」

 

 リゼットは、必死だった。死の淵にいる父が、リゼットを呼んでいるような気がしたからだ。

 

 アレクシスは〈ダメだ! 帰れ!〉と、リゼットの手を冷たく振り払った。

 そして、一緒に作業していた役人達の方へ走って戻り、簡単に事情を説明すると、自分が寝泊まりしている港湾作業員用の宿舎へ戻っていった。

 

 途中、アレクシスは、スーがいることに気づくと〈リゼを頼む〉と伝えた。

 スーは目で頷き、承知したことを伝え、自分が担いで持ってきたアレクシス用の荷物を渡した。

 

  

 アレクシスは宿舎に着くと、私物を入れているロッカーから、研究所の鍵と「神の石」を取り出した。宿舎の外では、走って追い付いてきたリゼットが扉を叩いている。

 

 気が動転しているとはいえ、いつもの穏やかなリゼットとは別人で、明らかに様子がおかしかった。

 

 アレクシスは、宿舎の扉を押し開いた。

 扉の前には宿舎まで押し掛けて、アレクシスが出てくるのを待っていたリゼットがいた。急に開いた扉に面食らっているリゼットの手首を掴んで中に入れると、そのまま腕の中に閉じ込めた。

 

 リゼットの顔を両手でおさえ、至近距離から暗示をかけてみる。

 

〈《お前はここにいろ》〉

 

 リゼットの瞳は、一瞬ぐらついたように思えたが、やはり一瞬だった。

 

「嫌よ! アレクシスが連れてってくれないなら、ヴィクトル殿下に頼むんだから!」

 

 アレクシスの中で、何かがカチンと音をたてた。

 

 ──リゼットは、アレクシスの感情を逆撫でする天才だ。こういう頑固になった時のリゼットは苛立たしい。

 リゼットを暗示支配は出来ないし、ヴィクトルと二人で行動することを嫌うアレクシスを、リゼットは熟知している。

 

〈いい加減にしろ!〉

 

 アレクシスは、リゼットの両手首を掴むと、壁際に追い詰めた。逃げ場がなくなり、リゼットの目に怯えが走る。

 「いやっ」という小さな声が聞こえたが、アレクシスは彼女の手首を掴んだまま、無表情に睨み付け、その唇に噛みつくようなキスをした。

 

 強引な口づけに驚いたリゼットから、抵抗する気配が消えると、アレクシスは冷静さを取り戻した。

 

 リゼットを壁に縫い付けていた手首を掴む力は、いつの間にか緩み、その手は肩へ、背中へと回っていた。

 アレクシスは腕の中の愛しい存在の唇に、今度は優しく啄むように、そっと唇を重ねる。角度を変え、長く、短く、何度も何度も……。

 

 アレクシスはリゼットの涙が、彼女の頬を伝っているのを感じていた。

 それでも、それすらも愛おしく、自分で自分がめられなかった。

 

 やがてキスの合間に、彼女の口から嗚咽が漏れるようになった頃、アレクシスはやっと我に返った。

 唇を離し、再びリゼットを抱き締めながら、思念で〈ごめん〉と詫びた。


 そして、

 

「お願いだ。ここにいてくれ」

 

 リゼットの耳元で、アレクシスは声に出して頼んだ。

 それはもう祈りにも似た、懇願だった。

 

 

 アレクシスは、返事をすることなく泣き続けるリゼットの体を、そっと離した。支えを失ったリゼットは、先ほどアレクシスが押し付けていた壁に背中を預け、そのままずるずると床に座り込んでしまった。

 

 アレクシスは、上着を着て荷物を背負うと、彼女の嗚咽を背中で聞きながら、扉を開け、部屋から出ていった。

 


 ***

 

 

 リゼットの頭の中は、もうぐちゃぐちゃだった。

 

 煽るようなことを言った自分が悪いのだが、アレクシスの本気の怒りをぶつけられて怖かった。ただの我儘わがままではないことを分かってもらえないのも辛かった。

 強引で乱暴で恐ろしかったが、アレクシスは自分のことを守ろうと、大事に思ってくれているのも伝わってきた。

 

 降り積もってゆくようなキスを贈られ、リゼットはだんだん何も考えられなくなっていった。

 ……アレクシスの激情と愛情。二つをいっぺんに受け止めさせられ、どうしていいかわからなかった。なぜか胸の奥が苦しくて、どうしようもなく、目には涙が浮かび上がってきた。

 

 唐突にんだキスの嵐……。

 ここにいてくれと頼む、滅多に聞かない、アレクシスが声に出して話す王国語……。

 

 頭の中だけでなく、顔も涙でぐちゃぐちゃで、後から後から溢れてくる涙と嗚咽は、なかなか止まってはくれなかった。

 

 

 ……だから、アレクシスが押し開きの扉を、中から開けられないよう細工を施して出かけていったことに、その時は全く気付くことは出来なかった。

 

 リゼットは、そんな彼の念の入れように、後にまた怒ることになる。

 

 

 そして夕方になり、ここで寝泊まりしている他の作業員たちが帰ってくるまで、リゼットはこの部屋に閉じ込められることになったのだった。

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