第44話 悪臭
ロナルドは、藩王サファルを守るように立ち塞がった。
ミハイルは、侮蔑を込めた眼差しでロナルドを見つめ、彼の胸ぐらを掴んだ。
『お前、バオアンの毒のことを知っていたな?』
『知らなかった! 本当です!』
『だが、お前たちはバオアン産の作物を食べず、タルール料理ばかり食べてたそうじゃないか? 知っていて俺たちを
ギリギリとミハイルは、掴んだ手に力を込め、ロナルドの体を持ち上げる。首を締め付けられながら、ロナルドは必死に弁明する。
『違う! 私と娘は帝国の食べ物がもともと体に合わず、腹を壊すんです! それにタルール人の料理人しかいなかったからです。……アレクシスがバオアン産の食料を疑いだしても、私は信じていませんでした。その時はまだ証拠がなかったんです!』
それを聞いて『フン』と鼻で
『……やはり、タルールの玉座など欲しくもないな。だがお前には、ジーラント帝国に大損害を与えた罪を償ってもらう』
床に転がったままのロナルドは、自分に向けられている剣の存在に気付いた。
『タルール人もホントにバカだよな。俺の兵士達の身体検査もさせずに城に入れるとはな』
クックッと嗤うミハイル。
『さぁ早く伝えろ、ジーラント帝国を裏切った自分を牢に入れよと』
自分を牢に入れたところで、ミハイルがサファルに対し、危害を加えない保証はない。
〈ロナルド、ミハイルはナンとイっておるのだ?〉
怯えて震えるサファルが小さく思念を送って来る。ミハイルは、なおもロナルドが口を開かないのを見ると
『お前が伝えられないなら、お前の娘を呼んで代わりに伝えさせてもいいぞ?』
と、ロナルドの弱みを正確に突いてきた。
ロナルドは目を閉じ観念した。リゼットを巻き込むわけにはいかない。
「私を、牢に入れろ、と」
〈なぜだ? みんなナニをオコってるんだ?〉
サファルは、帝国人兵士がロナルドに向けた剣の意味を問うた。
「……私が帝国を裏切ったと」
サファルはその言葉を聞いて、衝撃を受け、いつものように勘違いを犯す。
〈ロナルドはウラギったのか? おマエはアレをキツネイシだとシっていたということか?〉
「石のことではありません! 毒のことです! 私も毒のことは知らなかった!」
だが、ロナルドの説明の言葉は、短気なサファルには届かなかった。
〈ロナルドをトらえよ! ロウにツナげ!〉
王の思念を聞いた控えの間にいたタルール人兵士が、ワラワラと飛び出してきた。両脇の兵士に腕を掴まれたロナルドは最後に、サファル王に呼び掛けた。
「陛下、お気をつけください! ミハイルは……ぐはっ!」
ミハイルはロナルドの腹を殴った。ロナルドはタルール人に腕を支えられたまま倒れ込む。ミハイルはロナルドの髪の毛を掴むと、
『お前はもう黙れ』
と言うと、もう一発ロナルドの腹に拳を沈め、意識を失わせた。
何か判断を間違えたような気がしてきたサファルは、ガクガクと震え出した。
『バカなタルール藩王。俺はロナルドだけは許せない。俺の復讐に付き合ってもらう』
ミハイルはニヤリと嗤うと、部下に何かを命じながら、玉座の間から出ていった。
サファル王は腰を抜かし、部下に支えられていた。
ずっと玉座の間を覗き見ていたワンチェシー王子も、ガクガク震えていた。
同盟を結んでいるリゼットの父親が危ない! ワンチェシーは、王族のみが使える遠距離思念通信をアーインに繋いだ。
〈アーイン! ロナルドがアブナイ! ミハイルにナグられて、ロウにいれられた。リゼットにつたえてくれ! ロナルドが、シんでしまうマエに!〉
思念で今の光景が伝わるように、必死で叫んだ。
***
サファル王に命じられ、タルール人兵士は二人がかりで、気を失ったロナルドの腕を引っ張って牢に連れていった。
岩城の半地下部分に当たる石牢は、雨の少ないこの時期にあってもじめじめとしている。明かり取りの穴が、天井付近の壁際に数シーム(cm)ほど空いているだけだ。
牢に投げ込まれたロナルドが痛みに
その様子を後ろから見守っていたミハイルは、ロナルドの前に進み出てしゃがみこんだ。再び彼の髪の毛を掴んで、上を向かせる。
そしてロナルドにだけ聞こえるような声で、耳元で囁いた。
『ロナルド、お前は毒のことを知らなかった、と言ったな。俺はな、……知っていた』
髪を掴まれながら、ロナルドはその真意を探ろうとミハイルを見た。
『バオアンの農地は、もともとは草原だった。こいつを抜いて畑に変えるなんざ面倒臭くてやってられん。そうだろ? だから、農民達は与えてやった土地にまず火をつけるのさ』
そう言うと、ミハイルはロナルドを放し、しゃがんだ姿勢のまま、懐から煙草を取りだし、火をつけた。
そして、大きく吸った煙をロナルドの顔に吐き出す。ロナルドがむせて咳き込むのを、楽しげに眺めた。
『俺はその作業を今のような乾期にすることは禁止した。毎日雨が降る春先に土地を
ミハイルは再びロナルドに顔を寄せ、声を落とす。
『すげえ
ロナルドは、そのようなことがバオアンで起きていたことを全く知らず、驚いて目を見開いた。
『農民の奴らも、毒って言われてあの
ロナルドは、ミハイルの言葉に、毒が含まれているかのような禍々しさを感じた。
『だが、野焼きさえ済ませちまえば、ジーラントの冷たく痩せた土地とは違って、年に三度も収穫できる、夢のような土地だ。租借地などにしておくのはヌルい。はっきり割譲しちまえばいいのに、と俺はずっと思っていた。ペールバカのお坊っちゃんが、俺の計画を潰すような動きをしていたようだが……』
ヴィクトルは、ミハイルの野望を見抜いていたらしい。それを不満に思い、皇帝陛下に直訴しようとしていたのだろうか……。
『だが、今となっちゃ、何もかもぜーんぶ、無駄になっちまった』
ミハイルは、再び煙草の煙を口に含んで、ロナルドの顔に大きく吐き出しながら言った。ロナルドは顔を反らし、息を止め、煙草の煙を吸ってしまうのを、今度はなんとか耐えた。
『お前に分かるか? 俺たちの無念が……。俺たちにそんな無駄な努力をさせたのは誰だ? そう、お前たちの王が皇帝陛下に「タルールはどうだ?」と言ってきたのが始まりだったよな? ……おう、そんな枝しかなかったか、まぁそれでいい』
顔を反らしていたロナルドは、話が急に変わったので視線を戻した。
帝国人兵士が戦斧を使って、城のすぐ外から十数本の枝を切り出してきたようだ。葉のついた大人の腕の長さほどの枝が牢に運び入れられた。
『こいつを燃やすと、どんな臭いがするんだろうな?』
不敵に
『や、やめろ! やめてくれ!』
今までおとなしくしていたロナルドが、作業をやめさせようとミハイルの腕を掴んだ。帝国人兵士はあわててロナルドを取り押さえると地面に伏せさせ、手足を縛った。
やがて枝に火が燃え移ると、ミハイルは口元を腕で押さえる。
『そうだ、そう。こんな臭いだ。お前もこれを嗅いでバオアンの味を味わえ!』
そう言い捨て、ミハイルと部下達は独房を出ていき、タルール人兵士が扉に鍵をかけると、その鍵を取り上げた。
プスプスと生木が
ロナルドの記憶に間違いがなければ、それはアレクシスが燃やすと、その煙で数日後に死に至ると言っていた「シキニェム」の木の枝だった。
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