第41話 撤退命令

『みんな、今日は俺たちの試合を見に来てくれてありがとう!』

 

 試合後、優勝カップを受け取ったヴィクトルは、用意された拡声器を用いて観衆に語りかけた。

 

 帝国第三皇子ヴィクトルは、今日のヒーローだ。

 観衆から大歓声が沸き上がる。運動場に設けられた観客席は満席で、立ち見客までいる。運営によると、ジンシャーンに住むジーラント人の七割は集まっているらしい。

 

『俺は、皇帝陛下に「社会勉強してこい」と言われて、四年前、このクソ暑いタルールにやって来た。正直、兄皇子たちは社会勉強しなくていいのかよ、って思った。何でオレだけ? って。タルール人は目でなんか訴えてきてワンコロみたいだし、星の嵐はなんかヤバイし、タルール人の作るメシは、なんかグチャグチャだし……』

 

 観衆は、一様にうなずいて聞いている。

 「グチャグチャ」とはきっと、タルール人が作る、ダーミィの上におかずを載せて、かき混ぜて食べるランチのことだろう。

 リゼットはいちいち反論したいが黙って聞いていた。

 

『クサクサしてたオレは、中等部にペールチームを作った。勉強なんてしたくなかったからだ。俺と同じように親に言われたか、連れて来られたかでクサクサしてる連中と、このクソ暑いジンシャーンで、クソ暑いのにペールなんかして、どうかしてるって自分でも思った。でも、やっぱペールっていいよな! ペールをしていくうちに、タルールに来るのがイヤだと思ってた自分がいなくなっていった。ここに来てなかったら出会えなかった仲間と出会えたからだ!』

 

 そこで観衆は賛同の拍手をヴィクトルに贈った。

 同じくタルールにやって来た者として、そういう体験は共有出来るものがあるのだろう。もちろんリゼットにもある。リゼットは、泣きそうになってしまった。

 

『今じゃ、このクソ暑いタルールが、ジンシャーンが大好きだ。タルール人も愛嬌があるし、「星の嵐」の時は家で筋トレしてりゃいいし、メシは、……やっぱ合わねぇけどな!』

 

 ここで笑いが起きる。

 リゼットは混ぜなきゃ美味しいのもある! と心の中で反論した。

 

 

『だが、俺はジーラント帝国第三皇子として、今日この場に集まってくれているみんなに、皇帝陛下からの命令を伝えなくてはならない』

 

 急に改まった口調で陛下からの命令を伝えようとするヴィクトル。観衆にも緊張が伝わり、運動場は静まり返る。

 

『ジーラント帝国臣民は、タルール・シェグファ藩国内から撤退せよ。これは勅令である』


 そう言ってヴィクトルは、控えていたアレクシスから巻き紙を受けとると、観衆に広げて見せた。

 遠目でもはっきりわかるジーラント帝国皇帝の勅書だった。


 驚きに静まり返った観衆が、さざ波のように、様々な疑問を口々に囁きあい、それは大きなうねりとなり、運動場を覆った。

 

 だが、その状態では、ヴィクトル殿下の次の言葉を聞くことが出来ないと悟った者たちから、口をつぐみ始める。

 運動場に静寂が戻ったところで、ヴィクトルは再び口を開いた。 

 

『古代エアデーン人は、一面のジャングルだったシュイワン半島を土壌改良して、ジャングルから飛んできた種なんかが根付かないようにした。こうして一面の肥沃な草原、バオアン平原が出来たらしい。じゃ、何で古代エアデーン人は、こんな年に三度も収穫出来るバオアン平原を捨てたのか……』

 

 ここでヴィクトルは、観衆に考えさせる間をおく。

 

 ヴィクトルもかつて、親友にこの問いを投げかけられ、『リゼットみたいに暑さでチーンだったから』と答えて、殴られたことを思い出した。

 

『最近になってその答えが見つかったんだ。その土壌改良に使った農薬と、タルールの種なんかが合わさると毒が出来るらしい。その毒は土の中に入り込んで、皆が一生懸命育てたトウモロコシや、麦や、農作物に貯まっていくらしいんだ』


 アレクシスは、眉間にシワを寄せた。自分がヴィクトルにした説明を、ヴィクトルがだいぶ大まかに解説したからだ。

 だがこの程度の簡単な言葉の方が、ジーラント人には伝わるのだろう。

 

 アレクシスは、遠くの観客席からも見えるように、今説明した内容を大きく図解した紙を運動場に広げて見せた。観衆の目が図に注がれる。

 

『この毒を食べた人間がどうなるか。これも最近分かったんだ。女は生理不順になったり、妊娠しない。男は、あー、……○○ない』

 

 

 アレクシスは我慢できなくなった。そういう下品な表現をリゼットに聞かせたくなかった。

 ヴィクトルから拡声器の発信装置を奪う。

 

『あー。俺は実際に古代エアデーン人の記録を解読したアレクシス・レーン・レナード、エアデーン人だ。この毒、古代エアデーン人は「ギフト」と呼んでいたが、バオアンで育った作物は「ギフト」が含まれるようになる。「ギフト」とは、いわゆる内分泌攪乱かくらん物質の一種だ。この「ギフト」入りの作物を食べた者に現れる症状は、生殖機能の低下だ。……だったら、生殖機能を必要としない者が食べりゃ良いかっていうと、そうではなくて、食べ続けると、内分泌異常に起因する様々な疾患と同様の症状を……、あー、つまり簡単に言うと、病気になって、下手すりゃ早死にするってことだ!』

 

 アレクシスは、ヴィクトルから発信装置を奪って喋りだしてみたものの、自分の説明を理解できない観衆の雰囲気を感じ取り、最後はヴィクトルがやったように説明を投げてしまった。

 

 だが次の大事な一言を付け加えて、不安を少しでも取り除いておきたかった。

 

『だが、安心してほしい。俺が行った実験結果や、古代エアデーン人の残した資料からも、この「ギフト」は、いずれ体外へ排出される物質だと分かっているんだ。だから、バオアンで作られた作物を食べるのをやめて、安全な食べ物を食べ始めたら、体は元に戻るんだ』

 

 そこまで説明してから、アレクシスはヴィクトルに発信装置を返した。

 ヴィクトルはアレクシスに目で礼を伝え、話を引き取った。

 

『皆が一生懸命育てた作物に毒が混じるなんて、ショックだよな。だが、これは事実だ。心当たりのある者もいるはずだ。俺にもいる』

 

 ヴィクトルはオリガをチラリと見た。オリガは頷き、真剣に聞いている。

 

『悩んでいる者たち、授かるはずだった命、これから皆が健康に生きていくため、これからのジーラント帝国のために、俺はジーラント帝国皇帝代理として、皆に命令する』

 

 ヴィクトルは、一呼吸して言葉を続ける。

 

『ジーラント帝国は、このタルール・シェグファ藩国租借地、バオアン平原及びジンシャーン居住区を返上し、居住区内の臣民は、年内にジーラント帝国に撤退する!』

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