第五章
第42話 撤退開始
撤退宣言の三日後から、週一便だった港町シーグーと帝国を結ぶ連絡船が、週二便に増便された。ロナルドが、王国にも支援を要請して受理されてからは、週四便となった。
これらの定期便の往路には、荷造りに必要な物資が支給品として積まれていた。
これからタルールでも過ごしやすい冬の季節を迎えることから、帝国領で馬車用の馬として一般的な
住民は、居住区内のブロックごとに引っ越し日を割り当てられ、協力して引越作業を行った。
気候も一年で一番穏やかな時期で、海は荒れることもなく、順調に住民の撤退作業は進んでいた。
アレクシスは主にシーグーの港湾地区で、翌日の定期便に載せる荷物の検疫作業の陣頭指揮を行った。持ち出し禁止物とされたバオアン産の農作物の混入を摘発するためだ。
ヴィクトルは、まだ成人となる十八才の誕生日が来ていないが、不在のミハイルに代わり、駐タルール総督代理として、最終的な帰国書類にサインをする業務に追われていた。
そのミハイルは、撤退宣言の前後に目撃情報があり、タルールに戻ってきているらしいのだが、彼は数十名の部下を連れて行方不明になっていた。
ヴィクトルもアレクシスも帰国者の対応に忙しく、ミハイルを探す人員が割ける訳でもなく、気にはしながらも、ミハイルの行方を探すことは出来なかった。
***
リゼットは、タルール人の使用人たちと、グズグズと引越荷物を箱詰めしていた。お通夜のようにメソメソしたり、かと思えば思い出話に花が咲いたり……。
タルール撤退発表後、リゼットはアレクシスに全く会っていない。
最初はリゼットの寝ている夜中に、
着替えの交換のために、スーが時々呼び出されているのだそうだ。
ロナルドは、リゼット達が箱詰めした荷物を、若い時から乗り回していた小さなクルーズ船で、少しずつ母国の屋敷に運搬することにしていた。
グレーンフィーン伯爵の拝領地は、ジンシャーンに一番近い、王国領の最南端にあるのんびりした田舎の漁師町だ。
エアデーン王国とタルールの間には、大陸を分断するようにアスラト山脈がそびえており、陸路ではいけないが、船で行けばジンシャーンから二日の距離にある。
領民ほったらかしのダメ領主ではあるが、ロナルドは領民と仲が良く、船をつければ後は搬入まで全て、領民が手伝ってくれるのだそうだ。
ところが、二回目の運搬作業に出掛けたロナルドが、グレーンフィーン領から戻ってこなくなった。
最初はきっとロナルドにも、リゼットのわからない事情があるのだろうと思っていた。
手伝ってくれた領民とお酒を飲み過ぎて、領民のお宅に泊まらせてもらってるのかな、とか……。
腰を痛めて、休ませてもらってるのかな、とか……。
思い付く理由が、「我が父あるある」なことばかりで、リゼットは心配しながらも連絡の取りようもなく、待つより仕方がなかった。
だが、一週間も帰宅しないのはさすがにおかしいと、アレクシスに相談するか、このまま待つか悩み始めた頃……。
〈リゼリゼ~! たいへん! たいへん! たいへ~ん!〉
〈ロナロナさまが……〉
とそれだけ言うと、アーインは気絶してしまった。
父の不在時に、「ロナルドが大変だ」と告げに来たアーイン……。嫌な予感しかしない……。
スーは、笛吹きのアーインに対し、常々容赦がなかった。
スーは気絶したアーインの頭めがけて、躊躇なく桶いっぱいの水を、勢いよくぶっかけた。
アーインは、タルール人の発声器官から、独特な鳴き声を上げて目を覚ました。
〈リゼリゼ、ロナロナさまがたいへん。ミ、ミハ……〉
「ミハイル様?」
〈そう、そのミハイーってやつがなぐった。おシロのロウにいれた〉
アーインは、えぐえぐと泣き出した。
〈リゼリゼにっ、しらせろってっ、ワンチェシーさまがぁ……。ロナロナさま、しんじゃやだぁ~! やだあ~!〉
そこまで言って、アーインは本格的に泣き始めたので、ンケイラが水と涙でびしょびしょのアーインを、別室へ連れていった。
──お父様はグレーンフィーン領に行ったのではなかった!
ワンチェシー王子のいるルオフー城にいる!
ミハイル様の通訳として呼び出され、殴られて、危ない……。
……死んでしまう?
「スー、アレクのところに行くわ。案内してもらえる?」
〈おじょうさま、そのまえにジュンビがひつようです。おまちください。〉
そうだ。ルオフーは、距離的に日帰りでは行けない。タルール人の侍女のスーは、リゼットよりずっと冷静だった。
スーは、エアデーン王国人がルオフーに
その間、リゼットは髪を自分でまとめ髪にし、スカートから乗馬服に着替えることしか出来なかった。
準備が出来ると、リゼットより力持ちのスーが鞄を持ち、リゼットの手をしっかり繋いで、居住区内の坂道を降り、港までリゼットを案内した。
リゼットは父の安否だけが気がかりで、ルオフーに行くことしか考えていなかった。
だから、スーが用意したのは、アレクシスの荷物だけだったことには、気がついていなかった。
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