大倭八百万譚

緋月更奈

第1話

 時は流れる。

 神代から、人代へ。

 親から子へ。

 絶え間なく生まれ、生き、死ぬ。


 延々と繰り返される「歴史」は一人では積み重ねることはできない。

 全ての人々の足跡が、経験が、人生が、信念が作り上げてきたそれは時代が移り変わろうと受け継がれていく。


 皇紀二七〇〇年。

 大小の島国が集う倭地方は大倭豊秋津国おおやまととよあきつくにを初め、各地が活気に溢れていた。

 天皇による倭地方の統治が始まり二七〇〇年目を迎えるためだ。

 倭地方は世界最古の国家の歴史を誇り、多くの伝承や神話が語り継がれてきた。


――人と、神と、国は常に共に。




***




 青々とした木々がサワサワと風に吹かれざわめく。

 広大な森の中を地図がなくとも迷うことなく、鼻歌混じりに軽やかな足取りで歩く少女がいた。

 彼女が歩く度に髪飾りに付けられた鈴がチリンと鳴る。

 それは木々のざわめきの輪唱のように調和する音と言っても過言ではなく、木々に似た色の少女の髪が風に吹かれる度に調和の取れた自然と重なり合う音色が心地良い。


 倭地方でも伊予二名国いよふたなくには本国と呼ばれる大倭のような都市化が進んでいる大国や、商業国家と名高く海外との交流が盛んな筑紫国つくしのくに、雄大な北の大地と呼ばれる蝦夷国えぞくにと違い、伊予は自然を多く残した長閑な土地が広がっている小国だ。

 かといって閉鎖的というわけでもなく、国の四分の一を占める精霊の森の中心の精霊樹せいれいじゅには巡礼者が訪れることも多い。


 倭地方には自然界に存在するもの全てに魂――精霊が宿っているという精霊信仰が根強く残っており、伊予では精霊は神の遣いとして信仰されている。


 そして精霊の森はその名の通り、精霊達が集う場所でもあるのだ。


「えーっと、土佐側異常なし。ここからは伊予の領土か……」


 少女が呟きながら右目の片眼鏡の縁を指先で軽く叩くと、浮かび上がったパソコンの液晶画面に触れる。

 一見ただの片眼鏡に見えるそれは膨大なデータやシステムが詰まっている小型化したパソコンのようなものだ。


 慣れた手つきで素早くチェックを入れていくと、画面を閉じ再びてくてくと歩み出す。


 さあっと吹き抜ける風に乗りタンポポの綿毛が飛んでいくのを眺めながら、足を進めていく。

 小川のせせらぎを聞きながら川沿いに進んでいくにつれ、少女の歩みは自然と早まる。


 巨大な木の根を伝ってたどり着いくと、そこには、見上げても天辺が見えないほど高く、少女の何十倍も横に巨大な大樹が聳え立っていた。


 精霊樹。

 天に届くほどと言い伝えられるほどの高さを持つ精霊樹は倭地方最大級の大樹とも言われており、樹齢三千年以上という説があるほど太古からあるのだ。


 少女は精霊樹の元へ歩み寄ると、目の前で目を閉じ祈りを捧げる。


 数秒して目を開けると、サワサワと木々が風に揺れ穏やかな自然の音が聞こえた。


 まるで歓迎されているかのような穏やかさを感じていると、少女の周りに無数の小さな光の粒のような暖かいものが集まり、それに包まれているかのような感覚があった。


 意思を持たない精霊の精一杯の歓迎の意だろうかと少女は微笑みながら光に手を伸ばす。


「今日もいい天気だし、風も気持ちよくて暖かいね」

 個別に意思こそないが、幼い頃から慣れ親しんだそれに声をかけると肩からかけていた鞄から尺八と呼ばれる縦笛を取り出しおもむろに吹き始めた。


 目を閉じ自然の音に違和感なく混ざり合うような笛の音が森に響き渡る。

 精霊達が喜んでいるかのようにふよふよと光の粒が集まっていくと、どこからか風に乗せられ軽やかな歌声が聞こえてきた。


 ふと演奏を止め周囲を見渡すと、いつの間にか近くで精霊に囲まれながら目を閉じて歌う妙齢の女性がいた。

 じ、と少女が見つめていると女性がふと歌を止め目を開くと同時に少女と視線がかち合う。


「あ……」

 どちらが声を上げたかわからなかった。

 或いは両者が同時に声を上げたのかもしれないが、少女は恐る恐る声をかける。

「あの……貴女は?」

 声をかけられた女性ははっと我に返ったような表情から笑顔を浮かべる。

「こんにちは」

「こ、こんにちは……」

 少女と違いたじろぐことなく笑顔で挨拶をしてきた女性は精霊樹を見上げながら問いかけた。


「巡礼の方ですか?」

「あ、い、いえっ! わ、私……伊予の環境保護団体の調査員です!」

「団体の方でしたか、初めまして。私はシンガーソングライターの愛歌あいかです」

「あ、愛歌さん……」

「貴女は?」

「わわ、私は、穂積栞ほづみしおり、です」

 右手を差し出され握手を交わすと、少女――栞は改めて愛歌をまじまじと見つめる。


 羽織から覗く白い手、陶器のような肌にうっすらと乗せられた頬紅、赤みのあるくりっとした双眸、淡い桃色のサラサラとした髪が風に靡く。

「綺麗な笛の音に誘われて、ついここまで来ちゃった」

「あ、ありがとうございます。私、子供の頃からよくこの森で遊んでて……」

「そうなの? 私は一人で発声練習する場所が欲しくて……貴女の笛の音に精霊達が喜んでいたみたいで、私も精霊達に囲まれながら歌うのが好きなの」

 心底楽しそうな愛歌に栞もつられて笑っていた。

「愛歌さんの歌も素敵でしたよ!」

「ありがとう。じゃあ折角出逢えたから……そうだ」

 愛歌は巾着から扇を取り出し空に翳して扇いだその瞬間。

 ぶわっと風が吹いたかと思えば小川の苔むした大きな岩が風に乗って近付いてきた。

 驚く間もなく愛歌がひょいと岩に乗ると、栞へと手を伸ばす。

「栞ちゃんも乗って。ほら」

 言われるままに差し出された手を取り岩に乗ると、ふよふよと浮いている岩が更に上空へ向かう。


「ちょっと上の方に行こうか」

 愛歌が再び扇ぐと、いつもより高い場所からの景色に栞はきょろきょろと目を輝かせていた。

「すごい……も、もしかして愛歌さんも使い人ですか!?」

 栞が告げると、愛歌は「当たり」と悪戯っぽく笑う。


 使い人。

 倭地方の人々は八百万の神の一柱から加護を受け、能力を授かる。

 授かる能力は人それぞれであり、力の強弱こそあるが全ての民が加護を受け能力を授かっているのだ。


「私は風使い。栞ちゃんは?」

「え? あ、私は樹木使いです」

「そっかぁ……」

 互いに段々と口数が少なくなったが、気まずいとは思わなかった。

 小川のせせらぎや木々のざわめき、鳥の囀り、ぽかぽかとした暖かい日差し。

 全身で自然を感じる心地良さに暫くぼんやりとしていたが、やがて愛歌に「そろそろ下りる?」と訊ねられ、栞はこくりと頷く。


 地に足をつければ愛歌は扇を手に岩を元あった場所へ風に乗せ運ぶと、くるりと栞の方を向く。

「付き合ってくれてありがとう」

「私こそ、ありがとうございました!」

 愛歌にぺこりと頭を下げると、栞は背を向けた愛歌を呼び止める。

「あの!」

「ん?」

 振り返った愛歌に栞はにこりと微笑み、自然とそれを口にする。

「また、逢いましょうね」

 栞の言葉に愛歌も微笑みながら返す。

「うん、またね」


 互いに背を向け歩き出すと、栞はふと足を止め精霊樹を見上げる。


 きっと再びここへ来れば逢えるだろうと、新たに結ばれた縁を感じながら栞は再び歩き始めた。

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大倭八百万譚 緋月更奈 @hi2ki_1sousaku

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