第2話 食べられない物
世界には食物が溢れている。
貧困に苦しむ地域もあるとは思うが、僕の住んでいる日本はあまり貧困では苦しんでいないようだ。
美食と呼ばれる食もあれば腹を満たすだけの食もある。
そんな食余る世界の中で、贅沢にも食べられない物が僕には多数存在する。
嫌いな食べ物等ではない。そんな贅沢な感覚は残念ながら持ち合わせていない。
文字通り食べられない。身体が受け付けない。そんな食べられない物が僕の世界には多数ある。
何時からだろうか?多分物心がついた時からだろう?僕は「ニンジン」が食べられない。
子供が嫌いな代表格のピーマンは好物だった。
だけれども、あのオレンジ色の細長い、英語で言うキャロットは身体が受け付けない。
もう最後に食べたのはいつかも覚えていないし、記憶も遥か昔で味も分からない。
嫌いな食べ物と言うのは、大人になると克服も出来るし敬遠も出来る。
大人になるにつれ我慢して食べれるようになった物や大人になったからこそ嫌いな食べ物は食べない事も出来る。
でも僕の場合はそれよりも強烈で、僕の場合の「ニンジン」は食べられない物なのだ。
小さい頃の給食で衝撃的な食べ物に僕は出会った。
その名は「ニンジンパン」
知っている人は知っていると思う。細かく四角くカットした「ニンジン」がコッペパンにまぶされている、あの見た目もグロテスクな恐怖のパン。
僕はパンは好物だ。小さいころから朝は食パンだったしコッペパンも大好きだ。
でも、流石にあれは無いだろう。
何がどうしてコッペパンに「ニンジン」をまぶさなくてはいけないのか。
白と茶色のコッペパンにオレンジ色の差し色はどう考えても似合わない。
時代は昭和の時代。給食を残さず全部食べないと昼休みまで教室に残されて給食を食べさせられる時代。僕も例に漏れず「ニンジンパン」の日は昼休み返上で教室に残された。
学校の先生が教団の前で僕が「ニンジンパン」を全部食べ終えるのを見張っている。
しかし、いくら全部食べろと言われても食べられない物は食べられない。
お腹がいっぱいなわけでも無ければ、嫌いな食べ物と言うわけでもない。
今まで食べたことのない未知なる物体が「ニンジンパン」というさらに未知なる物体に化けて僕の前に表れてきているのだ。
単純に食べ物だと思えないし、その辺の道端に転がっている不明な実と同じで
”要は食べられない物なのだ”
これは給食センターのおばちゃん達の影なる仕返しだと僕は密かに思っていた。
常日頃のおばちゃん達の僕等への鬱憤を「ニンジンパン」に込めて攻撃を仕掛けてきているのだと。
そんな僕は学校の規則に屈することも無く、昼休みが終わっても5時間目が終わっても「ニンジンパン」を一口も口に入れる事もしなければ触る事すらせず、先生を諦めさせ「ニンジンパン」との戦いに打ち勝ってきた。
しかし、この強敵な「ニンジンパン」は給食のおばちゃん達の鬱憤と共に僕の前に度たび表れた。
小中学校合わせて数十回と登場し、ウルトラマンのバルタン星人よろしく僕を毎度苦しめるのであった。
「ニンジンパン」を卒業した僕は暫く「ニンジン」とは距離を置き、肉じゃがやカレーなどの「コロコロニンジン」も避けれる歳へとなってきた。
一度だけBarで働いているときに、アルバイトの子が初めて作ってくれた賄いのコロッケを感動しながら食べていたら、そのコロッケに「ニンジン」が入っていて(しかもジャガイモが生だった)”ごめん”と一言便所へ駆け込んだ事はあったが、覚えている事はそれ位で後は「ニンジン」とは疎遠の生活を送り今の地沖縄へ僕はやってきた。
そして沖縄で久々に「ニンジン」の衝撃を受ける。
「ニンジンシリシリ」という食べ物をご存じの人もいると思う。
もうどうなっているのか、どういう調理法なのかもわからないが、とにかく「千切りのニンジン」が味付けされ、そのままドカンと出てくる沖縄の郷土料理である。
僕が初めて「ニンジンシリシリ」を見たのは近所のスーパーの惣菜コーナーでのこと。
”なんだこれ?”僕の率直な第一印象である。
歳を重ね、大分驚くことも少なくなった人生において久々の衝撃である。
千切りのオレンジ色の塊がパックに包まれて、総菜コーナーの結構メインの場所に並んでいる。
たかだか「千切りのニンジン料理」が一パック280円。
それでも中々にそれは売れている。
深夜にスーパーへ行くと唐揚げや弁当類は残っていることが多いが「ニンジンシリシリ」が残っているのは見たことがない。
それどころか値下がり品の値札が貼られているのすら見たことがない。
それほどまでに「ニンジンシリシリ」は沖縄ではメジャーな島民に愛されている料理なのだ。
そんな郷土愛に溢れた「ニンジンシリシリ」だが、当然「ニンジン」なので僕は見るのも嫌いだ。
沖縄に来たばかりの僕は、パックを触わったら手に「ニンジン味」が付きそうな感じがして、パックに触らないように隣の春巻きやレバニラを取りながらレジへ向かったのを覚えている。
しかも、この「ニンジンシリシリ」意外と居酒屋でも人気なのだ。
観光に来て沖縄料理を楽しみに食べる人達は勿論、うちなんちゅーでも昔から親しんだお袋の味とでも言うのか内地で言う肉じゃがのような懐かしさを込めて食べる人達も結構いる。
僕からすると沖縄に来てTOP3に入る沖縄摩訶不思議だが、まあ人それぞれの好みと言う事だろう。
因みに僕の仕事で関わった人は、一緒に飲みに行った際に”うまい、うまい”と言いながら一人で三皿食べていた。それを見ていた僕はビール2杯で早くも泥酔になった気分におちいった。
そんなこんなで「ニンジン」の事ばかり書いていたら、「ニンジン」が脳裏をよぎり少し気分が悪くなってきた。
頭の中がオレンジ色になってきたので、取りあえずスッキリしたい気分だし、今回はここまでで辞めておこうと思う。
今回は僕の食べられない物の代表格「ニンジン」について書いたが、僕には「ニンジン」だけではなく、食べられない物がまだまだ沢山ある。
それらをまとめて一気に書こうと思っていたが、書ききれる量では無かったので、それはまたの機会にでも書こうと思う。
今回は僕の食べられない物についてでした。
たまにつぶやき 楽写遊人 @KO1_LS
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。たまにつぶやきの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
年の瀬ぎりぎりに洗車に行く/渡賀 みしお
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 2話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます