第33話 深淵の探求




 ドアを叩く音で目を覚ます。


 随分と懐かしい夢を見ていた。


 ロイが魔法使いを目指すきっかけになった、若かりし頃の記憶。


 師の元で過ごした時間は、彼の人生にとって掛け替えのない宝物だ。


 どうやら研究の資料をまとめている途中で居眠りをしていたようで、机の上には整理している途中の資料が散雑に置かれていた。


 どうにも疲れが溜まっているらしい。


 若い頃は、その情熱に任せて無理がきいたものだったが……いかに天才とはいえ、寄る年波には勝てないようだ。


 この年になって、ひたすらに不死の研究に励んでいた師の考えが理解できるようになった。


 時間が足りない。


 なそうとしている目標に対して、人間という短命の種族では、明らかに時間が足りないのだ。


(まあ、優秀な跡継ぎがいるだけ、私はまだマシかな?)


 そこでロイは、ドアをノックした者に入室の許可を出していない事に気がついた。

 この部屋を尋ねてくる者など決まっているのだが。


「入れ」


 許可を出すと、遠慮がちにドアを開けて入ってきたのは息子であるローガン・グラベルだった。


 グラベル家の勢力は強大になったが、ロイ個人としては身の回りの世話を他人にさせる事が好きで無く、家の使用人の類いはロイの部屋に入る事は許されていない。


 結果として、当主であるロイへの報告は全て息子のローガンが担当することになってしまった。


 少し申し訳なさもあるが、そも、家に使用人を雇うこと自体気が進まなかったのだ。あまりに権力を大きくしすぎてしまったのかもしれない。


 ローガンはロイの様子を見て少しため息をついた。


「父上、少し根を詰めすぎているのでは? 顔色がよろしくないようですが」


 心配してくれている息子に、ロイは力なく笑った。


「確かにな……だが、おちおち休んでもいられんのだよ。研究の時間は少しでも惜しい」


「やれやれ、父上にはかないませんな。お忙しいところ申しわけございませんが……悪い知らせがあります」


「……報告を聞こうか?」


「脱走した貴族の娘を奪還するために仕向けた番犬ですが……どうやら全滅したようです」


「…………ほぅ?」


 それは中々におもしろくない話だった。


 ケルベロス部隊は、ロイ・グラベルが多くの資金を費やして結成した超エリートの始末屋部隊だ。


 その実力は、そこいらの国の正規軍団と比べても非常に高く、グラベル家にとっての切り札の一つでもある。


「……確かケルベロスには ”死神” を付けていた筈だが? 奴はどうなった?」


「不明です。現場にはケルベロスの死体しかありませんでした……奴の能力からいって、死んだとは考え辛いですが……」


 ”死神”


 魔法適正のない人間に無理矢理魔法を使わせるという実験の、唯一の成功事例。


 結果として、魔法適性を後天的に与える事は出来なかったが、魔法触媒との適合率を高めるという実験は成功した。


 死神は通常ではあり得ないほど、魔法触媒への適性が高くなっている。


 その体には無数の高価な触媒が埋め込まれており、その効果により、彼は生半可なことでは死ぬことができない。


「貴族の娘は死んでいるようで、近場に丁寧に埋葬された後がありました。しかし、彼女が雇ったという傭兵と、死神の姿がありません」


「ふむ……であればその二人は生きていると考えた方が良いか」


 考えられる可能性としては、追手との戦闘に巻き込まれて貴族の娘は死に、雇われた傭兵はケルベロス部隊を殺した後に逃亡。死神は現在それを追っているといった所だろうか?


 しかし、その推測が正解だとすると、死神の挙動だけが腑に落ちない。ターゲットの娘が死んだのであれば、その娘のボディーガードを追いかける事に何の意味があるというのだろう?


「死神の行方が気になるな……奴は貴重な成功サンプルだ」


「そうですね。では、調査部隊を編成いたします」


「些事は任せた……資金は好きに使え」


 ローガンは深々と頭を下げると部屋から出て行った。


 その後ろ姿を見送って、ロイは深いため息を吐く。


 上手くいかないことが多くてうんざりする。


 全く、人の世で生きると言うことは面倒だ。


 ロイは、ただひたすらに魔法の深淵を探求していれば満足だった。


 しかし、彼の研究が世に広まれば広まるほど、世の中はロイの才能を放っては置かなかったのだ。


 静かに目を閉じる。


 瞼の裏に浮かぶは、夢に見た若かりし頃の自分の姿。


 かつて大魔法使い ”不老” のセシリア・ガーネットは、魔法の事を「敗北が運命づけられた技術」だと揶揄した。


 それは決して、彼女が皮肉屋だからこそ、魔法という技術をそう嘲ったのでは無い。


 彼女はにんげんという種族にあるまじき高みにまで魔法を極めてしまった。


 極めてしまったが故に見えてしまったのだろう。


 この技術体系の矛盾が。


 しかし、彼女は絶望しなかった。


 論理的には不可能であると理解しながらも、真の不死を目指して魔法の探求を続けているのだ。


 不可能であると知りながら、それでも抗い続けるその姿にロイは惹かれた。


 魔法という概念すらぶち壊して、まだ見えぬその先へ行こうという、その無謀さに強烈に憧れたのだ。


(私は師の想いを引き継ぎ、魔法という概念そのものを超える……しかし、やはり人の世は煩わしい)


 あぁ、ただひたすらに魔法のみに向き合えたらどれだけ幸せだろうか?


 天才ロイ・グラベルは、全身の疲労に身を任せ、そのまま静かに寝息を立てるのだった。




 

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