家の守り人
毎年夏になると、玄関にヤモリもしくはイモリが出る。家に出るのだから、ヤモリだろうと、父親が言っていた。
玄関のドア横のガラスに、ぺたりと外側から張り付いているので、つるりとしたお腹が見えるだけだ。玄関の外からよく見ようとすると、隅に逃げてしまう。
昔からいたわけではなく、四年ほど前の、梅雨終わりに急に現れた。てっきりその年だけかと思っていたが、以降毎年現れるので、彼らはここを繁殖地に決めたのだろう。毎年、夏が近づくと張り付いていた。二匹張り付いていた時もあった。
進学で家を出たその家の娘が、ホームシックに耐えられずに帰ってきた。
梅雨の途中だというのに、部屋にこもる空気は熱く、汗をかいて思わずかゆくなった皮膚を掻いて、鎖骨が赤くなった。冷感マットを敷くべきだったかもしれないと後悔するほど、敷布団のカバーはべったりと彼女の素足に張り付いて、顔を埋める枕は熱い空気を吐き出していた。
夜になり、風呂から上がった彼女は、ペタリと張り付くヤモリを見た。熱くなるとやはり現れるらしい。いったいこれで何代目だろうかと思いながらじっと見ると、そのヤモリには尻尾がなかった。
「尻尾どうしたんだキミ」
思わず彼女がつぶやくと、ヤモリは隠れるように上の方へと昇って行った。詳しくは知らないが、ヤモリはトカゲとずいぶん似ているから、きっと尻尾も再生するのだろうと彼女は思った。
何か外敵にでも襲われて、尻尾をおとりにしたのだろう。それにしても、四年近く表れた彼らの中で、尻尾を切ったのを見たのは初めてだった。
**
彼女は夢を見た。
夢の中では、件のヤモリが、自身の短くなった尻尾をじっと見ていた。
「治る?」
隣にしゃがみ込んで、そう声をかけると、ヤモリは彼女のほうを向いて、一応ね、と答えた。
「でも、完全に元通りにはならない」
「そうなの?」
「短くて太くなる。それに時間もかかる」
「大変じゃん」
「まあ、仕方ない。僕はヤモリだからね」
まぁるい黒々とした目を伏せて、諦めたように首を振りながらヤモリが言った。
「家を守るのが仕事だから、仕方ない」
「家って、誰の?」
「君らにきまってるだろ」
呆れたようにヤモリが言うので、娘は驚いたように目を見開いた。
「家を守るって書いて”
「結んだ覚えないけど……」
「まあ、書類とかは交わしてないからね。でも、ヤモリがいると縁起が良いっていうだろ。それは契約に気づいた人が広めたからさ」
「あっ、金運が上がるとか、人間関係が良くなるとか、妊娠の兆しとか、そういうやつ?」
「え、そこまで言われてるのか? さすがに盛りすぎだろ。……いや、悪いもんの処理は確かにしてやってるから、その結果そういった良いことが起きてるのかもな」
「へえ、私はてっきり、虫とか食べてくれるからそう言われているのかと思ってた」
「それは付属効果。家を守ってやるってのが本当の契約で、虫を食べるのは僕らが生きるために必要なだけだ」
「初めて知った」
「だろうね。お前はある意味箱入りだから。知らないことも多いんだろ」
その言い草にむっとした表情で、娘はヤモリの体を突いた。ぶにゅっとしていて、生をダイレクトに感じさせる感触で思わず手を引っ込めた。
ヤモリが抗議するように彼女を睨みつけた。
「おいっ、やめろよ! 守ってやったやつに何て仕打ちだ!」
「箱入りなんて言うからじゃん。それに私、春から一人暮らししてるんだけど」
「春からぁ? 本当か? 何度か帰って来てなかったか?」
「二回だけだよ!」
「今、まだ六月に入ったばっかだぜ。早いって」
「それは確かに」
私もそう思う。と素直に彼女が頷くので、ヤモリは短くなった尻尾を、びたん、びたんと振って笑った。ずいぶんと癖のある笑い方だなと娘は思った。
「でもまあ、いいよ。ここはお前の家だからな、帰ってきていいんだ。そん時に連れてきた厄介な奴は、僕らが対処してやるよ」
「えっ。私なんか連れてきた?」
「連れてきたとも。夜寝れなくなったらかわいそうだから、詳しいことは言わないでおいてやるけどな。やっかいな、面倒な奴だったよ」
「もしかしてその尻尾って」
「みなまで言うなって」
小さな指をちっちっと振って言うので、娘は口を噤んで、今度はそっとヤモリの頭を撫でた。やっぱり柔らかくて、どこかひんやりしていた。
「あんがと」
「契約だからな。この家の人は守ってやるさ」
「私って自立したから、この家の人じゃなくなった?」
「そんな軽いノリで決めるかよ。少なくともお前が、ここに帰って来て安心するなら、ここがお前の家だろ。安心して帰ってくるといいさ」
「分かった」
足がしびれたので立ち上がると、くらくらと眩暈がした。急に立ち上がると、よく起こる。小さいころからそうだった。分かっているはずなのに、いつも勢いよく立ち上がってしまう。
無理やりダンスを踊らされているような、ぐわんぐわんとした揺れに頭を押さえて、小さくうめいていると、それを見て面白そうにヤモリが笑った。
「成長しないなぁ、お前は」
何を分かった風に、と彼女は反論しかけたが、ふと、ヤモリの寿命は10年ほどだと、いつしかネットで見たのを思い出した。
もしかして……と口に出す前に、彼女は別の夢へと移動させられてしまった。
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