10センチ目「悲しき再会」

 俺は人間の姿になったクリアと、自宅の居間でくつろいでいる。

 今日は様々なことが怒涛のように起きてなかなか落ち着くことができなかったが、ここに来てようやく落ち着いた心地がして、俺はほっとため息をついた。


 対面に腰かけるクリアは、コップに汲んでやった水をぐびぐびと飲んでいる。これで三杯目だ。華奢な体の割には、食べる量も飲む量も多いようだ。いわゆるやせの大食いというやつだろう。


「もう大丈夫なのか、クリア?」


「うん、大丈夫!」


 クリアは椅子から立ち上がると、その場でくるりと一回転した。遠心力によってワンピースの裾がふわりと広がる。


「いきなり定規に戻るもんだから、どうしようかと思ったよ」


「びっくりさせてごめんね、クウ。でも、変身のコツをつかんだからもう大丈夫!」


 クリアは光を放ちながら変身した。その直後、クリア定規がフローリングにコトンと落ちる。


「おお……!」


〈なんか、こっちの方が楽かも〉


 どういう原理か分からないが、定規の状態でも喋れるらしい。人間の姿を保つのに比べて省エネルギーだから、楽に感じるのかもしれないと俺は想像した。


「紫央姉の前では、常にその状態でいてくれ。お前の存在がバレるとまずいからな」


〈そうなの? どうして?〉


「どうしてもダメなの! これはお前のためでもあるんだ。分かったな?」


「うん、分かった」


 再び光を放って人間に変身したクリアはこくりとうなずいた。

 これで、目下の問題であったクリアの居場所について解決したことになる。


 手持ち無沙汰になった俺は、ふとスマホをのぞいた。通知が来ていたので、連絡用のメッセージアプリを開くと、そこには春菜からのメッセージが届いていた。


 内容はこうだ。

 「会って話したいことがあります。今夜七時、大学の裏手にある公園まで来てください。クリアちゃんも必ず一緒に連れてきてください」。

 真面目な春菜らしい、丁寧で簡潔な文章だった。


 俺は壁にかけてある時計を見た。時計の針は午後六時を示している。いまから出かければまだ間に合いそうだ。


「クリア、これからもうひと頑張りできるか?」


「どうしたの、クウ? なにかあったの?」


「春菜が、俺たちと会って話がしたいって」


「そっか。休んだから、わたし大丈夫だよ」


 クリアは両腕を上げてガッツポーズをした。元の調子が戻ってきたようで何よりだ。


 それにしても、話したいこととは一体何なのだろうか。クリアを必ず同伴して来いということは、彼女に関係した話題であることは間違いないだろう。


 一瞬嫌な想像をしてしまい、俺はぶんぶんと頭を振ってその考えを取り払った。まさか、春菜まで『道具の頂点を決める戦い』に巻き込まれたなんてことはないだろう。少しネガティブに考えすぎた。


 何はともあれ、行ってみなければ始まらない。俺はかけ声を出して自分に気合を入れると、重い腰を上げた。


「それじゃあ行こうか、クリア」


「うん!」


 クリアの手を引いて、俺は家を出た。外はすっかり暗くなっており、ぽつぽつと立ち並ぶ街灯が道路を明るく照らしている。


 俺たちは最寄り駅から再び電車に揺られ、大学の方面へと向かった。今度はちゃんとクリアの分の切符も買ってあるから、何も言われなかった。


 大学の裏手には、小さな公園がある。一通りの遊具が揃っているちゃんとした公園だが、人が使っている場面を見たことはほとんどない。


 春菜はなぜあんな辺鄙なところを待ち合わせ場所に指定したのだろうか。

 話をするだけなら大学の学食を使ったっていいはずなのに、あえてその公園を選ぶ理由が俺には分からなかった。


 電車を降り、正門前の坂を上り、大学の中を通り抜けて、裏門から出る。狭い路地を進むと、そこにくだんの公園があった。


 公園の中に一本だけ設置されている街灯に照らされて、春菜は立っていた。

 その隣には、丸い耳のついたフードを被った小柄な人物が立っている。フードの端から茜色の短髪が少しだけはみ出して見えた。


「おっす、春菜。もう来てたんだな」


「うん」


 春菜の顔はうつむいており、その表情は伺えない。


「話ってなんだ? こんなところに呼び出すってことは、あまり人に聞かれたくないことなんだろ?」


 そう言いながら前に一歩踏み出すと、春菜は手を挙げて俺を制止した。


「来ないで!」


「!!」


「それ以上、こっちに来ないで。そうじゃないと私、気持ちが揺らいじゃう」


「何を言ってるんだ、春菜? 分かるように説明してくれよ」


 俺が笑顔で語りかけると、春菜は何かに耐えるように両の拳をぎゅっと握りしめた。


「もう分かってるんでしょ、空くん」


 投げつけられたその一言に、俺は沈黙した。


 この状況を見て、何が起きているのか分からないわけではない。しかし、認めたくなかった。悪い予想が的中したなんて信じたくなかったのだ。


「俺、お前とは戦いたくないよ。クリアだって、お前のこと信用してたじゃないか。なのに、なんで――」


「ツクモ同士は戦うのが運命さだめ。その流れから逃れることは決してできない」


 上空から声が聞こえて、俺は斜め上を振り仰いだ。

 街灯のてっぺんにふわりと舞い降りたその女の背中には、大きな翼が生えていた。

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