9センチ目「歓迎会延期のお知らせ」

 俺とクリアは先輩たちが待つ休憩スペースで合流するため、階段を降りていく。

 先輩たちには、クリアが体調を崩してトイレにこもっていたと言っておいた。なかなか強引な理由づけだが、筋書きとしては悪くないだろう。


 そのとき、クリアがふと俺の手を引いた。


「ん、どうした?」


「クウ……なんか気分悪い……」


「えっ!?」


 嘘から出た真とはまさにこのことだろう。顔色が悪いクリアを、俺はそっとのぞき込んだ。


「戦ったとき、どっか怪我したか?」


「分かんない……」


「もう少しだけ頑張ってくれ。もうすぐ着くから」


 クリアを介抱するため、俺たちは多目的トイレに入った。トイレの便器の中なら、いつ吐いても大丈夫だ。


 しゃがみ込んだクリアの背中をさすってやっていると、彼女は大きなため息をついた。


「ごめん、クウ……ちょっと休む……」


 そう言うと、クリアはなんと定規に戻ってしまった。中央部に緑の宝石がついたクリア定規が、床の上にからからと音を立てて転がる。


「マジかよ……」


 半信半疑が確信へと変わった瞬間だった。本人が言っていた通り、クリアは本当に定規だったのだ。


 俺はその定規を拾い上げると、トンカチが入っている方とは逆のポケットにしまった。クリアが再び人間の姿に戻るまで、落とすわけにはいかない。


 トイレを出た俺は、言い訳の辻褄を合わせるために思い悩みながら、一階の休憩スペースへと向かった。主賓がいなくなるなんて想定外の事態だ。一体なんと説明すればいいのだろうか。


 もっとも、こうしてずっと悩んでいるわけにもいかない。俺は意を決して、先輩たちと合流することにした。

 集合場所に到着すると、先輩たちは心配そうにこちらを見た。


「どうだ、クリアちゃんの具合?」


「すいません、ちょっとはしゃぎすぎたみたいで。疲れちゃったって言うんで、いったん家に返しました」


「そうだったのか。一人で大丈夫かな」


「何かあったら連絡しろって言ってあるので、たぶん大丈夫だと思います」


 全て口からでまかせだ。多少強引だが、これでいちおう言い訳は通る。先輩たちを騙すのは心苦しいが、本当のことを言うわけにもいかないから、仕方がない。


「残念だが、歓迎会はまた今度だな」


「すいません。ご迷惑をおかけして」


「いや、クリアちゃんの体調を優先してくれ。それから、これ」


 高坂先輩は衣料品が入った袋を二つ、俺に渡してきた。中には、クリアと一緒に選んだらしき服がたくさん入っている。


「ありがとうございます。お代はお支払いします」


「気にするな。これは私からの餞別せんべつだ。何も言わずに受け取ってくれ」


「……すいません。恩に着ます」


 俺が頭を深々と下げると、高坂先輩は俺の肩をポンポンと叩いた。


「たまには先輩を頼るものだぞ?」


「そうですね。そうかもしれません」


 一人で出来ることには自ずから限界がある。それを実感するとともに、先輩の優しさをひしひしと感じた。


「それでは、今日のところは引き上げるとしようか」


「俺、家に戻ります。荷物もあるし、それにクリアのこともあるので」


「分かった。山内やまうちくんには私たちから伝えておこう」


「お大事にな」


「ありがとうございます。それじゃ、失礼します」


 俺は先輩たちと別れ、ショッピングモールを出ると、そのまま自宅へと向かった。今日は朝から立て続けに色々なことがあって、もうへとへとだ。一人でゆっくり休憩したいというのが本音だった。


 電車に揺られる俺は、ポケットの中にいるクリアを手でいじりながら考える。

 クリアについての謎は深まるばかりだが、一方で大きな進展もいくつかあった。


 トンカチは『道具の頂点を決める戦い』と言っていた。


 クリアやトンカチ以外にも同じような道具人間がたくさんいるのだとすれば、再びああやって襲われる可能性は高い。これからは気が抜けない毎日になりそうだ。


 もし負ければ、おそらくクリアもトンカチのように消えてしまうのだろう。

 元の道具に戻るだけだといえばそれまでだが、一緒に行動して会話を交わした以上、感情移入するなという方が無理がある。

 彼女の命を守るためには、その戦いとやらを勝ち抜いていくしかないのだろう。


 桁違いのパワーを持つ道具人間と戦うのは恐ろしい。恐ろしいが、それよりもっと恐ろしいのは、クリアというかけがえのない存在を失うことだ。


 俺はクリアを手で握りしめながら、静かなる誓いを立てた。

 どんな敵が来ようとも、クリアは消滅させない。

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