8センチ目「クリア猛る」

 クリアは瞬時に背を逸らして、トンカチの両腕のハンマーをすんでのところで避けたのだ。

 唖然とするトンカチに向かって、クリアはぼそりと呟いた。


「よくもクウを……!」


 クリアは拳をギチギチと握りしめ、静かなる怒りを込めてさらに言い放つ。


「クウを傷つけるやつは、わたしが許さない……!」


 トンカチは慌てて左のハンマーを切り返し、クリアを狙う。

 その刹那、クリアは上体を前に倒しながら、トンカチの顔面目掛けてジョルトブローを放った。


 トンカチはきりもみのように回転しながら吹っ飛んでいき、試着室の方から悠々と歩いてくるおっさんにぶつかった。


「ぶへぇっ!?」


 おっさんは戦況の変化が飲み込めていないようで、のしかかったトンカチに向かって罵声を浴びせた。


「何してんだ! このウスラトンカチ!」


「申し訳ありません、ご主人様。いますぐに片付けますので」


 トンカチは急いで立ち上がると、再びクリアに向かっていった。左右のコンビネーションを巧みに使って、クリアに隙を生み出そうとする。


 しかしクリアはそれをするりとかわすと、顎に強烈なアッパーカットをお見舞いした。トンカチの体が数十センチほど浮き上がる。


「これで決まりっ!」


 クリアは最後に、がら空きになった腹部に華麗な前蹴りをぶち込んだ。


「ぐはっ……!」


 トンカチは体をくの字に折り曲げつつ、近くの商品棚に背中から突っ込んだ。


「ひ、ひいぃっ!」


 おっさんは倒れて動かなくなったトンカチを見ると、一目散に逃げ出した。ずいぶんと薄情な男だ。


 クリアは振り返ると、心配そうな顔で俺の下へ駆け寄ってきた。


「クウ! 大丈夫!?」


「ああ、なんとかな」


「よかったぁ……」


 涙目で抱きついてきたクリアの頭を、俺は労いの意味も込めて優しく撫でた。

 あそこでクリアが頑張ってくれなかったら、今ごろどうなっていたか分からない。そう考えると恐ろしかった。


 俺はクリアに支えられながら立ち上がると、トンカチの下へ歩み寄った。彼女はもはや戦意を喪失しているようで、向かって来ようとする気配はない。


 隣に屈み込んだ俺は、トンカチに尋ねる。


「なんであんなやつの言うことなんか聞いてたんだ? 本当は嫌だったんだろ?」


「えっ、そうなの?」


 驚くクリアに、トンカチはこくりとうなずいた。


「どうして分かったの、クウ」


「俺とやり合ったとき、手加減してくれたからさ。そうじゃなかったら、今ごろ両腕とも使い物にならなくなってるよ」


 俺は両腕を振りながら、クリアに笑ってみせた。

 トンカチは大きく嘆息すると、相変わらずの無表情で俺を見つめた。


「私は道具です。持ち主に使われることが使命なのです。例えそれがどれほど非道な人間であっても、持ち主である以上、その指示に逆らうことはできません」


 それを聞いた俺は、複雑な心境だった。人間に使われる道具の立場に立って、物事を考えたことがなかったからだ。

 子が親を選べないように、道具は持ち主を選べない。それは不変の真理だった。


「私も、あなたのような持ち主に選ばれたかった……」


「そんな悲しいこと言うなよ。これから俺たちと一緒にーー」


「いえ、もう私の命は長くありません。これを見てください」


 どういう原理かは分からないが、トンカチは両腕のハンマーを普通の手に変形させると、レオタードの腹部を破って穴を開けた。


 露わになったおへその部分には、ひび割れた緑色の石が埋め込まれていた。その石は本来の輝きを徐々に失い、くすんでいっているように見えた。


「私の命を繋ぎ止めている石です。先ほどのあなたの攻撃で、大きく破損しました。私の姿はもうすぐ本来のトンカチに戻るでしょう」


「そんなこと、知らなかった……! ごめんね、トンカチ」


「いいのです。我々ツクモはお互い戦う運命にあります。遅かれ早かれ、負ければこうなっていたことでしょう」


 クリアは涙を浮かべながら、トンカチの手をぎゅっと握った。トンカチはそこで初めて笑顔を見せた。


「あなたたちは、嫌が応にもこの『道具の頂点を決める戦い』に巻き込まれていくことでしょう。どうか、私の分まで戦い抜いてください」


「うん、分かった……忘れないよ、トンカチのこと」


「ああ、俺も忘れない」


「ありがとう。それを聞けただけで十分です」


 トンカチはそう言うと、安らかな顔で目を閉じた。

 横たわったトンカチの体が徐々に透けていく。最後にその場に残ったのは、何の変哲もないハンディサイズの金槌と、真っ二つに砕けた緑の石だった。


 俺はそれらを拾い上げてポケットにしまった。大切な宝物だ。ここに置いていくわけにはいかない。


 気がつけば、周囲はいつの間にか戦う前の状態に戻っていた。一人も見かけなかった買い物客も、いまでは沢山いる。


 さっきの空間はおそらく、クリアとトンカチが戦うために生み出された結界のようなものだったのだろう。事実の辻褄を合わせると、そうだとしか思えなかった。


「行こう、クリア」


「うん」


 俺たちは先輩たちと合流するため、店を出た。

 ふとスマホを見ると、不在着信が何件も入っていた。何と言い訳すればいいか頭を抱えながら、俺は高坂先輩に電話をかけるのだった。

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