11センチ目「逃れられぬ運命」

 俺は自分の目を疑った。

 その女は街灯の上の僅かな平面を足場にして立ち、白いドレスの裾をなびかせている。宵闇に浮かび上がるその姿は美しく、どこか神々しくさえ見えた。


「どうしたのですか、ハルナ。なぜ避人円ひじんえんを展開しないのですか?」


「それは……」


「私が言ったこと、忘れたわけではありませんね?」


「……はい、天使様」


 春菜はポケットから白いスマホを取り出すと、画面を操作した。春菜を中心にして透明な膜のような半球が現れたかと思えば、それは一気にサイズを増し、俺たちを公園ごと包み込む。


 俺はショッピングモールで出会ったおっさんとトンカチとの戦いを思い出した。あのときも、店内は似たような膜に覆われていた。心置きなく戦う環境を作るための、魔法の一種なのだろう。


「おい、いいのかよハルナ……?」


「いいの、ゴンタ。私のことは気にしないで、思い切りやってきて」


「よし、分かった。ハルナがそう言うなら、オレも心を決める」


 耳付きパーカーを着た少女は、足を肩幅に開き、腰を落とし、掌底をこちらに向けるようにして構えた。


「行くぜ、クウ、クリア。ぶっ倒される覚悟はいいか?」


「来るぞ、クリア!」


「うん!」


 クリアもそれに応じて、開いた両手を前方に掲げる。

 一瞬の睨み合いの後、勝負は始まった。


 ゴンタと呼ばれた少女は俊敏に駆け寄ると、左のジャブを数発浴びせた。クリアはそれを両手で丁寧に捌いていく。


 クリアはそのお返しに、鋭い左ストレートを放った。ゴンタは首を捻ってそれを避けると、重心移動を利用してローキックを繰り出す。


 クリアは小ジャンプでそれを避けつつ、前蹴りを放った。ガードしたゴンタの両腕を踏みつけにして、クリアは後方へ飛びずさる。


「へえ、結構やるじゃん」


 ガードを解除したゴンタは、クリアを見て嬉しそうに笑った。彼女はわずかな攻防の間に確かな手応えを感じたようだった。


 一方の春菜は、浮かない顔をしている。

 俺は春菜のことが心配になって、思わず呼びかけた。


「春菜! 本当にこれでいいのか!?」


「うるさい!」


 春菜は両手で耳を塞ぎ、嫌がるように首を振った。それでも、俺は叫ぶのをやめない。


「戦う以外の解決方法があるんじゃないのかよ!? いったんやめて、話し合おう!」


「ああ、もう! 黙っててよ! ゴンタ! 早くやっつけて!」


「ハルナ……」


 春菜は泣きそうな顔で、説得する俺をにらむ。ゴンタはゴンタで、困ったように春菜を振り向いた。


 天使は俺たちのそんな様子を見兼ねたらしく、重力を完全に無視した、ゆったりとした落下速度で地面に降り立った。


「そこの人間、なぜ戦いを拒むのですか? あなたたちは頂点を目指す敵同士。馴れ合う理由はないはずです」


「よう、天使様。お前が春菜を戦うように仕向けてんのか?」


「今回は特別に教えてあげましょう、人間。垢の詰まった耳の穴をかきほじってよく聞きなさい」


 天使は嘆息すると、俺を諭すように語る。


「私たち天使にはツクモの生殺与奪を決める権限があります。そして、戦いに後ろ向きな持ち主など必要ありません。新たに別の持ち主を探せば済む話です」


 なるほど、春菜が苦しんでいる理由がようやく分かった。この天使がゴンタの命を質に取って、戦えと脅しているのだ。


 それならやりようはある。冷たい顔で言い放つ天使を、俺はびしっと指差した。


「へえ、そうかい。それじゃあ、あんたをここで倒しちゃえば、春菜は苦しまなくて済むってことだな?」


「いま、なんと言いましたか?」


「『垢の詰まった耳の穴をかきほじって』よく聞けよ。お前を倒す、俺はそう言ったんだよ」


 天使は信じられないものを見るような目で俺を見つめた。


「気が狂っているのですか、人間」


「大真面目だけど? あんたが春菜の意思を認めないってんなら、実力行使で認めさせればいいだけの話だろ」


 天使は腕を組むと、呆れ顔で俺を見下す。


「本気で私を倒せると?」


「やってみなきゃ分かんないだろ。 あ、もしかして、いつもそうやってお高く止まって腕が鈍ってるから、戦うのが怖いの? たかが人間如きにぶるっちゃってる?」


 挑発に挑発を重ねると、次第に天使のまとう雰囲気が変わっていった。すさまじい殺気を感じ、俺の全身がぶるっと震えた。この目は、獲物を狩るときの目だ。


「どうやら、本気で私とやり合うつもりのようですね。いいでしょう。私に一撃でも食らわせたら、あなたの言い分を認めましょう。その代わり、私も手加減はしませんが」


「いいね。その話、乗った」


「やめて、空くん! いいの! 私、戦えるから!」


 必死にすがりついてきた春菜の手を、俺は優しく握った。


「だったら、どうしてこの手は震えてるんだ? 本当は戦うのが怖いんだろ?」


 春菜は慌てて手を引っ込めた。うつむく春菜の両肩に、俺は手をかける。


「俺に賭けてくれないか、春菜。お前と、ゴンタの未来を」


「空くん……」


「大丈夫、きっと上手くいくさ。俺とクリアは波長が合ってるからな、コンビネーション抜群だ」


 俺は力こぶを見せながら笑った。完全に空元気だったが、それでも自分自身を勇気づけるくらいの効果はあった。

 春菜は涙をこぼしながら、そんな俺を見上げる。


「お願い空くん、助けて……」


「ああ、任せとけ」


 春菜を背にかばうと、俺は天使と改めて対峙した。正直なところ震えが止まらないが、これは武者震いだと自分自身に言い聞かせる。

 俺が目配せすると、クリアも同じく戦闘態勢に入った。


「さあ、それじゃあ始めようか」


「思い上がった人間よ。格の違いというものを思い知らせてあげましょう」


 天使は翼を大きく広げた。銀白の羽が舞い散り、街灯の光に照らされてきらめいた。

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