34話 笑わない男が笑ってみた

 終業式は何事もなく終わった。

 最後のホームルームが終われば、ここからはもう夏休みだ。


 俺は守屋と少し話してから教室を出た。守屋は、俺の邪魔をしない程度に遊びに誘うと言ってくれた。気をつかわれている。


 昇降口で待っていると、生徒の流れの中に五十鈴を見つけた。


「お疲れさまです、恭介先輩」

「体調はどうだ?」

「問題ありません。なにか気になりました?」

「終業式といえば校長の長話だからな。ずっと立ってるのはしんどかったんじゃないかと思って」

「ふふ、心配してくださってありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」

「だったらいい」

「もう大河原さんが来ているはずです。行きましょう」


 俺たちは学校近くのコンビニへ歩いていった。この流れも自然になった。練習帰りはまっすぐ家に向かったことも遠い昔のようだ。


 大河原さんの車に乗ると、五十鈴が行き先を告げる。車はすぐに発進した。


「今日もお昼を作ってあるんです。あとで食べましょう。その前に――」

「俺の私服を探す」

「そうです!」


 今日の五十鈴はいつもよりはしゃいでいるように見える。


 以前も来た洋服店の駐車場に車が止まる。俺たちと一緒に大河原さんも車を降りた。


「私も店の中を回っています」

「わかりました。帰る時には声をかけますね」


 大河原さんはうなずき、俺に近づいてきた。


「骨抜きにされるのも楽しいだろう」


 ……なんだか、前にもこんなことを言われた気がする。あの時は、「骨抜きにされるなよ」だったはずだけど。


「近くで見ているから、五十鈴様が変わっていくのがわかる。五十鈴様が楽しそうにしているのが一番だ。君も頑張れ」

「は、はい」

「どうしたんですか?」

「いえ、なにも」


 大河原さんは一礼し、先に店に入っていった。俺たちも続く。


「先輩にはクロップドパンツが似合いそうだと思ったんですよ」

「なんだそれ」

「丈のちょっと短いズボンです。あ、これですね」


 五十鈴は狙った服をパッパッと持ってきて、俺を試着室に押し込む。もうコーディネートをばっちり考えてきたといった感じだ。


 俺は渡されたままに、ブルーの半袖シャツとベージュのズボンを穿いてみた。

 こんなに私服がカラフルなことはなかったな。俺は夏も冬も基本的に白か黒の服ばかり着ていた。


 ……うーん、相変わらずの野球以外興味がない人間。駄目すぎる。


「どうだ?」

「わあ、爽やか! いいですね!」


 五十鈴が両手を合わせて嬉しそうにする。


「恭介先輩に合いそうな服をあれこれ検討していたんです。イメージ通りでした」

「なんというか、ありがとな」

「どういたしまして」


 鏡を見たが、カジュアルすぎて自分じゃないような気持ちになる。少しずつ慣れるものかな。

 今回も絶妙な値段の服ばかりチョイスしてもらったので、おこづかいで足りた。


 大河原さんはアロハシャツを見ていた。俺たちはそれを遠くから見つめる。


「おや、終わりましたか」

「大河原さん、アロハを着るんですか?」


 五十鈴がおずおずと訊く。


「ええ。お盆休みをいただくことになっておりますので、妻と新潟へ海でも見に行こうかと」

「アロハシャツは太平洋のイメージなんですけど……」


 どういうイメージだ? 五十鈴の感性は謎が多い。


 大河原さんが会計を終えたので車に戻る。五十鈴がタッパーを取り出した。ぎっちりサンドイッチが詰まっている。


「今日は先輩とシェアします」

「ありがとう……」


 五十鈴はさらにもう一つのタッパーを出した。


「これは大河原さんの分です」

「私のまであるのですか」

「もちろん。いつもありがとうございます」

「こちらこそ、力をもらっておりますよ。では、外で食べてまいります」


 大河原さんは再び車を出ていった。空気を読みまくる大人だ……。


「先輩、あーんしてください」


 二人きりになった瞬間、五十鈴が攻め込んできた。


「お前もあとでやるんだぞ」

「いいでしょう。まずは先輩です。はい」

「……あーん」


 しぶしぶやると、五十鈴がサンドイッチを押し込んできた。


「うふふ、恭介先輩のあーんは最高ですね」

「バカにしてるな?」

「してませんよ? くふふ」

「してるだろ。覚えとけよ」

「聞こえませんでした。はい、二つ目です」

「あーん」


 棒読みで言うと、五十鈴がムスッとした。


「気持ちを込めて言ってほしいです」

「あーん」

「心が感じられません」

「心のあるあーんってなんだよ……」

「もっとほら、いろいろあるじゃないですか。恥ずかしそうにするとか、逆に楽しそうにするとか。棒読みが一番淡泊でよくないです」

「…………」


 俺は精一杯の笑顔を作った。


「あ、あーん」

「くふっ――」


 五十鈴が前のめりに傾いてきた。体が震えている。


「お、おい、大丈夫か?」


 ――と声をかけたが、五十鈴が震えている理由がわかって真顔になった。


「ふふっ、ふふふふ」


 こいつは笑っていたのだ。


「俺の笑顔がそんなにおかしいか」

「せ、先輩、今のはずるいです。必死で笑おうとして、むしろこわばってました。ごめんなさい……笑っちゃいけないですよね……でも、ツボに入ってしまって……うぐぐぐ」


 むりやり笑いを止めようとして呼吸困難みたいになっている。本当に大丈夫なのか?


「ふーっ、ふーっ……」

「落ち着いたか」

「は、はい……」

「俺、試合以外ではほとんど笑ったことないから、笑い方がよくわからない」

「漫才とかは見ないんですか?」

「お笑いは見たことない」


 マジでなにも持ってないな、俺。


「なるほど。だから微笑む以上の笑顔にならないんですね。ヒットを打った時はすごく笑っていたのに」


 さっそく光崎からもらった写真をチェックしたらしい。


「でも、大笑いしないほうが恭介先輩らしいです。無理に変わろうとしなくていいんじゃないでしょうか」

「そうか? 五十鈴も大声で笑うタイプじゃないよな」

「そこは先輩と一緒ですね。今日は笑ってしまいましたが」

「お前に笑いを提供できたようでなにより」

「すねないでください。いい笑顔でしたよ」

「絶対嘘だ」

「すごくよかったですよ。……ふふっ。あっ、ごめんなさい。思い出したらまた……ふふふふっ」

「こわっ」


 ……コントとか見て笑う練習するか。


 俺はこの時、ひそかに決意した。


 お昼時が過ぎていくけれど、五十鈴が言っていた「仕掛けてくる」気配はまだない。

 今日は夜まで一緒にいるつもりだ。

 彼女はなにを企んでいるのか。そいつを確かめさせてもらうとしよう。


 その前に。


「さあ今度はお前の番だぞ。やるんだ」

「はい。あーん」

「くっ!」


 本当に楽しそうにやってきやがった!


 ここ最近はからかい合戦で連勝していたが、今日は負けだ。

 テンションの高い五十鈴には勝てない。

 俺はおとなしく敗北を認めた。

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