33話 野球部はアレが禁止なんですよね

 明日は一学期最終日。いよいよ夏休みがやってくる。

 去年までなら野球漬けになっていたものだが、今年は完全完璧に自由だ。


 なにをやってもいいと言われると、逆になにをしていいのかわからない。他の野球部の三年も同じ気持ちじゃないだろうか。


「明日は午前中で終わりですし、午後はどこかに出かけましょうか?」

「いいぞ、俺はいつだって暇だ」

「では、先輩の服を買いに行きたいと思います」


 昼休み。いつもの東棟。俺と五十鈴は今日も一緒だ。


「夏に着る服も買っておきましょう。出かける時にはそれを着てきてほしいので」

「そうだな。いつも半袖にジャージで歩いてたが」

「さすがにもうできないでしょう?」

「ああ。そんな格好でお前の横は歩けない」

「では、明日も大河原さんに車を出してもらうということで」

「いいのかな。そんなに走り回ってもらっても」

「わたしも前に訊いたことがありますが、『気をつかわれるとかえって疲れてしまいます』と言われました。わたしのやりたいようにしてくれと」

「そっか。じゃあ任せよう」


 五十鈴はサンドイッチを食べ終わり、タッパーをしまう。


「ずっと一緒にいるような気がしますけど、まだ二ヶ月くらいなんですよね」

「もっと長いような気がするよな」

「本当なら明日、わたしから告白するつもりだったんです」


 そんなことも言っていたっけ。


「でも先を越されてしまったので、代わりになにか仕掛けようと思っています」

「そういうのは黙ってたほうがびっくりするのに」

「先輩をそわそわさせたいので、あえて言っておきます」

「お前……」

「ふふふ」


 本当に俺をからかうのが大好きだな。

 しかし、なにを仕掛けてくるつもりだろう。


「こんにちは、ちょっとお邪魔するよ」


 声が割り込んできた。

 いつものポニーテール。光崎蛍だった。


「光崎先輩、お久しぶりです。もしかして約束のものを?」

「用意してきたよ。ここで渡してよかったのかな?」

「ええ」


 光崎は分厚い封筒を五十鈴に渡した。五十鈴も薄い封筒を返す。なにかの取引か?


「ありがとうございます。大切にしますね」

「そうしてちょうだい。じゃあまたね」


 光崎は去っていった。突然現れてすぐいなくなる。風のような女だ。


「なにをもらったんだ?」

「なんでしょうねえ」

「思わせぶりだな。見せてくれ」

「いやです」

「見せろー」

「きゃー、先輩が獣にー」


 お互い棒読みで封筒を取り合う。五十鈴はあんまり抵抗するつもりがないらしくて、あっさり奪うことができた。


 中から出てきたのは……俺の写真だった。

 練習風景から試合で投げているものまで。


「なぜお前がこれを……」

「先輩の写真がいっぱいほしかったので。前に、恭介先輩と光崎先輩がお話ししていましたよね? 写真がほしかったらあげるって。わたしはそれをたまたま聞いていたんです」


 思い当たることがあった。


「確か、写真が増えるからアルバムを買うとか言ってたな。まさかこれのためか?」

「そうです。でも、先輩に確認を取ってからにしたほうがいいかと思って」

「写真をもらう前に相談してほしかったがな……」


 一枚ずつ見てみる。光崎の写真の腕は確かで、なかなか迫力があった。

 俺、こんな顔して投げてたのか……なんて意外に思えるものまであった。


「これは守屋先輩に謝っている写真ですね」

「なに撮ってんだ光崎のやつ」


 俺が右手で守屋に謝罪ポーズを作っている写真。いつだろう。確か、満塁から押し出しのデッドボールを当ててしまった時のものだろうか。


「わたし、助けてもらってからずっと先輩のことを気にかけていました。でも試合を見に行ったりはできなくて、野球をしている先輩の姿を生で見たことがあまりないんです」


 長野清明野球部は専用の練習グラウンドがあって、校舎からはかなり離れている。廊下から練習風景が見えるということもない。


「先輩。これ、持っていていいですか?」

「認めよう」

「やったぁ。ありがとうございます」


 五十鈴は嬉しそうに写真を見つめた。五十枚くらいあるので、アルバムもすぐ埋まりそうだ。


「去年の秋頃の話ですけど、恭介先輩のことを知りたかったのに全然わからなくて、いっそ野球部のマネージャーになってしまおうかと思ったりもしたんです」

「大胆だな。でもならなかった」

「そうですね。とある理由で諦めました」

「体調の問題じゃないのか?」

「違いますよ」

「教えてくれ」

「さあ、どうしましょう」


 またはぐらかす。


「結果的に、無茶しなくてよかったと思っています。遠征に出る体力なんてありませんから」

「俺は五十鈴のことを全然知らなかったんだよな。先生のあいだではよく体を壊す生徒で有名だったんだろ?」

「その認識はつらいです……」


 五十鈴は苦笑する。鈴見先生も五十鈴の体調不良に自然な流れで対応していた。それだけ繰り返しお世話になってきたのだろう。


「そろそろ時間ですね」


 五十鈴は写真を封筒にしまう。

 写真をくれるという光崎の提案を、俺は保留にしてある。これだけよく映っているなら、母さんたちに見せるためにもらってもよさそうだ。


 チャイムが鳴った。俺たちは立ち上がり、渡り廊下を歩いて校舎に入る。


「また放課後にな」


 俺が自分の教室に向かおうとすると、


「そうだ、先輩」


 五十鈴が声をかけてきた。


「さっき言わなかった、野球部に入らなかった理由ですけど」

「ああ、教えてくれるのか?」

「耳を貸してください」


 俺が体を傾けると、五十鈴が近づいてきてささやいた。


「野球部は部内恋愛禁止だって聞いたので」


 ハッとさせられた。その時から、五十鈴はもう俺のことを? つまり、彼女の恋は完全な一目ぼれ――


「じゃあ、教室行きますね」


 五十鈴は照れくさそうに微笑むと、階段を上がっていった。

 俺はしばらく動けなかった。

 顔が熱くなってしまって、すぐには教室に入れそうになかったのだ。

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