32話 つらい時の、彼女の役目
俺の拍手は乾いていた。
高校野球の県大会、準々決勝。
長野清明は甲子園の常連、
ベンチ入りメンバーがやってきて、一礼する。
初戦を制したあと、順調に勝ち上がってきたが、ここでとうとうトップ校の壁に阻まれた。
挨拶が終わったあと、片倉が崩れ落ちた。大泣きしているのがここまで聞こえてくる。守屋をはじめ、周りの三年生たちが肩を貸してやり、ベンチに引き返していった。
今日も片倉が一人で投げた。序盤にリードしたが、最終回に逆転されて負けた。
終盤、片倉は明らかに疲れていた。投手層が厚ければここで継投に入っていただろう。しかしできなかった。上位校を抑えられる投手は、片倉しかいなかったのだ。
俺は天を仰いだ。
……これで、俺の夏も終わりだ。
本当の意味で、俺の高校野球は終わったのだ。
†
帰る前に、球場の外で野球部のところへ行った。
みんなが俺に謝ってきた。「甲子園に連れて行けなくてごめん」と。
片倉はとにかく泣きまくっていて、話すこともできないくらいだった。俺も去年の大会で負けた時は、先輩たちの夏を終わらせてしまったと死ぬほど悔しさを味わった。気持ちは痛いほどわかる。
「お疲れ、守屋」
俺はキャプテンに話しかけた。教室でただ一人話せる友人は、意外にさっぱりした顔をしていた。
「終わっちまった」
「よく戦ったよ。熱い試合だった」
「正直、勝てると思ったんだけどなあ。もう一押し足りなかった」
守屋が笑う。
「優勝できたらお前のことも新聞に書かれただろうし、チャンスを奪っちまったな」
「俺の話なんて載るか?」
「もちろん。絶対的なエースの分までみんなが頑張ったって記事になったと思うけどな」
「やめてくれ。なんか情けなくなるだろ」
「別にドジ踏んで怪我したわけじゃねえんだ。堂々としてろよ」
「……ああ」
引率の先生が、応援団は先に帰るぞと声をかけている。俺はもう野球部員ではないから、ついていかなければならない。
「じゃあ、また学校で」
「勝てなくて悪かった。でも、全力は出し切ったぜ」
「伝わってきたよ。ありがとう」
俺と守屋は拳をぶつけた。
†
準々決勝からは松本市野球場で試合が行われる。
松本から帰ってくればもう午後の授業にも間に合わない。
結局、学校に着いたのは三時を回った頃だった。
教室には戻らず、駐輪場近くのベンチに座ってしばらくぼんやりしていた。
チャイムが鳴ってしばらくすると、生徒がぞくぞくと出てくる。
その中に五十鈴の姿を見つけた。
彼女は外に出てキョロキョロすると、俺を見つけた。
「先輩、コンビニで甘いものを食べましょう」
「ん、そうするか」
俺たちは大河原さんが待っているであろうコンビニを目指して歩いた。五十鈴の小さな歩幅に合わせて歩くのも自然にできるようになってきた。
会話はなく、静かに歩いた。
もう七月下旬。夏の街はもうもうと蒸し暑くて、汗が噴き出す。
「……残念でしたね」
もうすぐコンビニというところで、五十鈴が言った。
「結果は見ました」
「そうか。俺の野球人生もこれで終わりだ」
「恭介先輩……」
五十鈴は言葉が見つからないようだ。暗くなりすぎているか。でも、今日だけはどうしても気分が晴れないのだ。
「あ、大河原さん来てますね。シュークリームを買って、車の中で食べましょう」
「ああ」
いけないと思いつつも、返事がそっけなくなる。
二人でシュークリームを買うと、後部座席に乗り込んだ。
「しばらくお二人でゆっくりしてください」
大河原さんはそう言って車を出ていった。彼も俺の事情を知っている。今日の試合結果を見て、気をつかってくれたのかもしれない。
車内は冷房が効いていて涼しかった。
五十鈴はシュークリームを横に置いた。
「食べないのか?」
「その前にやりたいことがあります。先輩、もう少しこっちに来てください」
言われた通り、五十鈴のほうに体を寄せる。
いきなり、抱きしめられた。
俺の顔が五十鈴の胸に引き寄せられる。
「お、おい……」
「たまには、わたしのほうから言わせてください。――無理しなくていいんですよ」
「五十鈴……」
「つらいと思います。悔しい気持ちも、絶対にあると思います。でもさっき顔を合わせた時、先輩は耐えているように見えました。この車なら外から見えませんから、泣いてもいいんですよ」
五十鈴の言葉が胸に染み入る。
やっぱり、この後輩には見抜かれていたのか。
先に引退した奴が泣くのは情けない。そう思った。だから俺は、野球部のみんなと話した時も頑張ってこらえていた。
五十鈴の前でも、泣くところだけは見せないようにしようと決意していた。なのに、向こうから泣いていいと言ってくる。
「ずるいな……そんなこと言われたら、本当に涙が出てきたじゃないか……」
「恥ずかしいことなんてなにもありません。つらい時はわたしの胸で思いっ切り泣いてください。それを受け止めるのも、彼女の大切な役目です」
「うっ、うう……」
そこで感情が限界を迎えた。
俺は五十鈴に抱きしめられたまま泣いた。涙が止まらなかった。五十鈴のブラウスを汚してしまう。それでも抑えられなかった。
五十鈴が俺の頭を撫でてくれる。
「頑張ったことは無駄になりません。わたしはそう信じています」
顔を寄せてきて、五十鈴は俺の耳元でささやく。
「本当にお疲れさまでした、恭介先輩」
野球部から離れても、優しい言葉をかけてくれる人がいる。
それが嬉しかった。
最後の夏はグラウンドに立てなかったけれど、五十鈴という存在のおかげで、俺は救われた気がしていた。
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