31話 きわどい話題はまだ早い

「応援、ありがとうございました!」


 守屋のかけ声で、全員が一礼する。俺たちスタンドの応援団は拍手を送った。


 野球部は順調に勝ち進んでいる。

 三回戦は15点を奪う猛攻で5回コールドゲームを決めた。

 今日のうちは片倉を温存し、三年生投手陣を二人起用して相手を抑え込んだ。周りのピッチャーも調子は良さそうだ。俺は自分のことのように嬉しかった。


 応援団は一足先に学校へ帰る。午前中の試合だったので、午後は普通に授業を受けるというわけだ。


 駐車場で他の同級生たちに混ざって歩く。昇降口に行くと、鈴見先生がやってきた。


「新海君、代わりに保健室入ってくれてる先生から聞いたんだけど、玉村さんが具合を悪くして寝ているそうよ」

「えっ、またですか?」

「あたしもこれから様子見に行くけど、来る?」

「はい」


 俺は鈴見先生と一緒に保健室に向かった。

 一番奥のベッドのカーテンが閉められている。鈴見先生の代理はふくよかなおばちゃん先生で、五十鈴の事情を説明してくれた。三時間目あたりで気分が悪くなったと訴え、横になったという。


 まず、鈴見先生が五十鈴の様子を確認にいった。数分、出てこなかった。


「いいわよ新海君。お話しできそうだから」

「ありがとうございます」

「あたしはちょっと飲み物買ってくるわね」


 鈴見先生は手招きした。近づくと、


「頑張って」


 そんな風にささやいてきた。

 もう、けっこう頑張ってるんだけど。……なんて、わざわざ言ったりはしない。


 俺はカーテンを開けた。


「五十鈴、また調子悪いのか?」

「あっ、恭介先輩」


 五十鈴が起き上がろうとするので、俺は止めた。


「寝てていい。無理するな」


 俺はイスを持ってきてベッドの横に置いた。


「初戦の日の疲労がぶり返したか?」

「ちょっと違うんです。実は、昨日も完全に回復したわけじゃないのに学校に来たので、負荷が大きかったと言いますか……」


 おとといは球場でダウン、病院で点滴を打ってもらったと言っていた。昨日は元気そうに見えたのだが。


「昨日、休むべきだったんじゃないか?」

「できなかったんです。だって……」


 五十鈴はかかっている毛布をぐいっと顔に寄せる。


「告白してもらった次の日に休むなんて、先輩がかわいそうじゃないですか」

「……」


 なんて律儀なんだ。

 確かにつきあい始めた翌日、さっそく相手が学校にいなかったらさみしいと思う。五十鈴は自分の体調より俺の気持ちを優先した。

 無理はしないようにと何度も言ってきた。しかしどうしても無茶したくなってしまうのだろう、この後輩は。


「先輩は昨日、わたしの横にいて恥ずかしくない男になると言いましたよね。それはわたしも同じなんです。あなたの横に堂々といられる彼女になりたい。そう思うんです。昨日休んだら、彼氏に恥をかかせてしまうような気がして」

「そこまで想ってもらえるのは嬉しいよ。でも――」

「わかってます。そのせいでいろんな人に迷惑をかけました」


 五十鈴の目はどこか潤んでいる。


「反省はしています。ただ、いつもこうするつもりはありません。昨日がどうしても外せない一日だったから登校しただけなんです」

「今日は?」

「朝はなんともなかったので来ましたけど……」

「途中でつらくなったか」

「へなちょこです」


 毛布で顔を隠す五十鈴。


「お昼はどうする?」

「わたしは食べられそうにないです」

「じゃ、俺は外で食べてるかな」


 今日は試合展開によっては昼までに帰れない可能性もあったので、弁当は用意しなくていいと伝えてあったのだ。


 俺は保健室の外にあるベンチで、久しぶりに母さんが作ってくれた弁当を食べた。味のしみたホウレンソウとか、適度にさっぱりしているきんぴらごぼうとか、こっちの味がもう懐かしい。


 夏休みになったら、母さん父さんに五十鈴を紹介したい。女っ気のなかった俺がついに彼女を得たのだから、たぶん喜んでくれると思う。


 一気に完食して、五十鈴のところへ戻る。


「先輩、ちょっと起きたいんですけど、毛布をどかしてもらえますか?」

「ああ、いいぞ…………いや待て」


 俺は、前に保健室であったことを思い出した。


「なあ、まさか毛布をどかしたらブラウスのボタンが外れてるとか、ないよな?」

「…………」


 なぜ答えない。


「当たりかよ」

「うー、あわあわさせようと思ったのに……」


 五十鈴はふくれっ面になる。そういう顔もかわいいな。


「なんで気づいちゃうんですか?」

「一回やられてるからな。というか、なんで保健室だとそんなに仕掛けてくるんだよ」

「先輩がわたしの色仕掛けで狼になっても、すぐに人を呼べるからです」

「……東棟のあたりはあんまり人いないもんな」

「あっ、もしかしてわたし危ない?」

「俺を信用しろ。まあ、その……そういうのはちゃんと双方の合意があっての上でだな……」

「ふふっ、真面目ですね」

「一方的なのは絶対によくない。五十鈴の意志を大切しないと」

「恭介先輩が相手なら、いつだって応えますよ」

「いやいや、今のお前は冷静じゃないよ。体調崩して弱ってる相手につけ込んでるみたいでよくない。お互い元気な時にこういう話をしよう」


 五十鈴は「ふう」と息を吐いて、毛布の下で手を動かした。ボタンを留め直しているのだろう。


「しかし、こういうきわどい話もするようになったか、俺たち……」

「わたしは平気ですよ? 今日の下着の色、聞きたいですか?」

「またそうやって……! 俺の純情をもてあそぶな」

「だって先輩、こういう話にすっごく弱いんですもん。リアクションが面白くて」

「おもちゃにするんじゃない」

「はーい」

「まったく。俺はそろそろ行くからな」

「わかりました。わたしは早退するかもしれません」


 俺はうなずき、立ち上がる。


「……前に見た時は、水色だったよな」


 ぼそっとつぶやく。

 五十鈴はなにも言わなかった。

 少し待って、横になっている相手の顔を見る。五十鈴は露骨に視線をそらして、違う方向を見ていた。頬が朱に染まっている。


「じゃあ、またな」

「……今日も先輩の勝ちです……」


 消えそうな声で五十鈴がつぶやいた。俺も恥ずかしくなっていた。


 やっぱりお互い、まだまだウブなのだ。

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