8話 反撃してみる

 キッチンに立つなんて人生初だ。

 今までは母さんにすべて任せきりだったから、俺が食事を作ったことは一度もない。


 そんなに難しい作業ではないと思っていたのだが、指先の感覚が掴めずに手こずった。


 母さんも玉村も、この何十倍も複雑なことをやっているんだよな。すごいことだ。当たり前のように受け取っていたけど、よく感謝しなければならない。自分でやってみてそう感じた。


     †


 三日連続で東棟のベンチ。

 今日は玉村が先に来ていた。そのほうが安心する。慌てて走ってこられるとそのあとが大変だ。

 玉村は紫色のカチューシャをしていた。色合いは近いが、意外に黒髪とシナジーがある。


「お疲れさまです、新海先輩。どうぞ、お弁当です」

「ありがとう」


 弁当箱を受け取って気づく。


「昨日のより一回りでかくなってないか」

「はい、もう一箱あっても大丈夫と言っていたので大きめにしてみました」

「どうも……」


 即座に変えてくるこの対応力。これだけ気づかいができるのになぜ友達ができないのか。


「ところで玉村」

「なんでしょう?」

「…………」

「ど、どうしたんですか、先輩」

「うん」

「そ、その返事はおかしいと思いますけど」

「ああ」


 くっ、駄目だ。

 緊張するとまともな返事ができなくなる。しかしやらなければ意味がない。


 俺はつばを飲み込み、スクールバッグに手を入れた。

 タッパーを取り出し、玉村に渡す。


「……それは?」

「サンドイッチを作ってみた。よかったら食べてくれ」

「…………」


 玉村が固まった。

 あ、これやばいやつかもしれない、と俺は悟った。気持ち悪い奴に降格したか?


「せ、せ、せんぱい……」


 滑舌が怪しくなっている。


「作って、くれたんですか? わたしのために?」

「そ、そうだ。もらってばっかじゃ悪いと思って……」


 玉村が下を向いて肩をふるわせる。


「信じられない……」

「き、キモくてすまん」

「そんなこと言ってません!」


 いきなり大声を出されて、俺は飛び上がりかけた。


「嬉しすぎて現実味がないという意味です。悪いほうに取らないでください」

「あ、ああ……」

「本当に、いただいていいんですか?」

「そのために作ってきた」

「大切にします」


 玉村がタッパーをスクールバッグにしまおうとする。


「おい待て」

「なんです?」

「なぜしまうんだ。食べてくれるんじゃないのか」

「持って帰って保存しようかと……」

「いやいやいや、そんな日持ちしないから」

「ですが、新海先輩のお手製サンドイッチですよ? 食べてこの世からなくなってしまうのはあまりに惜しいです」

「お前、なんかおかしいぞ」

「普通ですけど?」

「普通ならそのまま食べる」

「変だなぁ……」

「俺のほうがおかしいみたいな空気を出さないでくれ」


 玉村はじっとタッパーを見つめていたが、目を閉じてうなずいた。


「では、食べさせていただきます」

「そんなに芝居調で言うことか?」

「人生の一大事ですよ」

「はあ」


 さっきからやけに大げさだ。

 ともかくリアクションは悪くない。弁当の反撃にはなっただろう。


「あ、へこんでいますね」

「えっ」


 玉村の手元を見る。

 マジだ。

 パンの外側に指で突いた痕跡がある。

 たぶん、食パンを三角に切るとき強く押さえすぎてしまったのだ。


「……なんというか」

「謝らないでくださいね」


 先制された。1失点。……野球みたいなことを考える。


「先輩がお返ししてくれたこと。それがとても嬉しいんです。形が大切なわけではありませんから」

「次からは気をつける……」

「つ、次!? 次回があるんですか!?」


 玉村が体を傾けてくる。すさまじい食いつき方だ。


「ふ、ふふ、一回で終わるわけないだろ。そのうち普通の弁当だって作れるようになるさ」

「わあ……すごく楽しみです」

「……ただ、少し時間をくれ」

「もちろんです。いくらでも待ちます」


 では、と玉村がサンドイッチにかぶりついた。一口も小さい。


 中身はハムマヨネーズである。

 冷蔵庫にあったハムを食パンに合う大きさに切って、表面にうっすらマヨネーズを広げた。俺にできる精一杯の味付けだった。


「どうだ?」

「幸せの味がします……」


 玉村が感慨深そうに言う。きっと褒められているのだろう。


 俺も玉村が作ってくれた弁当を食べた。

 今日は肉と野菜が半々。毎日配分を変えてくれるので飽きない。

 食べながらふと思った。

 玉村が自分で持ってきたサンドイッチはどうなるのだろうと。

 そこまでは考えが回らなかった。

 小食の玉村にはサンドイッチ四枚はかなりきついのではないだろうか。


「あの、新海先輩」

「どうした」


 玉村が自分のスクールバッグからタッパーを出してよこした。


「先輩からいただいたサンドイッチでお腹いっぱいになったので、もし余裕があればこちらも食べていただけませんか?」

「本当にいっぱいなんだな?」

「はい。小食であることには定評があります」

「なんとも言えない定評だな……」


 俺は玉村のサンドイッチもいただいた。タマゴサンドで、これも絶妙な味わいだ。


 二人で完食すると、互いを向いて「ごちそうさまでした」と挨拶を交わす。少しずつ息が合ってきた気がする。


「かつてなく充実したお昼休みでした」

「俺も楽しかった」

「誰かと食べるお昼ご飯……これもいいですね。教室の隅っこで食べているよりよほど有意義です」

「お嬢様がぼっち飯ってのもなかなかさみしいな……」

「でも、しばらくは違います」

「そうだな」


 玉村が俺との時間を有意義だと感じてくれるのなら、相手を続けたい。俺の中にもそういう気持ちが生まれていた。


 ただし甘やかされっぱなしは駄目だ。隙を見て面倒を見返すことも考えていく。


「楽しい時間が続きそうだな」

「ええ。新海先輩のお昼ご飯、次も楽しみにしていますね」

「……はい」


 なぜか敬語で答えてしまった。


     †


 昼休みが終わる間際の教室に、俺は戻った。


「また後輩ちゃんと昼飯か」


 守屋がスマホをいじりながら声をかけてくる。


「まずいことになったよ」

「なに? 修羅場?」

「料理の練習しないといけなくなった……」


 俺にとっては、野球の練習よりよっぽど厳しい……。

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