7話 一目ぼれをほのめかしてくる

 翌日の昼休み、特にメッセージは来なかった。

 送らなくても俺が行くとわかっているのか。玉村にはかなり信用されているらしい。


 まっすぐ東棟のベンチまで行く。誰も来ておらず、周りは静かなものだった。この校舎は普段の授業では使わないので日中やってくる人間は少ないのだ。


 ベンチに座ってしばらく待つ。

 俺は携帯と財布以外になにも持ってきていない。なんだかんだ、俺も玉村を信頼している。


「お待たせ、しました」


 数分で玉村がやってきた。

 走ってきたようで、息を荒くしている。


「ど、どうぞ……」


 俺の横に座った玉村は、勢いよく弁当箱をよこした。

 受け取って開くと、今日は鶏の唐揚げがあって、アスパラにはベーコンが巻かれていた。


 昨日、俺が「肉がない」なんて言ったものだから深刻にとらえてしまったようだ。


「なんか、悪かったな」

「いえ……」


 玉村はベンチに背中を預けて上を向いている。肩が上下していて、荒い呼吸がなかなか収まらない。


「無理するなって言ったのに」

「ですが、誘ったのはわたしですから……遅れるのは、よくないと思って……」


 返事も途切れ途切れだ。想像以上に体力がない。

 蝶の飾りがついたカチューシャが吐息に合わせて揺れる。


 俺は戸惑ってしまった。

 この状況で弁当を食べ始めるほど配慮のない人間ではないつもりだ。

 かといって、背中をさすったりしたらセクハラになるのではないか。


 相手は校内でも有名な孤高の美少女だぞ。

 一緒にいるだけで噂されるくらいなのに、触れたらやばいだろう。


「大丈夫か?」

「はい、もうしばらくすれば、収まります……」


 とは言ったものの、玉村はなかなか回復しなかった。


「この時期は引きずりやすくて……」


 もう六月。

 梅雨入り寸前で空気も蒸し暑く、じめじめしている。玉村はこの季節が苦手だと言っていた。


「先輩、どうぞ、食べてください」

「しかし、お前がつらそうにしてるのに俺だけ食べるのは……」

「わたしのことを、考えてくれるのなら、食べてほしいです」


 その言い方は卑怯じゃないか? 食べざるをえない。


「先輩のために、作ったお弁当、ですから」

「……じゃあ、いただきます」


 ここは玉村に従おう。

 俺は手を合わせ、弁当に箸をつけた。

 味付けは濃すぎず薄すぎずで絶妙だった。これならもっとたくさん入っていても食べきれる。


 俺が黙々と食べていると、玉村の息が少し落ち着いてきたように感じられた。玉村にとって弁当の反応は重要なのだろう。俺が夢中で食べているからホッとしたんじゃないだろうか。


 メンタルが体調に影響を与えることもある。俺自身、よく知っている。


「玉村、全部うまいぞ」

「よかった……」

「もう一箱分あっても大丈夫なくらいだ」

「そ、そこまで……?」

「それくらいうまいってことだよ」


 玉村は微笑んだ。いつか病院で見た時のような、力のない笑顔だった。


「昼飯、食べられそうか」

「もうちょっと休めばいけそうです」

「まだ時間はある。慌てるなよ」

「はい」

「いざとなったら運んでやる」

「ええっ!? そ、それは恥ずかしいです――こほっこほっ」


 咳き込んでしまった。余計なことを言ったかな。


「わたし、先輩に抱かれる覚悟は、まだできていないので……」

「それは抱きかかえるという意味でいいんだよな?」


 少しだけ笑う玉村。


「どういう意味なのかわかりません」


 絶対わかって言ってるだろ。……とは思ったものの、きわどい話題なので言い返したりはしない。


「まあ、ゆっくり食べろ」

「そうします」


 玉村はスクールバッグからタッパーを取り出してサンドイッチを食べ始めた。自分で食パンを切って作ってるんだろうか。


「六月はずっと嫌いでした」

「今はそうでもないのか?」

「はい。去年、いいことがあったので」

「ふうん」

「走り込みをしていた野球部の方が、よろけて転びそうになったわたしを支えてくれたんです」

「へえ…………ん?」


 なんだか知っているような話だな。

 去年の今頃、俺は学校の外周をランニングしてコンディションを調整することがあった。他にもピッチャーが何人かいて、みんなそれぞれのペースで走っていた。その時に確か……。


「突然のことで、信じられないような気持ちでした」


 相手のことには触れず、玉村が話を進める。


「わたし、たまに力が抜けてふらつくことがあるんですが、助けてもらったことはほとんどありません。近づきづらいんでしょうね。でも、あの人はためらいなくわたしを抱きとめてくれました。嬉しかった」

「よかったじゃないか」


 名前を出さないので、俺の返事もなんとなく他人事っぽくなる。


「気分の悪くなりやすい季節だからああいうことが起きたんです。だから、今年は六月が嫌じゃない」

「そうか」

「微妙な反応ですね」

「まあな」

「返事もてきとう……」

「しょうがない」


 俺は横を向いた。隣で玉村がサンドイッチを食べる音が聞こえる。

 黙っていればさらに話すかと思ったがそうはならず、昼休みの終わりが近づいてきた。


「先輩、お弁当のことですが」

「ああ、今日までってことだな?」

「できれば毎日作ってきたいんですけど」

「はあ!?」


 玉村は小首をかしげて微笑んでいる。


「お料理の上達を目指すには毎日作るのが一番です。その味見につきあってもらえませんか?」

「お前がそうしたいなら、相手するよ」

「ありがとうございます」


 作ってもらう側がお礼を言われるのも妙な感じがする。


 ともあれ、明日もここに来ることは確定のようだ。


     †


 放課後。


「新海先輩、また会いましたね」

「俺はまっすぐ帰るつもりだが」

「いいですよ。わたしももう迎えが来てしまいました」


 校門の脇に黒い車が見えた。使用人の大河原さんがやってきたらしい。


 せっかくなので車までついていく。

 スーツ姿の大河原さんが降りてきて、後部座席のドアを開けた。まるで貴族のような待遇である。


「では先輩、今日もお疲れさまでした」

「お疲れ。しっかり休めよ」

「そうします」


 ドアが閉まる。


「新海君とか言ったな」


 大河原さんが小声で話しかけてきた。


「五十鈴様は昨日今日と早起きしてお弁当を作ったようだ。君のためにな」

「ありがたくいただきました。すごくおいしかったですよ」


 本心なので堂々と答える。

 ふん、と大河原さんは鼻を鳴らした。


「五十鈴様は一度始めたことはなかなかやめない。つまりこれから毎日、君にお弁当を作るだろう」

「気にかけてもらえて嬉しいです」


 これは若干の社交辞令。


 大河原さんは俺の目をじっと見ると、


「骨抜きにされるなよ」


 とだけ言い残して車に乗った。


 玉村は帰っていった。


 俺は自分のこれまでを振り返る。

 放課後の時間つぶしに悩んでいたら玉村がかまってくれるようになった。

 これからは弁当も作ってもらう。

 他にも面倒を見たいとあいつが言い出した場合……。


「やばい、駄目人間になる!」


 俺は危険を感じた。

 うなずいてばかりでは本当に骨抜きにされてしまう。


 野球部にいた頃は自分に厳しいのが俺のスタイルだったはずだ。今では完全に崩されている。


 断ることを覚えよう、と俺は心に決めた。

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