9話 遊びに着ていく服がない

「明日は土曜日ですし、長野駅前に出かけてみませんか?」

「いいぞ」


 なんて、気楽に返事をしたのが今日の昼休み。

 そして俺は、家に帰って死ぬほど後悔している。


 部屋を見渡して気づいた。


 ――服がない!


 俺は野球バカだった。どうしようもないくらいに。

 休日はジャージでトレーニングしていたし、出かける時もいわゆるイージーパンツにシャツ一枚みたいな適当極まりない服装で出かけていた。当時はそれでよかった。


 だが、相手が女子となると話は違ってくる。

 家族と出かけるならともかく、女子相手にそんないい加減な格好で行くわけにはいかない。並んでいて恥ずかしい格好はまずい。


 なのに、俺には服がないのである。

 すぐさま買いに行く余裕もないし……。


「恭介、なにをさっきからバタバタやってるの」


 現在、夜十時過ぎ。

 部屋を引っかき回していたせいか、母さんがやってきた。


「明日、駅前に行くんだよ」

「もしかして、前に話してた女の子と?」

「ああ」

「もうデートなんて進展早いねえ」

「は?」

「男女が休日一緒に出かけたらそれはもうデートでしょ」

「そういうもん?」


 母さんはうなずく。

 そうか……デートってことになるのか。ますますやばいじゃないか。


「着ていく服がないんだよ」

「あー、あんた私服にはまるっきり興味なかったもんね。トレーニングウェアばっかり増えてさ」

「どうすればいい?」

「その子に服を選んでもらえばいいんじゃない?」

「どういうことだ?」

「ちょい待ちな」


 母さんは走ってどこかに行き、すぐに戻ってきた。


「特別にこれをあげよう」

「なっ……!」


 渡されたのは一万円札であった。


「それで買いなさい」

「い、いいのか? ただでさえ入院費とかで……」

「それは心配しなくていいよ。それよりあんたが女の子と仲良くできるかどうかのほうが重要でしょ。野球できないならせめて学校生活を楽しむしかないでしょ? 彼女がいたほうが華やかになるし、応援したくなるじゃない?」

「あ、ありがとう母さん!」


 うんうん、と母さんは楽しげな顔をした。


「相手に恥をかかせるんじゃないよ」

「おう!」


 俺はようやく一息ついて、ベッドに腰かけた。

 そこで冷静になった。


「服を買いに行くための服はどうすれば……?」


 母さんはすごい人のようでどこか抜けている。


     †


 翌日は薄曇りで蒸し暑い日だった。

 午前十一時。

 俺は長野駅前にある鳥のモニュメントの脇に立っていた。


 道行く人が俺を見ることはない。

 が、たぶん玉村は微妙な顔をするだろう。


 俺は学校の制服なのである。

 手持ちの服と制服を比べた結果、学校の夏服のほうがマシという判断になり、今に至る。


 玉村を失望させてしまうかもしれない。しかし、昨日の俺は明らかに詰んでいたのだ。


 通りに目をやるが、玉村らしき人影は見えない。

 自分のことばかり気にしていたが、あいつはどんな格好で来るのだろう。金持ち感あふれる重たい服装だったらイメージが崩れるので、できれば勘弁してほしいが……。


「新海せーんぱい」


 声はうしろからした。

 振り返ると、玉村五十鈴が立っていた。


 緑のロングスカートに真っ白な七分袖のシャツ。足元は白い靴。蝶の飾りがついたカチューシャはいつも通り。


 高貴だ……そして清楚だ……。


 俺は逃げ出したくなる。

 かわいいと美しいを併せ持つ後輩女子の横に立つ勇気が出ない。


「先輩は制服なんですね」

「……情けない話だが、聞いてくれ」


 トレーニングウェア以外のまともな私服を持っていないことを説明する。


「なるほど。でしたら服を見に行きましょうか」

「い、いいのか?」

「お洋服選びは好きですから」

「助かる」

「ではこちらへ」


 玉村に案内されて、近くの百貨店の脇を通る。

 駐車場に大河原さんが車を止めているらしい。


「駅前でお食事をしようと思ったんですが、服を買うなら移動したほうがいいでしょう」

「悪いな」

「いいえ。予算は一万円でしたね?」

「そうだな」

「でしたら、駅前のお店だとすぐ予算オーバーしてしまうのでほどよいお値段のお店に行くべきです」

「た、助かるよ」


 こうして服選びにまでつきあってもらうとは……。


 やっぱり俺、野球以外なにもできない人間だったんだな。こんなに自分がなにも持っていないとは思わなかった。玉村との時間でどんどんそれが浮き彫りになっていく。


 大河原さんの車まで行くと、玉村が目的地を指示した。

 玉村は楽しそうだが、大河原さんは俺の顔を見てムスッとした。あんまり気に入られていないようだ。


 車は駅前を南に走り、大通りに出る。

 やがて左に見えてきた洋服店に入る。


「先輩にはまずカジュアルな格好を覚えてもらいます」

「よろしく頼む」

「それにしても、お友達と遊ぶ時はどうしていたんですか?」

「中学まではジャージで会ってもなんとかなってたんだよ……」

「実は引かれていた説もありますね」

「ぐはっ」


 痛い所を突かれる。


「とりあえず行きましょう」

「ああ」


 俺は玉村についていこうとする。


「おい」


 大河原さんに呼び止められた。


「なんですか?」

「もう少し生活能力を上げるべきだ。五十鈴様になんでも世話を焼かれるようになるぞ」

「そ、そうですね……」


 正論すぎてなにも言えない。


「せんぱーい、どうしましたー?」

「すまん、いま行く!」


 店内に入り、俺たちは紳士服コーナーに向かった。


「先輩はブラウンが似合いそうですね。わたしとしては、白い丸首のTシャツ、その上にこの色のシャツを着てほしいです」


 玉村にはすでに私服の俺のイメージが出来上がっているらしい。


「ズボンもジーパンよりはもう少しゆったりしたものがいいかもしれません」

「なるほど」

「シャツは袖をまくって腕時計を見せたりするとポイント高いです」

「ほうほう」


 うなずくだけの機械になっている俺だった。

 しょうがないんだ。なにも知識がないんだから。


「うん、いい感じ。だいたい固まりましたが、念のため他にも合いそうなものがないか探してみましょう」

「よし、手伝うぞ」

「先輩の服ですよ?」

「……はい」


 俺は玉村と別れて、並んでいる服を見て回る。その中で目を引いたものを持って玉村のところへ向かった。


「これどう思う?」

「合わないと思います」


 瞬殺された。

 俺が見せたのは虎の顔がでかでかとプリントされたTシャツだった。


「新海先輩は表情があまり変わらないので、お腹で虎が大口を開けているとシュールになってしまいます」


 俺、そんなに表情硬いか?

 振り返ってみると、野球部にいた頃、「打たれまくっても表情変わらないよな」と言われたことがある。つまり無表情なんじゃないか。


「先輩にはプリントの控えめなTシャツが似合いますよ」

「そ、そうか」


 ここは玉村を信じよう。


 その後、店内をぐるぐる回ったが、最初の組み合わせが一番いいのではないかという結論になり、俺は上着二枚と、ちょうど裾の合った黒いズボンをレジに持っていった。


 俺だけで選ぶと安易に上下真っ黒とかになっていただろうし、やはり知り合いの目線が入るのは重要だ。


 俺は試着室を借りてその場で着替えた。


「わあ……すごくいいですよ、先輩!」

「あ、ありがとな」


 白Tの上にブラウンのシャツを羽織り、下は黒のズボン。今日は気温が高めなので上着二枚だと若干暑いが、苦しいほどではない。


 本当なら相手の買い物につきあって、玉村のいろんなコーデを眺めたりしたかった。それができないのは俺の生活能力が低すぎるせいである。マジで不甲斐ない。


 ともかく金額はちゃんと一万円以内に収まり、なんなら余裕もある。玉村は以前、自分の金銭感覚を信じてほしいと俺に言ってきた。本当に正確なのだ。金があるからといって湯水のごとく使うタイプではない。


 制服を畳んで試着室を出るまで、玉村はじっと俺を見ていた。


「そ、そんなにジロジロ見られると恥ずかしいんだが」

「すみません。ですが、制服以外の新海先輩を見られるのは貴重なので嬉しくて。しかもそれがわたしの選んだ服という……」

「本当に助かった。これで気軽に駅前とかに出かけられる」


 玉村はピンと人差し指を立てた。


「ですが、一つだけでは着回しすらできませんよ? また機会を見て新しい服を買いましょう。毎回同じ服だと言われるのは嫌じゃないですか?」

「それはあるかもな……」

「先輩の服を選ぶ。腕が鳴ります」


 玉村は楽しそうだ。

 俺たちは並んで店を出た。


 洗練された美人の横に、野暮ったいでかい男。


 うーん、こいつの横を堂々と歩けるようになるには、まだまだ時間が必要だ。

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