第3話
少年になり代わって生活を送るうち、彼はある程度のコツを掴み始めた。
今では数日、あるいは数週間ごとに意識が飛び、時間の経過とともに再び覚醒するという流れが繰り返されている。有難いことに、覚醒を繰り返しても記憶のリセットは行われていない。彼が行動をする際に両親や友人から口を揃えて言われるのは、”最近はおとなしい”という言葉と、”突然頭が良くなった”ということだった。
覚醒と共に以前の記憶が断片的に戻ることが多く、彼は少しずつ本来の自分へ近づくのを感じていた。行動している際に思い出した光景や言葉をその都度ノートに記載し、次に目覚めた時にはそれを照合するという作業から始めることにしていた。もちろんそのノートは、身体の主には到底見つけられない場所に隠している。
身体の主もやはり彼と同様の体験をしているらしく、いよいよ危機感を覚えたのか、このようなメモの切れ端がノートの間に挟まれていた。
『――お前は誰だ?』
それは、彼が最も欲している情報とも言えようか。さて、若者の生活に慣れてきたところで、彼はスマートフォンの検索窓に思い出した言葉を入力していく。
今のところ有力な情報源への繋がりは見られないが、今回はとある名前が頭の中に浮かんで来た。それが自身の名前なのか、はたまた知り合いの名前かまでは思い出せないものの、何かの手がかりになりうることは確かだった。
名前を入力すると、つい数か月前に起きた事件についての記事が上位に表示された。それはある家庭内で起きた殺人事件で、犯人として逮捕されたのが、この細島信也という男だった。
見出しを見た彼はマウスを持つ指が震えるのを感じていた。その日付というのが、彼がこの身体で初めて覚醒をした五月十四日だったからだ。
それでも彼は、震える手を必死にこらえ、記事の全文に目を通すことにした。
二世帯住宅の一軒家に暮らす細島秀夫(八十三歳)は、夜間に自室で眠っている際、何者かに薬物を投与されて亡くなっていた。犯人は共にその家で暮らす息子の細島信也(五十四歳)で、殺人の動機については遺産相続の問題であると後に本人は明かしている。
インターネットの記事には詳細な状況や家族構成などの記載まではなく、下部に新聞社とライターの名前を見つけた彼は翌日になって図書館へ出向き、当時の新聞のバックナンバーを探した。
つい数ヵ月前ということもあり、それは容易に手に入った。
図書館の片隅で新聞を開き、彼は事件に関する記事を探した。鮮烈な印象を残す事件ゆえ、比較的大きく取り上げられていた。事件の内容に関しては昨日インターネットで調べた内容と同じようなもので、ここでは暮らしていた家族構成が詳細に記されている。
細島信也には四つ年上の姉がおり、細島秀夫が所有する株の大部分はその姉が相続することに決まっていたようだ。細島信也は父の遺書を巧妙に偽造した上で、犯行に及んだものと考えられる。
共に暮らすのは細島秀夫と妻の晴子、加えて姉の香苗、息子夫婦の信也、真紀、それに孫娘の麗美となっていた。
事件当日、細島信也は妻と娘に容疑がかからぬようにするためか、妻の実家に彼女らを預けた状態で犯行に及んだ。彼は持病を抱えていた秀夫の常備薬に微量の毒物を混ぜ、就寝時にそれを秀夫が服用したことで発作を起こし、死に至ったものと思われる。
「晴子……」
その名前を見た瞬間、彼は無意識のうちに涙を流していた。次いで頭に割れるような痛みが走り、彼女と過ごした時間が走馬灯のように過ぎ去っていく。
ひどい頭痛に耐えながら彼が知り得たのは、あまりに悲しい現実だった。
……私は、細島信也ではないのか?
これまで数度に渡って思い返してきた記憶の断片、それに加え、晴子についての走馬灯を目の当たりにした彼は、自身が細島秀夫その人であるという事実を徐々に受け入れ始めていた。
中禅寺湖ランデヴー 扇谷 純 @painomi06
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