第33話 妹の誕生日④

 誕生日当日。空はまるで祝福しているような快晴だ。

 当然だ。想夜歌の誕生日は国を、いや世界を挙げて祝うべき慶事だからな。


「想夜歌、誕生日おめでとう!!」


 寝ぼけ眼の想夜歌に開口一番、そう告げる。

 ぼけーっと目を擦る想夜歌は、俺を一瞥して通り過ぎていった。てくてく洗面台に向かい、踏み台に乗る。蛇口から水を出して顔にばしゃばしゃとかけた。

 ――瞬間、がばっと顔を上げた。


「たんじょーび!!」

「そうだぞ想夜歌。今日から四歳だ」

「やったー!」


 気づくのが遅いぞ! それと床がびしょびしょだ。

 昨日の晩までわくわくしていたのに反応が悪いから焦った。単純に寝ぼけていただけのようだ。


 今日は午後かみんなが来てくれる予定だ。だが、想夜歌には知らせていない。

 俺が想夜歌を連れて出かけている間に家に来て、誕生日会の準備をするのだ。軽いサプライズである。


「お兄ちゃん」

「ん?」

「ん」


 想夜歌が両手を開いて前に突き出した。俺はその上に手を重ねる。


「ちがうー!」

「プレゼントはまた後でな。まずはお出かけだ」

「おでかけ」


 そう、今日のプランは誕生日会だけではない。

 誕生日会の準備があるので、昼過ぎまでは家を開けなければならないのだ。それまでは俺と想夜歌、二人だけの時間である。


 想夜歌は朝食を素早く済ませると、お出かけ用のお気に入りに着替えた。可愛らしいロングワンピだ。

 ポーチにせっせとハンカチやお菓子を詰め込むと、俺の荷物もチェックしてくる。


「お兄ちゃん、ちゃんとおサイフもった?」

「持ったよ」

「おかしもね!」


 幼稚園に通い出してから、随分とお姉さんぶることが増えた気がする。順調に自意識が育っているな!

 あとドラマやアニメに興味津々で、特に恋愛に惹かれるようだ。ませている。興味を持つのはいいけど、初恋はお兄ちゃんにしておきなさい。


「はやく、はやく」


 急かす想夜歌に苦笑しながら、家を出る。

 今日の目的地は少し離れているので、自転車で駅まで移動する。駐輪場に自転車を置き(土曜日なので無料だ)駅に入った。


「どこいくのー?」

「内緒だ」


 実は、このお出かけについては誕生日会が決まる前から検討していたことだ。

 想夜歌が遊んで楽しめる場所はいっぱいあるだろう。まだ四歳で、行ったことのない場所はいくらでもあるし、何をしても良い経験になると思う。東京まで出れば、遊ぶ場所には困らない。


 でも、所詮は俺と二人なのだ。結局、想夜歌にとってはいつもの外出と変わらない。

 誕生日として、特別なことをしてあげたい。しかし、それは俺だけじゃできない。


 はしゃぐ想夜歌とともに電車に揺られること二十分、県庁所在地の名を関した駅で降車した俺たちは、まっすぐオフィス街に向かった。


「ここだ」

「おおー! ……お?」


 高々と掲げられた想夜歌の両手が、ゆっくりと降りる。きょとんとした顔で俺を見上げた。


「びる?」

「そう、ビルだ。行くぞ」


 商業ビルに入っているテーマパーク、とかではない。普通のオフィスビルだ。

 受付に要件を伝え、来客カードを受け取りエレベーターに乗る。


「そぉか、おしごと?」


 すれ違う会社員たちの真面目な空気を察して、想夜歌が不安そうに言った。

 俺は無言で想夜歌の手を握り、エレベーターを降りる。


「よく来たね。響汰、想夜歌」

「ママ!」


 想夜歌が俺の手を離して、駆け寄った。

 そこにいるのは母さんだ。


 仕事で忙しいなら、こっちから職場に行けばいい。そう思って、会社に掛け合ってもらったのだ。

 母さんはセキュリティ系のエンジニアをしている。詳しい仕事内容は分からないが、昼休ごろに一時間程度なら時間を取れるというので、こうして会いに来た。


 母さんにとっては何でもない一日かもしれない。でも想夜歌にとって、一年で一度の大事な日なのだ。できることなら俺が母親の役目も担いたいが、それは母さんにしかできない。たとえ育児放棄気味であろうと、家事の一切を息子に押し付けていようと、想夜歌の母親なのだから。


 母さんが誕生日にいないと聞いた想夜歌は、ひどく寂しそうだった。今はぱっと花を咲かせている。それだけで、連れてきてよかったと思う。


「あ、昏本先輩の娘さんですか?」

「そうだよ。可愛いでしょ」

「もうちょっと帰ってあげた方がいいですよ~。あ、そっちは息子さん? 一回殴りこみにきたことありましたよね~、懐かしい。大きくなって」


 雉村先生を思わせる、なんだかふわふわした女性が適当にコメントした後「ごゆっくり~」なんて言いながら去っていった。

 想夜歌は母さんに抱き着いて目いっぱい甘えた。


「想夜歌、誕生日プレゼントだよ」

「あいとー!」

「なんか最近流行っている漫画のキャラクターらしい。店員さんに聞いたから間違いないね」


 想夜歌がプレゼント包装を破くと、小さなぬいぐるみが出てきた。誰もが知る、少年漫画のキャラクターだ。

 想夜歌の好きなアニメではない。しかし、想夜歌は嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑って抱き寄せた。


 その後は軽い職場見学だ。無論、邪魔にならないよう遠目から見る。

 想夜歌は普段母さんが働いているオフィスが見られて満足げだった。


「響汰、わざわざありがとうね」

「こっちこそ」


 母さんが忙しいのは知っている。産休明けにすぐ呼び戻されるくらい、求められていることも。

 けど、想夜歌がこれだけ母親を求めていることも、知っておいて欲しい。今日でそれが伝わると良いが。


 最後に、想夜歌は母さんに思い切り甘えたあと、ビルを後にした。


「お兄ちゃん、このあにめみる」

「……そうだな、帰ったら探してみよう」


 再度電車に乗り、みんなが待つ家へ向かった。

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