第18話 姉の苦悩④

 暁山の精神的な問題は一応の解決を見せたものの、彼女を取り巻く状況は何一つ変わっていない。

 家事については、母親の手が空けば元に戻る。勉強についてはテストまで時間は減らせないが、睡眠時間はしっかり取ると朔に約束していた。弟に心配されるのは、彼女としても本意ではない。


 残る問題は、柊やクラスの女子生徒たちだ。


 カレーを完食した暁山はそのまま帰ろうとしたが、たまたま帰って来た俺の母さんが車を出してくれたので事なきを得た。


 翌日。これ以上状況が悪化する前に手を打つため、放課後にさっそく行動に移した。


「くれもっちゃん、瑞貴、どうしたの? 突然放課後に遊びに行こうなんてさ。まあ、あたしはいつでも歓迎だケド」

「あはは、まあ僕も響汰に呼ばれただけなんだけどね」


 瑞貴は柊を呼び出すための餌だ。お前のせいでこじれたんだから少しは協力しろ。

 俺が二人を連れて行くのは、幼稚園近くの公園だ。柊は自転車通学なので自分のものに乗り、瑞貴は友人の自転車を借りて、俺についてくる。


「あっ、分かった! 想夜歌ちゃんと遊ぶんでしょ? あたし、子ども好きだから嬉しいよ」

「まあそんな感じだな」


 公園で待つのは想夜歌だけじゃない。暁山と朔もいる。


 柊を騙すような形にはなるが、朔と会ってもらった方が話が早い。

 ちなみに、瑞貴には事情を軽く伝えてある。


「あそこだ」

「お~、想夜歌ちゃーん……あ」


 三人が待つ公園は、それほど広くない。すっかり葉桜となった街路樹の間を抜け中に入ると、緊張した様子の暁山が目に入った。子どもたち二人はベンチに荷物を置いて砂場で遊んでいる。


「ふーん?」


 柊の低い声が怖い。


 暁山と柊は、互いに見つめ合いながら距離を詰めていく。時間の流れが嫌に長い。風の音だけが、二人の間に流れる。

 数歩の距離で、彼女たちは立ち止まった。


 先に口を開いたのは暁山だ。


「柊さん」

「ふふ、暁山さんに会わせるためにわざわざ連れてきたんだ」


 柊は余裕の態度を崩さない。対する暁山は、拳をぎゅっと握った。


「あたしは瑞貴と遊べると思ったのにな」

「ごめんなさいっ」

「いや、そこまで全力で謝られても……」


 突然頭を下げられ、柊が口ごもる。


「私は、不器用です」

「はい?」

「料理もできないし、上手く笑えないし、友達もいません」

「何の話?」


 暁山澄が今回決めたこと。朔に言われたこと。

 それは『完璧であることをやめる』。


「柊さんみたいに可愛くないし、オシャレじゃないし、お菓子も作れない。私よりずっとすごいあなたに、努力していないって言ったこと謝ります」

「いや、それは良いけど……あたしも言い過ぎたと思うし。ていうか、あたしのこと可愛いって本心で言ってたんだ。誰がみても暁山さんの方が可愛いから、嫌味で言っているのかと」


 公園で殴り合いの喧嘩に発展しないかびくびくしていた俺は、ほっと胸を撫でおろした。

 どっちも可愛いよ、とかヤジを飛ばしているお前は反省しろ、まじで。


 瑞貴が動けば、女子生徒の悪口も二人のすれ違いも簡単に解決できたと思うのは、買いかぶりすぎだろうか。結局、こいつは何がしたいのか分からないな。


「私は要領も悪いし家事もできない。でも――何よりも大切な、弟がいます」

「想夜歌ちゃんと一緒にいる、あの子?」


 暁山が頷く。


 柊は再度、ふーんとそっぽを向いた。

 暁山の顔が強張る。


「あ、あのな、柊。暁山の弟は想夜歌と同じ幼稚園で、暁山も俺と同じように弟の面倒を見ないといけないんだ。別にお前を嫌っていたわけじゃなくて」

「くれもっちゃんうるさい」

「あ、はい」


 つい先日も言われたなぁと思いながら、すごすごと下がる。でも、前回と違い柊の顔は晴れやかで、口元には笑みが浮かんでいた。

 空気が和らぐ。


「なーんだ。暁山さんってもっと完璧超人だと思ってた。美人で、勉強もできて、なんでもそつなくこなすんだろうなぁって」


 暁山が目指していたお姉さん像だ。彼女はそれを目指し、見事に演じ、そして破綻した。


「いいえ、ぜんぜんそんなことないの」

「弟に良い格好したいだけの、普通のお姉ちゃんだったんだね」

「……そうなのかしら?」


 柊は要領がよく、見た目の華やかさと明るい性格で常に人気者の地位にいたのだろう。だからこそ、暁山の態度が気に入らなかった。同じくらいの人気がありながら、澄ました顔をする暁山が。

 まあクールぶっている理由がしょうもないんだけどな。


「うん、分かったよ。あたしはそもそも、暁山さんと仲良くしようとしてたんだよ?」

「うっ、ごめんなさい」

「いいって」


 瑞貴に近づくためだろうけどな。

 朔と想夜歌が手を繋いで近づいてきた。おいガキ、気軽に触ってんじゃねぇ。


「柊さん、それで、その……今度、お菓子の作り方教えてくれないかしら?」

「ふふっ……いいよ」


 暁山の表情は教室では見せたことのない、頬を赤らめたはにかみだ。

 柊も弾けるように笑った。

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