第16話 姉の苦悩②

 柊とトラブルがあっても、幼稚園のお迎えに行かなければならない。


「すみちゃん、つかれた? おねつ?」

「想夜歌ちゃん……大丈夫よ。ありがとう」


 毎日のように会っていれば、想夜歌もだいぶ暁山に慣れ、仲良くなっていた。子どもから見ても分かるくらい、暁山は憔悴している。朔も心配そうに、姉の手を握った。


「なあ、暁山。あんまりひどいようなら何か対処した方がいいんじゃ……」

「言っておくけれど、私はいちいち悪口くらいでへこむほど弱くはないわ。ただ最近は色々重なって忙しいだけよ。見苦しいところを見せてしまったわね」


 暁山が少し忙しいくらいで、鉄仮面を崩すだろうか。彼女はいつも冷静で、完璧で……そんな姿をイメージしてしまうのは、勝手な期待かもしれない。

 でもクラスメイトによるイジメに近いような状況は、間違いなく彼女の負担になっているはずだ。


 陰口を言われて大丈夫な人なんていない。これからどんどんエスカレートしていく可能性もある。被害が出てからでは遅いのだ。


「きょうた兄ちゃん」

「ん? なんだ?」

「今日、兄ちゃんカレーが食べたい!」


 朔、お前は年上の使い方というものをよく知っているな。

 そんな可愛くお願いされたら、断れる奴なんていないだろう。認めよう。想夜歌の半分くらいの可愛さを持っている、と。


 ……それに、朔の表情は真剣そのものだ。彼は頭の良くて優しい子だから、姉を助けるために自分ができることを考えたんだと思う。やっぱ男の子だよ、お前は。


「もちろんいいぞ! 暁山、今日は朔の要望によってうちで食べることに決まった」

「それは、その……迷惑ではないかしら?」

「正直、助かるわ。ここのところ、母が残業続きで」


 暁山の母親は、普段は定時帰りなので家事はできる。しかし仕事が忙しくなると、その負担は暁山に向かうのだ。

 そういうことなら、手助けするのもやぶさかではない。二人分も四人分も、手間はそう変わらないしな。


 暁山と朔を連れて、帰宅する。

 彼女の憎まれ口もすっかり鳴りを潜め、殊勝な態度だ。どうにも調子が出ない。まるでか弱い女の子みたいじゃないか。


「じゃあ俺が作るからあ、暁山は二人を見ていてくれるか?」

「いえ、私も手伝うわ」

「いいって」

「あなた一人にお願いするわけにはいかないもの」


 荷物を置いてブレザーをハンガーにかけると、すぐにキッチンに向かおうとする。いつもは無邪気に遊んでいる想夜歌と朔も、心配そうに見つめた。

 暁山の目は虚ろだ。


 彼女はしゃがんでキッチンの収納を開けた。以前使ったエプロンは、そこに収納してある。


「心配しすぎよ。大げさね。――っ」

「おい!」


 そのまま立ち上がろうとした暁山だったが、バランスを崩して後ろに倒れ込んだ。

 慌てて抱きとめる。足元はふらふらで、顔色も悪い。


 体重を支える俺の腕から、するすると滑り落ちて床に座りこんだ。


「お前、ふらふらじゃあねぇか。そんな状態で料理なんてできるわけないだろ」


 この細い身体に、どれだけの重荷を背負っているのだろう。自分の将来のこと、朔のこと、人間関係。いつもは堂々としている彼女が、ひどく小さなものに見えた。


「ちょっと立ち眩みしただけよ……私は大丈夫、だか……ら」


 暁山はもう一度立ち上がろうとして――意識を失った。

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