第10話 妹のプレゼント?

 朝からひと悶着あったものの、何事もなく一日が終わった。俺と瑞貴が騒いでいるのなんていつものことで、クラスメイトも特に気にしない。良い意味で適当なクラスなのである。四月も中旬ということで雰囲気も分かってきたが、なかなか良いクラスだ。


 幼稚園へ向かう道すがら、暁山の姿を見つけて隣に並んだ。毎日の爆走によって鍛え上げられた足腰はついに電動自転車に追いつくことを可能とした。


「悪かったな、さっきは瑞貴と俺が余計なことして」

「別に、気にしていないわ」


 暁山は前を向いたまま、淡々と答えた。


 教室で孤立する姿と、弟を溺愛する姿。どちらが本当の暁山なのだろうと、意味のない考えが脳裏に浮かぶ。どちらも本物には違いないのに。

 自転車のチェーンが回転する音だけが、閑静な住宅街に響き渡る。時折覗き見る暁山の横顔は、汗一つない涼しいものだった。陽の光を反射して光る髪が、風に乗って跡を追った。


 こんなにも彼女のことを考えてしまうのは、きっと勝手に共感しているからだ。


 親がシングルマザーで弟の面倒を見ている彼女。家庭環境に差異はあれど、似た境遇であることは間違いない。

 俺は想夜歌と過ごすことを嫌だと思ったことはないが、それなりに苦労はある。暁山も色々大変だろう、なんて一方的に思っているだけだ。


「そういや、暁山は進路とかどうすんの?」

「進学よ」

「ま、そうだよな。学年一位だし」

「逆ね。進学するから学年一位になったの。国公立を目指しているから」

「ん? 別に試験受けるなら成績とか関係ないんじゃ?」


 目を細めて睨まれた。そして、呆れたようなため息が続いた。


「せっかく授業を受けているのに、有効に活用しない手はないでしょう? 真剣に取り組んだ結果、テストの点も伴っているだけよ」

「まあそりゃそうだけど。だいたい皆予備校に行くもんじゃないのか?」


 なんとなくそう答えてから、愚問だったと理解した。俺だって予備校には行っていないじゃないか。理由は、おそらく同じ。俺たちにそんな時間はない。


「すまん、そうだよな」

「ええ。だから勉強は出来る時に集中するのよ」


 日々を忙しく過ごしながら成績を維持している暁山を、素直にすごいと思った。

 俺に関しては想夜歌関係なくピンチだ。一年生の時は赤点ギリギリだったし。


 完璧主義で、隙が見当たらない。


「お兄ちゃん! おそい」

「想夜歌―! 俺だってもっと早く来たかったよ!」


 この幼稚園は、通常の預かり時間は午後二時までだ。俺は高校がある関係上、四時近くまで延長保育をお願いしている。料金はそれほど高くないし、きちんと見ていてくれるので安心だ。

 同じく残っている子もそれなりにいて、遊んでいられるのも想夜歌としては楽しいらしい。それでも、俺には早く会いたいみたいだけど!!


「姉ちゃん」

「朔、帰りましょう。スーパーに寄って行かないといけないわね」

「うん……」


 そう、俺と同じく学校がある暁山も、弟を延長保育してもらっているのだ。つまり、幼稚園が終わった後も想夜歌と朔は一緒にいることになる。どうにも二人が仲良すぎる気がして、心配だ。初恋にはまだ早いというか、初恋はお兄ちゃん作戦がッ。


「お兄ちゃん、みて」

「ん?」


 想夜歌が差し出してきたのは、泥だんごだった。

 懐かしいなー。俺も昔作った記憶がある。磨けば磨くほど綺麗になっていって、極めると青く輝き出すんだよな。よく靴箱の中に保管していた。

 想夜歌に渡されたのはまだ不格好で、辛うじて球体を保っているに過ぎないものだった。


「ありがとう……一生大切にするな。帰ったらショーケースに入れよう」

「さくにもらった!」

「ぶっ壊す」


 プレゼントだと!?

 こいつ、完全に狙ってやがる……。


「大人げないわね……」

「なんだよ。お前だって初日は、朔に女の影が……とか言ってたくせに」

「私、気が付いたのよ……姉美人すぎて、朔はきっと平凡な女性では満足できないに違いないわ。審美観を歪めてしまうのは心苦しいけれど、仕方のないことね」

「お前、すげぇな」


 どこからその自信が湧いてくるんだろう。顔からか。

 ちなみに、朔も負けず劣らず整った顔付きをしている。将来はかなりの美男子に育つだろう。恐るべきは遺伝子か。


 想夜歌はこの世の奇跡なので、比べるのは相手が可哀そうだ。


 想夜歌に突き返した泥団子は、朔と一緒に転がして遊び始めた。ち、近すぎる。ぐぬぬ、と唸っていたら、隣の暁山に足を踏まれた。


「ん、なんか朔元気なくないか?」

「そうね。今日は母が残業で遅いのよ」

「なるほどな。寂しがっているわけだ」

「……それも理由の一つね」


 暁山が言いよどんで、そっぽを向いた。いつもはっきりした物言いの彼女にしては珍しい。

 いつの間にか割れてしまった泥団子を持って、朔が戻って来た。そして、俺に密告する。


「姉ちゃんのごはん、おいしくない……」

「ブフォッ」


 切実な顔だった。

 思わず吹き出してしまった。ちらりと暁山を見ると、熟練の殺し屋みたいな顔でバッグに手を入れていた。待って、何入ってるの?


 殺される前に、慌ててフォローする。


「そ、そっかー。普段はお母さんが美味しい料理作ってくれるのか?」

「うん!」

「姉ちゃんは?」

「だめ!」


 子どもは無邪気である。素直さは時に人を傷つけるということを、まだ知らない。


 暁山も弟相手には怒れない。というか、事実だから言い返せないのか。


「なんつーか、意外だな。暁山なら何でもできるのかと」

「別に、できないわけじゃないの。レシピが難しいのよ」

「それをできないって言うんだよ」

「そう言う響汰はできるのかしら」


 ふっ、舐めてもらっては困る。こちとら、小学生の頃からやってんだ。それに、想夜歌の笑顔のためならいくらでも頑張れるさ。


「俺が想夜歌の料理を妥協するとでも?」

「ピーマンいがいはおいしーよ」


 ピーマンも食べような……? 嫌いな子でも食べられるレシピ試してみるか。


「そう……」

「じゃあ今日うち来るか?」

「え?」


 戸惑いの声を上げる暁山の横で、朔が元気に手を上げた。


「いく……!」

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