お茶の時間

錦魚葉椿

第1話

 奥様は無言でティーカップに唇をよせられた。

 朝顔のような優雅なデザインの縁の形を今も思い出します。

 テラスにしつらえられたテーブルには色鮮やかな菓子類が並べられ、手入れが行き届いた庭にはオールドローズが今を盛りと咲き誇り、花の間を流れてきた風はほのかにかぐわしい香りがしていて、新緑はキラキラと輝いているのに。

 テーブルの上に見えない氷が張っているようでした。


 奥様は、昨日、若奥様が主催なさった夕食会について、お客様へのお迎えの手配、お食事の内容、音楽、テーブル装花、カトラリーから皿の種類、召使の衣装に至るまで一つ一つ詳細にどのような点が至らなかったかをご説明になりました。

 その間、誰がその紅茶とお菓子に手を付けることができるというでしょうか。

 美しい白磁のティーカップに注がれた琥珀色の紅茶が水よりも冷たい温度に冷え切るまで、誰一人としてティーソーサーに手をかけるものはおりませんでした。

 途中から若奥様の押し殺したむせび泣きが五月の薫風に乗って、どんなに心の耳をふさいでも聞こえてくるのです。そのお茶会は春も夏も秋も冬も繰り返されたのでした。

 私はお屋敷に花嫁修業以前の行儀見習い勉強に出されている、まだほんの幼い少女でございましたが、そのとき魂に刻んだことがあります。

 自分の身分をわきまえないことは命取りなのだ、と。

 若奥様は若旦那様がそのかわいらしさをお気に召してお迎えになった、そのお屋敷のお家柄よりいくらか物足りない家柄の若いお嬢様でした。


 下級貴族のさらに下に引っかかっている程度のわが家では、普通にしていれば早々に食い詰めるのは火を見るよりも明らかでした。父は親戚のつてと人脈を頼って、少しでもいい家に私を嫁にだそうと相当無理をしたのだろうと思います。

 奥様がよそからお預かりになった、ずっといい家のお嬢様達のついでとして、礼儀作法や針仕事、刺繍、ダンス、楽器など教えていただくことができました。「あのように身分の低いものでもこの程度はできる」と発破をかけるための脇役だったとしても、教えてくださるとき、奥様は件のお嬢様達と私に差別をなさることは決してありませんでした。

 奥様は、特に私については、雇用主と使用人の振る舞い方の差を、貴族といえどもおそらく使用人となるであろう私に、どのように振る舞うことがこの身分で適切なのか、親切に教えてくださいました。

 私がちょっとでもその域を踏み越えたものなら、極寒の吹雪を思わせる眼差しで凝視されながら、どこがいけないかをご指摘になります。一枚一枚皮をむかれるアーティチョークになったような気がしたものです。

 奥様のもとには三年ほどいることができました。

 その頃には、奥様の主催なさるお茶会や夕食会の手配や、招待状の手配、代筆や清書など秘書のようなこともさせていただくようになっておりました。

 しかし、残念なことに父が突然になくなったので、家計を支えるため、働きに出ないといけなくなり、親戚のつてを頼って、別の貴族のお屋敷で、お嬢様の家庭教師として住み込むことになりました。稼ぎを実家に送り、残された母を支えなければならなかったからです。


 暇乞いを申し上げに行ったとき、奥様はしばらく絶句なさって、そして静かに「そう、とても残念だわ」とおっしゃってくださいました。

 おそらくその数秒の間に、秘書として雇い入れようかとお考えになってくださったのだと思います。

 しかし、行儀見習いとして周りに置くならともかく、そうするにしては私の身分があまりに低く断念なさるだろうということは私にはよくわかっておりました。父が死んだことにより持参すべき何も持たない私に紹介できる嫁ぎ先もないことも。

 お屋敷で雇ったら、掃除や洗濯などの最も下位の召使から始めなければなりません。奥様は私をそのように教育なさいませんでした。奥様は私が最も順当で適切な職業を選択したことをご理解になったのでしょう。

 奥様は私を見送るにあたり「どれほど私が優秀で、立派に家庭教師を務めるであろうと思うか」をしたためた推薦状を持たせてくださいました。奥様がもっとも高級な用紙を選んでご自分でお書きくださったことに、私は心から感謝いたしました。

 奥様の手蹟は一目見れば誰の手かわかるものでしたので、この国のどこでもこの紹介状で職に困ることはなかったのです。


 お屋敷を去るときに若奥様にもご挨拶をいたしました。

 ひなげしのように可愛らしく可憐だった若奥様は、陰険な表情の美人になっておいででした。わずかに顎を上げ、長い下睫毛の上から私を眺めおろして、労いの言葉など一言も口にされませんでした。

 ふんと鼻を鳴らしてあちらをむいてしまったので、私は深く礼をしてその場を辞しました。



 それから私は実家の兄が探した私の新しい職場の門をたたきました。

 その家も十分に高貴な家柄でした。

 その家の奥様はおおらかで朗らかでおよそ貴族らしくない様子の方でした。丸くて大きな目の真ん中に瞳孔が浮かんでいるような、はっきりいえば魚っぽい容貌をしていて、笑うときはガハハとお笑いになるのです。

 前歯が一本虫歯で欠けていたのは最後まで正視できませんでした。

 奥様は私の身分を差別したりされることはなく、自分がお茶を飲むとき、私が近くにおりましたら、お声がけくださるのでした。

 しかし、奥様は、厨房が焼いたおいしそうなアップルパイにスパイスをよく聞かせたトマトソースをかけてお茶うけになさるのでした。いくら喉をすぎれば一緒とはいえ、飲めないものは飲めないのです。

 アップルパイだけではなく、ベリーを挟んだスポンジケーキにも焼きたてのクッキーにもなんにでもトマトソースでした。満足そうに紅茶をすすりあげるのをどうしたらいいというのでしょう。

 奥様は優しい方でした。

 奥様によく似たお嬢様を大変かわいがっていらっしゃっていました。お嬢様は、八つになっても鼻を垂らしていましたが、それはどうやっても治りませんでしたが、お嬢様もまた使用人に分け隔てない、とてもお優しい方でした。きっとお坊ちゃまに奥様が来ても、奥様は冷たいお茶を飲ませるようなことは絶対にないでしょう。やっぱりトマトソースのスコーンを飲み込まさせられるにしても。


 お嬢様が寄宿舎に入られることになったので、私はまた丁重な紹介状をいただいて次のお屋敷に移りました。

 そこのお屋敷の奥様は真四角のブロックを縦に積んだようながっしりとした骨格の小柄な女性でした。初めてお会いした時は、人間とはこんなに背中に肉が付くのだなあと思ったものです。

 そのお屋敷での私は「奥様のお話相手」でした。

 お茶をいただくとき奥様は「私はブランデーの香りのついた紅茶が好きなの」とおっしゃいながら紅茶を二、三滴たらしたブランデーを召し上がるのです。

 見た目はそんなに変わらないものですね。

 最終的には臙脂色で花を描かれた大ぶりなティーカップになみなみに手酌をはじめ、おいしそうに天を仰いで喉をひらいて一気に飲み干すのでした。魚を飲み込む鳥に似ていました。

 奥様の瞳はとてもきれいな青でしたが、白目は血走った黄色でした。

 しばらくして奥様は病みついておしまいになり、私はまた紹介状をいただいて次のお屋敷に移りました。


 短い期間の家庭教師をいくつかこなした後、また別のお屋敷に移りました。

 そのお屋敷にはお嬢様が三人いらっしゃいました。

 上のお二人は家庭教師が必要な御年より少し大きい方でしたが、それでもやっとちゃんとした家庭教師らしいことができるようになり、とてもうれしゅうございました。

 最初に私にいろいろ教えてくださった奥様のご恩返しができるというものです。お嬢様がたはすくすくと健康に成長なさって、私はご主人様に高く評価していただきました。

 そのお屋敷の奥様は、そのような表現が適切かどうかわかりませんが、「宙に浮いたような」方でした。

 やせ気味の体をコルセットでさらに締め上げて、流行の上等な衣装に身を包み、最高級の紅茶にお湯を注いだ後で、「あなたが着ているドレスはどこで作られていて何枚ぐらい売られたものなのかしら」とお尋ねになるのです。そんなことはものすごく些細なというか、その紅茶を適切な時間でカップに注ぐより重要なことが今あるのだろうか、と身分が許すのなら詰問したいところですが、奥様にとって納得のいく回答が出るまで、紅茶の葉はお湯の中で開きっぱなしとなるのでした。当然、私の服などはお仕着せでございます。

 そのほか、焼きたてのスコーンを前に、「このイチゴジャムを作った農家は、、」とお話が始まったので、(ほかにどんなジャムを作っているのかしら)とくると思い回答を準備していたら、「この瓶をどうやって作るのかしらね」とお尋ねになりました。ジャムを作る農家が瓶まで一緒に作るわけがないだろうと吐き捨てたい気持ちを抑えるのに全力でございました。

 お嬢様がたも、旦那様さえも同じお気持ちでいらっしゃったのかもしれません。

 ある日のお茶会で一番上のお嬢様が奥様に明日の予定をお尋ねになりました。

「お母さま、明日は私の結婚式です」

 明日に着ようと思うドレスの色をおっしゃるような、夕食に召しあがりたいワインの銘柄を指定されるような軽さでした。

 奥様はしばらく沈黙した後、「私、何を着たらいいのかしら」とだけお尋ねになり、お嬢様は薄笑いを浮かべたまま「なんでもいいですよ」とお答えになりました。

 次の日の結婚式は予定通り盛大に行われ、お嬢様はとてもお幸せそうに旅立っていかれました。

 奥様は最後まで、お嬢様の夫になった人が誰かをお尋ねになりませんでした。


 一番下のお嬢様が、社交界にお出になる年になられましたので、私は再び次の仕事を探さねばならなくなりました。

 ご主人様は、長年の私の苦労を大変いたわり、ねぎらってくださいました。

 そして、おもむろに、「君はとても我慢強い人だから。我が屋敷の家庭教師はだれなのかと尋ねられてね」といいながら、極めて善意のみをもって次のお屋敷に紹介状をしたためてくださいました。


 このお屋敷に来るまで、短いところも合わせれば勤め先は十か所をゆうに超えていましたが、しかしこの屋敷の奥様にはそれまでのすべての観念を破壊された気がします。

 私の身分でここのお屋敷の家庭教師ができるということは、ありえない幸運で名誉なことでございました。

 奥様は限りなく高い身分のお生まれで、遅くに産んだお子様を目に入れてもいたくないほど溺愛していらっしゃいました。全体的に愛の強い、深い方でいらっしゃいました。

 コチニールレッドの最高級レースに花柄の刺繍を施したドレスをお召しになった日のお茶会のことを忘れることはできません。

 奥様のお茶会には最高の身分の方がたくさん招待されておりました。奥様はお客様のために最高級のケーキを準備され、召使が数人で銀製のオーバルトレイに載せてかかげるように運び込まれたケーキは果物で美しくデコレーションされていました。

 奥様はおもむろに長いナイフを取り出されました。

 その大きなケーキを切り分けるのだろう、と思った刹那、奥様はまるで敵でも切りつけるかようにバッサリと斜めにケーキにナイフを入れ、それは肉用、という大きさの皿にひっくり返して乗せたのです。

 料理長がその技術と意匠を駆使して飾ったクリームとフルーツは皿とスポンジの間で圧死しておりました。奥様は至極満足そうに微笑みながら一番お気に入りの取り巻きに、その皿を差し出しました。お菓子の常識的な量をはるかに超越したケーキの破壊的残骸を恭しく受け取ります。奥様はシュラスコを偃月刀でそぎ落とす戦士のような動きで素早く次々とケーキを切り分け配っていかれました。

 なんと私にもケーキの残りをいただくことができたのです。

 そぎ落としたタルト部分の残骸でございましたが。

 ケーキは垂直に刃物を入れるのだという固定観念にとらわれていた自分に驚いた出来事でした。


 奥様は少女の純真を抱いている伝説の火吹き竜のような方でした。

 他の使用人からは憐れみとありがたみの交じった微妙に温かいまなざしをうけながら、私は精神をすり減らして暮らしました。何年も冬が続いたような、季節はずっと冬だったようなそんな記憶しかありません。

 奥様は我が子が誰よりもかわいがられなければならないのですが、その我が子が自分よりも誰かになつくことは絶対に絶対に、絶対に許さないのです。

 そういう状況下においてお子様の相手をしている私が標的になることがほかの使用人よりも圧倒的に多かったからです。私はほかの使用人の盾でございました。

 ある日、お坊ちゃまにうっかり好きな花を漏らしてしまったことがあって、お坊ちゃまは庭からその花を摘んで私に届けてくださったのでした。感激した次の日、その花の植わった庭の一角は徹底的に破壊されておりました。

 目の高さまで土砂の積まれた光景は恐怖を超えて呆然といたしました。

 奥様はありとあらゆる罵詈雑言をお子様方に吹き込んだうえで、私がお子様方の信頼を得られていないと怒鳴り続けるのです。オペラで鍛えた喉の強度と音量はすごいなあと感心したものです。


 それでもお子様は成長するのです。

 家庭教師がいらなくなる年は確実にやってくるのです。


 旦那様に残念そうにその旨を告げられた時、両腕を天に突き上げで快哉を叫ぶ寸前でございました。このまま奥様の付き添いに残るという選択肢を心の底から固辞し、やはり大変心のこもった紹介状をいただいて私は荷物をまとめました。

 使用人の上から下まで、全員から全力で引き留めていただきましたが、カバン一つに入るだけの荷物をまとめ、あとは全部廃棄処分をお願いして、ほぼ遁走の体でお屋敷を出たのでございます。

 母が死んだときすら出られなかった、お屋敷を生きて出ることができ、夢のようでした。目が覚めるのではないかと、今もし夢で、目が覚めたら部屋の窓から堀へ身を投げる覚悟ができておりました。



 次のお屋敷は都から少し離れた、緑の多い丘にありました。

 奥様からの追っ手を恐れ、なるべく都から離れたところを希望したのです。「都会生活に疲れたので」と伝えました。お屋敷の住所は都会は都会でしたが、屋敷の敷地内から出たことはなかったのですが。

 門から入口からお屋敷までレンガが敷かれ、道の両側に小さく可愛らしい白い花が植えられて風に揺れていました。白い花の向こうには低い丈のバラと褐色の葉が美しいカシワバアジサイが植えられ、続く道にブルーの花がちらちらと植えられています。お屋敷の青みがかった暗い緑色の屋根に白壁が映え、一服の美しい絵画のようでした。

 

 立ち尽くしていると、少し離れた白い東屋から名前を呼ばれ、振り返ると美しい女性が立っていました。

 私より10歳ほどは若いと思われる奥様はブルネットの髪をゆったりとまとめていましたが、その髪はつやつやと輝いていました。ドレスは流行りの型ではなく、伝統的な型紙で仕立てられていましたが、深い緑の布地は微細な織りがはいっており、布と同じ色で刺繍が施され、張りのあるドレープを近くで見れば女主人がまとう仕立てのものであることははっきりわかりました。

 東屋にはカップ型のオールドローズが何種類か組み合わせて、仕立てられていました。そこで旦那様と奥様は私の到着を待っていてくださったようでした。

 焼きたてのシフォンケーキがテーブルに置かれ、奥様が勧めてくださった椅子に座って紅茶をいただきました。

 そのとき、オールドローズの生垣の向こうから、ひょっこりとお嬢様が顔をだしました。お嬢様は五つぐらいに見えました。ローズピンクのふわふわした生地で仕立てられたドレスがお世辞ではなく、小さな妖精のようにみえました。

 まばゆいほど幸せな家族。

 奥様が切り分けたシフォンケーキは八等分。完全な放射線状でした。


・・・・殺られる。

そのとき何の根拠もなくそう確信したのです。

 愛と平和と常識にしばらく触れていなかった精神が、違和感を処理できずに誤作動をおこしたのです。

 このシフォンケーキを口にした瞬間に死ぬにちがいない、もう飲んでしまった紅茶が体に回って明日の朝は目が覚めないにちがいない。このテーブルの盛花には毒針が仕込んであって、触れた瞬間に手が腐るに違いない。この東屋の床は十秒後に抜けるに違いない・・・。

 愛をこめて目配せしながら微笑みあう夫婦が歴戦の暗殺者にみえました。

 視界がぐにゃりと歪み、息が吸い込めない。

 気が遠くなっていく私の膝にお嬢様は両手をのせて、キラキラした目で心配そうに私の顔を見上げて尋ねました。

 「せんせえ、大丈夫」

 私は最後の勇気を振り絞ってお嬢様の可愛らしい手に、自分の手をのせて何とか笑顔を口に乗せました。のぞきこんだお嬢様の瞳は透明に澄んでいました。


私は次の朝。

働き始めて二十年、初めて自分から職を辞しました。









 

 

 







 



 






 

 












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お茶の時間 錦魚葉椿 @BEL13542

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