4-4


 翌朝――

 

 なぜか、状況は、いっさい好転していなかった。

 部屋には酒ビンが何本か転がっていて……よく見ると布団も含めてあちらこちらに変なシミがある。

 飲み過ぎて、酒をこぼしたり、ゲロったりしても、きちんと綺麗にしようとしてこなかったからだ。

 コレが、変な臭いの原因だろう……

 特に布団がヤバイ。

 ハエがたかっている場所があるってことは、布団を使わないで正解だったということだ。

 まるでゴミ捨て場で寝泊まりした気分である。

 

「は~~~~」


 せいだいな、ため息をはくと、幼女が目覚めてきた。


「おはよう、って、言ってもつうじねぇんだっけ」

「お、は、よ、う、?」


 え、なに、コイツもしかして天才か?

 昨日だけで、なんとなくだが、言葉を覚えたとかありえるのか?


「あぁ、おはようってのは、朝の挨拶だ」

「エウ? おは、よう、あ。い。さ。つ?」


 発音は、いまいちだが、短期間のうちに意思疎通が出来る可能性はありそうだ。

 小学1年生の教材でも、ねだってみるか。

 あの、おひとよしな市川夫妻なら簡単に買ってくれそうな気がする。


「って、いうか、名前も、なんとかしなくちゃいけねぇんだよなぁ。なぁ、お前の事ってなんて呼べばいいんだ?」 

「エウ? なま、え、?」


 やはり、単語単位だが覚えて意思を伝えようとしている感じがする。

 なんか野良猫拾って名前つけるみたいだが、とりあえずエルとでも呼んでおこう。


「よく分からんだろうが、とりあえずお前のことはエルって呼ぶ。それでいいか?」

「える?」

「あぁ、お前の名前はエルだ」

「エウ?」

「えう、じゃなくて。エルな」

「える?」

「あぁ、エルだ」


 とりあえず名前は、いいとして……

 なんで俺は、いまだに、この物語の主人公ポジションを続けてるんだ?


 謎だ。


 最低でも寝て起きたら、夏美に踏まれてると思っていただけに、予定外感がはんぱない。

 狭い部屋を見渡しても、コレといった手掛かりみたいなものは何もないし。

 唯一、幸いといえるのがタイル張りのシンクと蛇口をひねったら水が出そうな物があるくらいである。

 試しに蛇口をひねってみると、きちんと水が出てくれた。

 腹もへってるし、歯を磨いたら、とにかく市川屋へ行こう。


 デカくて使いづらい歯ブラシでも、何にもしないよりはマシかな?

 って感じで歯を磨き、エルと一緒に市川屋へ向かって歩き出す。

 ちなみにエルが口をゆすぐときは抱っこしてやった。

 どうやら、人がやっているのを見て真似るのは上手いみたいだ。

 ノーマルの大国寺じゃなくて本当に良かったと思う。

 下手すりゃ幼女にして、空き巣のプロになっちまってたかもしれないからな。


 市川屋へ着くと開店準備は、されていなかった。

 時計がないから今の正確な時間は分からないが……昨日の店じまいするときのやり方みてても、商売が上手いとは思えなかった。

 俺は、商人じゃないから知らないが、少なくとも掃除くらいはしてから店じまいするべきだと思ったし。

 なによりも、とりあえず積んで置けばいい。みたいなノリが信じられなかった。

 ガラガラと音のする、ガラス戸を開けて中に入る。


「おはようございます」

「お、は、よう、ます」


 俺が挨拶すると、エルも続いて挨拶をしてくれた。

 やはり、天才の部類らしい。

 母国語は、どこか知らないが、もしかすると思った以上に短期間で、日常会話が成立するかもしれない。


「おやおや、よくきたねぇ」


 笑顔で出迎えてくれたのは奥さんの方だった。夫の方は市場に仕入れに行っているとかで居ない。

 漬物と、ご飯だけの朝食だったが、なにもないよりは、はるかにましだ。

 エルの方は、というと――昨日は、ちょっと不安に感じたハシの持ち方も今日は、しっかりとしている。

 食べ方も丁寧でどことなく、育ちの良さをうかがわせた。

 俺が『いただきます』と言えば真似してくれたし。

 お茶を飲んでから。


「ごちそうさまでした」と言えば――

「ご、ち、そう、さました」


 予想通り真似してくれた。


「あれあれ、なんだい、あんたが教えたのかい?」

「いえ、この子なりにまねしてくれてるみたいなんですよ」

「ほー。りこうそうな顔しとるとは、おもったけんど、こりゃおもった以上かもしれんなー」


 これは、いい流れだ!


「できたら、小学校1年生の国語の教科書が欲しいんですけど?」

「あぁ、そんなら息子のとってあるで持ってきてやる」

「息子さん、今はどちらに?」

「あぁ、二人とも戦争に持っていかれちまった」

「え……」

「いいって、気にしなさんな」


 奥さんは、よっこらせと言って、腰を上げると壁に手をかけながら二階に上がって行った。

 どうやら足を痛めているらしい。

 おそらく年齢的なものもあるのだろうが、歩きづらそうだ。


 しばらくして、奥さんは表紙が茶色く変色した国語の教科書を持ってきてくれた。


「ありがとうございます。それと、いまさらで申し訳ないのですが。あなたのことは、なんと呼べばいいのでしょうか?」

「あぁ、わたしのことは、セツコでいい」

「分かりました。ありがとうございます。セツコさん」

「ほら、エルもありがとうございますって言ってみろ」

「あ。りがとう、ござます?」

「そうだ、人から物をもらったら、ありがとうございます、だ」

「ありが、とう、ございま、す」


 セツコさんは、しわの目立つ顔をさらにしわしわにして笑みを浮かべてくれた。


「あぁ、いいっていいって、こうして使ってくれりゃ息子もよろこぶ」

「じゃぁ、開店の準備したいんで、はたきとかの掃除道具貸してもらってもいいですかね?」

「なんだ、そうじもしてくれんのか?」

「はい。基本だと思ってますので」


 ってゆーか、ホコリかぶった商品とかが許せねぇだけだったりもする。

 売れ筋とかも関係なく。とにかく、積んであるだけの陳列じゃ、下に何が眠っているのかすら分からない。

 どうせ客なんてそんなに来ないんだから、せめて何が、どこに、どれだけあるのかを確認したかったというのもある。


 掃除をはじめて気づいたのは、とにかくカオスだったということだ。

 まず目についたのは、消費期限が書かれていない!

 いつ仕入れたのかも分からない物が次々に出てきた。

 これは食えるのかな?

 って思ってセツコさんに聞いてみたら、仕入れた記憶もないと言われ。

 試しに包装紙を、はいで見たら、チョコレートが白く変色していたり。

 中には、ネズミにかじられたとしか思えない袋入りのラーメンとかも出てきた。

 どう考えても売り物ではない。


 って、ゆーかゴミだよね!?


 それでもセツコさんは、むしれば食えるとか言って台所に持っていくし……

 衛生観念的なものが、俺とは根本的に違うようだ。


 なんだかんだと色々出てきたが、セツコさんが処分していいと判断したのは、わずかであり。

 しばらくは、俺達の食事になるそうだ。


 はら……こわれなきゃいいなぁ……

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