2 いつかの花(6)
レナのすすり泣きを掻き消すように、部屋の電話が鳴り響いた。放っておくと切れたが、またすぐにかかってくる。断罪はベッドサイドの受話器を取った。
「はい」
「やあ断罪」
声は看守のものだった。背後からは従業員の声も聞こえる。ひどく怯えているようだった。
「ケータイ繋がらないから来ちゃった」
「なんの用だ」
「邪魔したからってそんなに冷たく言うなよ」
「べつに」
「あのさー、一緒にいるのってもしかして罪過?」
「まさか」
「ふうん。留守だったからてっきりそうかと」
「留守だって?」
彼女はまだ罪過ではない。携帯電話も使えない。あの部屋から出て行かれるとどこにいるのかわからなくなる。
何もするなと言ったのに。断罪は舌打ちをした。
「そこにいろ。今から行く」
「男ふたりでホテルから出るとかありえないし。表で待ってる」
そう言って電話は切れた。
いくつものことが頭のなかを行き交って、考えがまとまらなかった。背後ではレナの起き上がる気配がする。鞄から取り出した手鏡で顔を確認していた。断罪は手持ちの金をすべてレナに差し出した。
「最低、だいっきらい」
レナは泥のような目をして数枚の一万円札を見つめる。受け取る気配がないので膝に置いた。
「彼氏と仲良くしろよ」
小さく告げて断罪は部屋を出た。唇に残るグロスの感触が気になって、腕で拭う。肌にはラメが光っていた。
エレベーターを降りてフロントを見やると、従業員の女に睨みつけられた。
「次に来たら警察呼びますからね」
看守のしたことで断罪が責められるいわれはなかったが、彼女からすればふたりとも大差はないだろう。看守のために頭を下げる気はなかったので無視をしてホテルをあとにした。
道向かいの日陰に看守はいた。
「おまえフロントでなにした」
「ちょっと驚かせただけ」
銃のかたちを手で真似て、看守は入口の自動ドアを狙った。
「やりすぎだ。あんまり長くいると警察を呼ばれる。とりあえずここから離れるぞ」
「弾なんて入ってないのに」
「そういう問題じゃない」
「はいはい。それより罪過だよ。もうすっかり思い出して逃げたんじゃない?」
「いや、それはないな」
「なんでそんなに断定」
「わからないからだよ」
断罪は看守の腕を引いて歩き出した。
「なにが」
看守は断罪の腕を振り払い、横に並ぶ。断罪はシャツのなかに風を送りながら、アパートへ向かって歩いた。
「どこにいるかわからないんだ。目覚めたときから。たぶん、あいつがまだ罪過じゃないせいだろう」
「そんな。じゃあ彼女が君の部屋にいたのは」
「偶然だ」
「どうしてすぐに言わなかったの」
「言ってどうにかなったか?」
「身も蓋もないこと言うなよ」
看守はふてくされて断罪の脚を蹴りつけた。太陽のもとで金髪が色を失う。洗いざらしの髪はライオンというより頭を垂れた稲穂のようだった。いくつもあったネックレスや片方だけだったピアスを外し、ダメージ加工のあるだぶついたジーンズと紺色のポロシャツという装いで、昨夜より若く見えた。
「行き先に心当たりはないの、おにーいちゃん」
「ない」
「うそ、ほんとに? あの写真見る限りでは、妹の行き先もわからないような不仲とは思えないんだけど」
父と早く死別し都々が父親代わりをしていたせいか、沙々奈はなかなか兄離れできずにいた。最近はそれを気にして距離を置いていたので都々にもわかることが少ない。
「もしおれに心当たりがあったとしても、あいつのほうに沙々奈の記憶がない」
「わかんないよ、そっちの記憶は戻ったかもしれない。はあぁ、どっちにしてもやっかいだなー。どうしてこんなことになったんだろ」
看守の軽い口ぶりは何か知っているようにも聞こえる。
「さぁて断罪、どこから捜そうか。まずは本屋とか行ってみる? なんか調べに行ったかも。それともケータイショップかな。充電器持ってなかったみたいだし。あんま充電なかったでしょ」
「おい」
「なに」
「おまえのほうこそ、心当たりがあるんじゃないのか」
「まさか。何を根拠に」
「この宿主で目覚める前、おれは罪過に殺された。そのことが関係してるんじゃないか」
「そんなこと突然言われてもね」
「あの廃墟におまえもいたのか。罪過はあれからどうした」
「うるさいなぁ」
ひらひらと手を振り、看守は道端の自販機の前で立ち止まった。
「あれ。小銭ないや。貸して」
手を差し出され、仕方なく小銭を渡す。
「答えろ。どうなんだ」
「いたよ、ぼくもあそこに」
さらりと答えて、看守は買ったばかりのソーダ水を飲む。
「だったら罪過はあのあといったい」
「それは教えてあげない」
看守はふっと顔をそらした。てっきり薄笑いを向けられると思っていた断罪は、いくらか拍子抜けした。
「おれの苦しむ姿が見たいってやつか」
「ぼくも信用がないね。むしろこれはぼくの誠意なんだよ」
大通りまで出ると排気ガスが肌を掠めていった。太陽にあたためられて、夜よりずっと輪郭を持っている。
断罪は横目に看守を見やった。
「罪過はどうやって死んだ」
ソーダ水を飲み干した看守は無言のままアルミ缶を押し潰す。
「看守、おまえが殺したのか」
「この街はごみ箱が少なすぎるね」
看守は空になった缶を植え込みに投げ捨てた。断罪は重ねて問うことはしなかった。
駅前を過ぎ、緑があざやかなイチョウ並木を歩く。汗は流れる前に蒸発してしまいそうだった。日陰を求めて、アーケードのある通りへ向かう。
雑踏や店のなかに沙々奈を捜すが、それらしい姿は見当たらない。ひとまずアパートまで帰ってみるしかなさそうだった。
そのとき背後からどんっと看守がぶつかってきた。肩越しに見下ろすと、断罪に隠れるようにして周囲を窺っていた。
「どうした」
「ごめん、ぼくちょっと行かなきゃ」
看守は口早に言って、逆方向の流れにのまれていった。小柄な後ろ姿はすぐに見えなくなる。それを追うように、数人の男が一斉に動き出した。一見してどれも堅気ではない。
ばかなやつだ。宿主の人生に干渉しすぎるからそうなる。
断罪は冷ややかに嘲笑を浮かべて視線を戻す。だが数歩歩いて、尻のあたりに違和感を覚えた。デニムのポケットへ手をやると、ナンバープレートのついた鍵が入っていた。裏には黒いマジックで駅名が書かれている。コインロッカーの鍵のようだった。さきほどぶつかったときに看守が入れていったのだろう。事情は知らないが、彼が追われていることと無関係とは思えなかった。
断罪は舌打ちを洩らす。捨ててやろうかと思ったが、なにかそうすることが当然のようにポケットへ戻していた。体はときおり、思うようにならない。それが自分の肉体ではないからか、もしくは誰もがそうなのか、断罪にはわからない。
たすきをかけてポケットティッシュを配る男が、新機種発売開始しましたと客を呼び込んでいる。携帯電話ショップだった。断罪は足をとめた。
「あの、パスコードを忘れてしまったんですが」
断罪が機種を告げると男はわずかに申し訳なさそうな顔をした。初期化するしか方法がないという。いくつか例外があるというがどれも望みは薄い。断罪は礼をして店を離れた。
人通りの多さに辟易として脇道へ逃れる。ミネラルウォーターを買って飲みながら、工場製品のように流れていく人々を眺めていた。はたしてここに沙々奈がいるのだろうか。
あてどなく街を歩いていても見つけられそうにない。断罪はアパートへ帰ることにした。
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