2 いつかの花
2 いつかの花(1)
明滅する飛行機を眺めていると、いくつもの記憶が脳裏をよぎった。なかでも直前の命のことが、色濃く思い出される。
砂漠に近い町だった。目覚めて最初に目にしたのは下半身だけの死体で、背中に感じた重みを押しのけると上半身が転がり落ちてきた。辺りには武装した民兵らが、何もない空へ向かって発砲していた。広場の中央ではヘリコプターの残骸が燃やされ黒煙を吐き出している。乾ききった町はことごとく破壊され、路地を逃げる女や子どもまでが兵士のような顔つきをした。
輪のなかに歓声が起こり、銃声が続いた。民兵らの足の隙間から、死してなお撃たれる男が見えた。撃たれるたびに体が跳ねあがり、まるで生きているようだ。やがて死体は原形を失い、銃撃は止んだ。
ひと目で連合国の軍服とわかる上着は脱ぎ捨て、民兵らがつけている腕章を死体からもぎ取った。顔立ちを隠すために顔の半分に布を巻く。さいわい肌は褐色で、集団に溶け込むことは難しくなかった。
片隅で傷口が塞がるのを待っていると、目の前にライフル銃が差し出された。
「おはよう、断罪」
浅黒い肌をした少年が白い歯を見せて笑っていた。看守だった。思えば彼の宿主はいつも断罪より若い。
争乱のはじまりは、自由を叫んで暴徒化した民衆に対し政府軍が爆撃したことからだった。武装民兵をまとめていた元軍人は隣国を味方につけ、王宮の一部へ報復した。対立はやがて国家間のものとなった。国際組織の介入により各国で構成された連合軍も動きだしたが、戦況は悪化の一途をたどった。
断罪の宿主は連合軍の一員だった。非武装地帯へ物資を運ぶヘリコプターに乗っていたが、民兵らに撃ち落とされた。情報がもれていたのだろう。内通者がいるのは常だ。むしろそうなることも織り込み済みといわんばかりに、半刻もたたないうちに連合国による激しい空爆がはじまった。いまごろは国境に各国の部隊が展開しているはずだ。
断罪は晴れ渡る青空を見あげる。罪過の気配は国境の先にあった。
連合国に助けを求めればすぐにも越えられるだろうが、同時に監視が付き行動の自由はなくなる。断罪は民兵になりすましたまま燻る町で機会を窺った。難民にまぎれてようやく軍の包囲を抜け出したときには片脚が潰れかけていた。痛みはあったが立ち止まることはしない。罪過のところまでもてば、それでいい。ライフル銃を杖にして足を引きずりながら瓦礫を乗り越え、廃墟でひとりの女を見つけた。罪過だった。
壁にもたれて足を投げ出し、彼女は幽鬼のようにゆらりと顔を上げた。髪も肌も服も薄汚れていたが、目だけが暗い光を湛えていた。太陽よりも激しく、刀身よりも鋭く、月よりも冷たく、陽炎のように掴みどころがない。喜びも怒りも哀しみもすべて飲み込んだ、鮮烈に白い情熱だった。
罪過は断罪に気づいても逃げることなく、掠れた声で呟いた。
「ひどい……、臭いだ」
「おまえもな」
「鼻が曲がりそうだよ」
肩を揺らして笑ったようだったが、声は途切れてむしろ嗚咽のようだった。彼女は腹に手を当てて目を伏せる。
「この女、身ごもったまま死んでいた」
腹をさすりながらひび割れた唇を歪める。
「たった一度の死だからか、深い……深い悲しみと恐怖だ」
「恐怖、か」
断罪は瓦礫へ腰を下ろす。
「罪過、おまえは死が恐ろしいか」
疲れが一気に押し寄せて、ぼんやりとした思考がそのまま言葉になった。取り消すのも億劫で黙っていると、しばらくして罪過が首を横に振った。
「いいや……」
場違いなほどやわらかく微笑む。
「本当にこわいのは目覚めることだ。わたしたちのように息継ぎをするだけの死は、死ではない。死とは、死を知ることもできないような永遠に踏み入ることだろう」
「死を知らない永遠なら、おれたちもそうじゃないか」
「死について思い巡らすことができるうちは、死んではいない。もちろん、これを生きているとも言わないけれど」
ガラスのない窓からすこしずつ夕闇が忍び込み、しばらくすると霧のような雨が降りだした。煮詰められた夕陽が雲の隙間から射して、雨は絹糸のように光った。
けれどすぐにも日は傾き、明かりのない廃墟はみるみる闇に飲み込まれていく。
「断罪、おまえは知りたくないか。この転生のはじまりを、わたしたちの罪のかたちを」
囁きは夜の湖のようだった。断罪はライフル銃にもたれかかって鼻で笑った。
「望んだところで叶わない。この宿命も変わらない。変わらないなら、思うだけ無駄だ」
「そう……。だったらこの命もまた無駄になる」
「繰り返すばかりの命に何か意味があるとでも。これは罪に対する罰だ。それ以上でも以下でもない」
断罪は立ち上がり、銃の先を罪過へ向けた。
「望むべきは〈浄化〉だろ。まあ、望んだところでどうにもならないが、な」
引き金に指をかけて、ゆっくりと息を吸う。
「生きているとか死んでいるとか、いのちだとか〈浄化〉だとか、そういうことを考えるから苦しくなる。おれが断罪で、おまえが罪過。この名こそが在り方のすべてでいい。そうは思わないか」
雷が廃墟を照らした。闇のなかに互いの姿が浮かび上がる。そのとき断罪は、青白く染まる罪過の手に銃が握られているのを見た。
「え……」
すぐに薄闇が戻る。一瞬の光のせいで夜目が利かなくなる。断罪は狙いが外れているとわかりながら、撃たずにはいられなかった。弾が切れるまで撃ちきると、闇の向こうから小さな笑い声が聞こえた。
「もう終わり?」
撃鉄を起こす音がする。
「やめろ」
「死を恐れているのはそちらのようね」
風船が割れるような乾いた音がして、体が後ろへ強く押された。続けて風が抜けていく。三発目までは数えていたが、そのあとのことは何もわからない。次に目覚めたとき目の前にあったのは廃墟でもライフルでもなく、月も星も見えない、タイルの目地のような夜空だった。
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