1 回転木馬の不協和音(2)

 辺りには都々の持ち物が散らかっていた。刺されたときに鞄で抵抗したせいだ。汚れた仕事着、見返したことなどない仕事のメモ帳。作りかけのシフト表には八月中旬の休日希望が鉛筆で書き込まれていた。あとから厄介ごとに巻き込まれないよう、破れかかった鞄に放り込む。

「なあ看守、おまえははじまりの罪も、転生や〈浄化〉の真実もすべて知ってるんだろう。知りながら〈浄化〉を放棄する理由はなんだ。そもそも〈浄化〉は本当に存在するのか。もしかして〈浄化〉なんて――」

「おしゃべりはそのくらいにしようか、断罪」

 看守の腕が向けられる。手には拳銃が握られていた。ためらいは感じられない。断罪は逃げることなく静かに見つめ返した。引き金に指がかかり、力が込められる。

「なんてね」

 舌を出して肩をすくめ、看守は一気におどけた。

「一度やってみたかったんだ。マフィアみたいでかっこいいだろ」

「どうしてそんなもの。この国ではそうそう手に入らないだろう」

「意外とそうでもないんだなあ。あ、これはぼくを、隼弥はやみを死なせた銃なんだけどね」

「自殺か」

「いや、殺したやつがまだ近くにいたから殺して奪い取ってきた。何かの役に立つかもしれないだろう」

「面倒ごとには巻き込んでくれるなよ」

 断罪は虫を払うように銃口を押しのけた。看守は慣れた手つきで弾倉を確認し、ベルトへ挟んだ。

「復讐ってやつさ。この体の」

「くだらない」

 襤褸のようになった鞄を掴んで、断罪は小さく呟いた。

 看守は都々の携帯電話をひらき、勝手に操作する。液晶画面から洩れる光で顔が青白く染まり、穏やかだった微笑みが一瞬で消えた。

「で、君の共犯者はどこ」

「共犯者?」

「罪過のことだよ」

「ああ……」

 断罪は目を伏せて、あらためて意識を集中させる。

 ともに転生を繰り返す三人は、特定の相手の居場所を感知する能力を持っていた。牢獄を見張る看守は断罪の裏切りを警戒し、目の前の罪人を処刑するだけの断罪には罪過しか見えず、殺されまいと命乞いをする罪過は一心不乱に看守に訴え続ける。奇妙な呼び名が先か、この能力が先か、断罪には知るよしもなかったが、はじめて死体で目覚めたときから変わることはなかった。

 ところが今夜は何かがおかしい。

 断罪は眉を寄せて目をひらいた。依然として罪過の居場所が掴めない。

 目覚めて間もなく看守がこの場へやってきたということは、彼はいつもどおり感知できたのだろう。

「どうかした?」

 それが、と応えかけて、断罪は思いとどまる。

 たゆむことなく続いてきたものが突然途切れたのは、単なる偶然だろうか。

 これは〈浄化〉の予兆かもしれないと、かすかな期待が脳裏を掠める。

 どんなに疎ましく思っても、目の前にすると途端に心は色めきたった。終わりのない世界にようやく終止符が打たれるのか。だとしたら〈浄化〉を望まない看守には知られないほうが賢明だ。

 事態を把握するまで時を稼ぐ必要がある。断罪はとっさの思いつきで言葉を繋いだ。

「服を着替えたい」

 切り裂かれ、血で染まったシャツを指先でつまみあげる。看守は横目に見やって眉をひそめた。

「なにか問題が?」

「気持ち悪いしかなり臭う。できれば都々の部屋へ立ち寄りたい。人も多いし、早く着替えたほうがいいだろう。騒ぎになるかもしれない」

「騒ぎ、ねえ」

「ここは日本だろう。警察でも呼ばれたら面倒だ」

「それはそうなんだけど、だったらぼくらの宿主はこんなふうに死んだりしないよね」

 看守はピアスへ手をやりながらにやつく。ピアスは片耳にしかなく、もう片方にはピアスホールだけがあった。頭を撃ち抜かれたときにピアスは吹き飛んだのだろう。闇に溶け込むことのない金髪は、そちらだけ色が濃いように見える。拭いきれなかった血のあとだ。

 何か勘付かれたのかもしれない。断罪はじっと黙って看守を見つめた。

「まあ、いいよ」

 気が変わったのか、看守はすぐに温厚な眼差しを向け、都々の携帯電話を投げて寄越した。外側にはひびが入り、ひらこうとすると本体がたわむ。いつまでも動く保証はなさそうだった。

「部屋は近いの?」

「向こうだ」

 ネオンとは逆の方向を指す。

「そう」

 看守は断罪に手を貸すことなく先に行ってしまう。断罪は落ちていたサバイバルナイフを長財布に挟んで、看守のあとを追った。

 ビジネスホテルとラブホテルが並び立ち、道向かいには前時代的な電飾とキャバレーの文字が躍る。

 人々の声やにおいが届く。酔っ払いと体がぶつかりそうになって風のようにすり抜ける。ときおり肘があたって目で謝る。その一瞬あとには背景と同化した。

 高架のある大きな車道に出る。信号を待っていると大型トラックの振動が胸に伝わった。ガードレール沿いに並んだ客待ちのタクシーが夜とは思えない熱気を吐き出す。無秩序に鳴らされるクラクションがさらに街の温度を上げた。

 前にいた看守が振り返る。

「今回はどんな女なの」

「普通だ。この国にいる普通の女だ」

「奴隷が普通のときもあったけど? あのときは奴隷船を追うのに苦労したね」

「ただの女子大生だよ。宿主の名前は柚木沙々奈ささな。こいつの、都々の妹だ」

 ただ居場所だけがわからない。どうにか看守を振り切って罪過へたどり着き、事態を把握したかった。

 信号が青に変わる。歩き出し、なかほどで看守がついてきていないことに気づく。

「おい、看――」

 黒と白に塗り分けられた横断歩道で、うつむきがちに看守が口元を歪めていた。笑っているのか、苛立っているのか、悲しんでいるのかわからない。

 信号機が半音ずれたメロディで歩行者を急かす。

「あ、ごめんごめん。行こう、赤になる」

 看守は軽く駆け足になって、立ち止まる断罪を追い抜いていった。

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