世界の終わりを君とおどる

望月あん

1 回転木馬の不協和音

1 回転木馬の不協和音(1)

 目覚めると薄暗い路地に倒れていた。

 ビルに挟まれた細い夜空に星はなく、ただ街の隙間を埋めるだけの黒い目地であった。

 大きく息を吸おうとすると血が溢れて喉につまった。咳込もうにも思うようにいかない。やがて嘔気とともに凝った血が込み上げた。

 首筋へ伝うさまを肌で追いながら、一仕事を終えたように息を吐く。

 また、生きていた。

 これで何度目のいのちだろう。短い命が連なった、永いときを生きている。落ちたことにも気づかない深い眠りのように、いのちは死から生へと、ほんの一呼吸で繋がっていた。

 濁った目をじっと虚空へ向けて、アスファルトに広がった血を背中でさぐる。息を吸うごとに体の隅々まで命が行き渡り、どくどくと脈打ちながら傷口が塞がっていく。他人事だった痛みを自分のこととして感じるにつれて、今生の肉体へと馴染んでいった。

「嘘だ……なんで」

 聞き取れないほど小さな声がした。若い男の声だった。視界の端に薄汚れたスニーカーがある。見上げると、細身で猫背の男がひとり立ち尽くしていた。

 看守か、と呼びかけようとして思いとどまる。男の手には血のついたサバイバルナイフが握られていた。

「そうか、あんたに……」

 殺された。

 宿主しゅくしゅの記憶をたどって確かめる。間違いなかった。

「なんで……、どうして死なない」

 長い前髪の奥、眼鏡が見え隠れする。宿主にとっても見覚えのない男だった。

「あんた、誰だ」

「ひっ」

 男の声は恐怖に震えていた。その手で殺したはずの人間が息を吹き返せば無理もない。

 まだ痛む腕に力を込めてどうにか体を起こす。体中が錆びついたようにぎしぎしと音を立てる。息が上がって、ひどい眩暈がする。いまにも意識が途切れそうに錯覚する。目覚めのときはいつも死にいちばん近いところにいた。

「なんだよ……、どうなってるんだ」

 男の手からナイフが落ちる。

「おれも、知りたいね……」

「はぁ? くそ……くそっ! ばけものめ……!」

 よろめきながら、男は暗がりから逃げ出していった。

 壁に寄りかかって座り込む。膜のように肌にまとわりついた血が体を重くした。荷物のなかにあったペットボトルの水をかぶり、顔や首に残った血を袖で拭う。黒いTシャツはひどく切り裂かれ、使い古した雑巾のようだった。

 深夜にもかかわらず、路地から見える表通りは真昼のように明るい。往来の人々はすぐ近くで起こった惨劇に気づくことなく通り過ぎていく。ここは地上にありながら夜空の一部だった。

 通りがかりの野良猫が、下手なバイオリンのような声を上げた。理不尽な在り方をする命への糾弾か。毛を逆立て、声をしならせて、瑞々しい生命を振りかざす。小さな体で表現される強い意志を、いっそ羨ましいような思いで冷たく眺めた。

「失せろ」

 空のペットボトルを投げつけると、猫は身を翻して闇へ消えていった。

 いくつもの死体を渡り歩き、何度も同じいのちを繰り返すうちに、理性、感情、倫理、慈愛など、人としての核は磨耗して小さくなっていった。もはや生命であることも難しい。

「ばけもの、か」

 自分の正体もわからずに、終わらせる手立てのないいのちを繰り返している。それはたしかに、ばけものだ。

 終わらせたい、死にたい、そう思いはするものの強く望むまでは至らない。夜空をよぎる流星のようにそれらは一瞬で立ち消えて、願い事をとなえる暇もない。

 ふっと意識を投げかけてみる。だがあちら側はまだ目覚めに至っていないのか、虚空へ呼びかけるようだった。

 血なまぐさい路地へ、ゆったりとした足音が近づいてくる。顔を上げると先ほどの男とは異なる二十歳前後の青年がいた。それほど背は高くなく、金色に染めた髪はライオンのたてがみのようで、ボタンを外した胸元にはネックレスがいくつも揺れていた。

 彼は見た目にそぐわず軽やかな、鼻歌でも歌い出しそうな微笑みを浮かべた。

「おはよう断罪。目覚めはどう」

 断罪という呼びかけに確信する。

「……看守か」

 看守と呼ばれた青年は落ちていた財布を拾い、抜き出した従業員証をひらひらと振った。

「それとも都々みやとくんって呼んであげようか」

「好きにしろ。この宿主とも、どうせ次の転生までの付き合いだ」

 吐き捨てるように言い放って、断罪は腹を撫でた。そこには血の染みが残るだけで、傷どころか傷痕すらない。

 看守はやわらかな笑顔のまま冷たく笑った。

「次の転生なんて、そんなものある保証はないよ。君たちは今生ついに〈浄化〉を果たすかもしれないんだから」

「いまさら、なにを」

 口に残った血を吐き捨てて断罪は続けた。

「死体に寄生し続けるようなこんなまがいものの命で、いったい何を望めと?」

「あれれ。本気で諦めてるわけ」

「そうだな、とっくの昔に」

 暗い夜の海へ投げ込まれ転生という波にのまれると、はじめは救われたいと足掻いても、いつしかただじっと波に身を任せているのが楽だということに気づく。むしろ夜空に燦然と輝く〈浄化〉という一等星は疎ましい。それならいっそ、かすかな光も射すことのない暗闇のほうがずっとましだ。

「さみしいねえ……」

 カード類を一枚ずつ繰りながら、看守はけだるげに首をかしげる。

「終わりのない命は人類の永遠の夢だよ。大昔から偉い人はみんな不老不死に憧れながら死んだ。ぼくたちはいわば夢の体現者だと思うんだけど。はい、これ君の」

 上から財布が降ってきて、断罪は反射的に受け止めた。従業員証に目を落とす。桁ばかり多い管理番号、居酒屋「楽」、柚木ゆずき都々、二十六歳。テナントビル管理上のもので客の目に触れることのない証明写真は、眼差しがひどく重い。

「夢だって?」

 断罪は鼻で笑った。

「永遠の命なんて、叶わないから憧れるだけだ。たとえ手に入れられたとしても、それで人生が思い通りになるわけじゃない。ままならないものは、ままならないままだ。ましてやこれは命のまねごとにすぎない、罰としての転生なんだろ。それをどうして夢だなんて」

「まあ、君が〈浄化〉を目指さないって言うなら、それでいいけどね。ぼくはこのループから抜け出したいなんて一度も思ったことがないし、たぶんこれからも思わないよ。延々続く転生も君たちが苦しむ姿も、すごく楽しい。君が〈浄化〉を拒絶するなら、そのほうがぼくにとってはありがたいくらいだ。繰り返しこそ、ぼくが求めているものだから」

 同じ転生の運命にありながら楽しいなどと嘯く看守が、断罪には理解しがたかった。

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