《2》少女を追いかけて

 二人は自分たちよりはやや華奢な少女の体を起こし、かがんだ亜希がその少女を背負い立ち上がろうとすると、


「……うー……ん……」


 その少女から微かに声が聞こえてきた。


「気がついた!?」

「大丈夫!?」


 少女の意識が戻ったようなので亜希とスアラは胸を撫で下ろした。

 とりあえず保健室に連れて行くかは後にして、一旦亜希は背中から少女を下ろして向き直った。

 少女はまだ意識がはっきりしないのか、黄褐色の目をぼーっとさせている。やっぱり心配になってきた亜希とスアラはお互いに顔を見合わせた。


「……あ、ねえ本当に大丈夫?」

「あなた名前は?」

「名前……」


 スアラの言葉を少女は反芻した。


「私は…………」

「…………」

「…………」


 亜希とスアラは固唾を呑んで少女の言葉を待つ。たっぷりの間をおいて少女の口から出たのは。


「………………誰だっけ?」


 首を傾げてそう答えた少女。最も聞いてはならない言葉を聞いて、二人の顔は一気に真っ青になった。


「どどどどどどうしよう。記憶喪失になって……!? 私傷害で逮捕されちゃう……!?」

「おおおお落ち着いて。やっぱり保健室に連れてい……いや、まずは職員室かしら……!?」


 物凄く狼狽える亜希にスアラも思わず一緒になって狼狽えてしまう。


「あああ頭打ったんならまず保健室じゃない!? 手当てすれば落ち着いて思い出してくれるかも!?」

「そそそそうね」


 酷く動揺しながらも頷き合った二人は、記憶喪失の少女を一階の保健室に連れて行くことにした。




 始めは気が気でなかった亜希とスアラだが、階段を下りているうちに少しは冷静さを取り戻してきた。亜希は当事者なのでスアラに比べればまだ落ち着かなさげではあったが。


「……そういえば、この学校の制服じゃないわね」


 一階に下りたあたりで、幾分冷静になったスアラが少女の格好を見ながらそう言う。

 亜希たちは紺色のブレザーにチェック柄のスカートだが、少女は臙脂えんじ色のネクタイがアクセントになった濃灰色のセーラー服である。


「えー……それじゃあ職員室行っても何年の誰かわからないって事……?」

「うーん、転校生って可能性も……」


 二人がそう話しながら少女を連れて校舎の出入り口の前を歩いていると、後ろの方から声が聞こえてきた。


「こんなところにいたのか」


 その声が自分たちに向かって発せられたような気がして亜希とスアラは振り向いた。

 そこには赤毛の青年が立っていてこちらを見ていた。いや、正確には亜希たちが連れている少女を。


「探してたんだぞ。いきなりいなくなるな」


 青年は不機嫌そうに茶褐色の瞳を細めて言った。


「…………」


 対して少女は黙ってその青年の顔を見ている。


「……おい?」


 少女が何も反応を示さないのを怪訝に思ったのか青年が眉をひそめた。そこで亜希があることに気づき声を上げた。


「……あ!! もしかしてお知り合いですか!?」

「ああ、そうだが」


 亜希の質問に青年は訝しげな顔をしたまま頷く。亜希とスアラの表情が明るくなった。


「よかったー! この子を知ってる人がいて」

「不幸中の幸いね」


 二人は安堵の息を漏らした。青年は話が見えずにやはり怪訝な顔をしたままだ。


「不幸中?」

「あっ……と、実は……」


 少女が記憶喪失になった経緯を話さないといけないと亜希は気づいた。気難しげな顔をした青年を目の前にして、彼女の顔に緊張が走る。

 目つきもなんか悪いように見えるし怒ったら怖そうだと思ったのだ。だが自分の過失だ。亜希が思い切って口を開こうとすると、


「……や……」


 今まで黙っていた少女が小さい声で何かを言った。


「……?」

「……?」

「?」


 よく聞き取れなかった亜希とスアラと青年が少女の方に視線を向ける。


「いやっ!!!」


 少女はいきなりそう叫んで、開け放たれた玄関口に向かって走り出した。


「ちょ!?」

「え!?」

「……!?」


 亜希とスアラは突然の事に驚いていたが、このままでは見失ってしまうと気づき慌てて追いかけ始めた。しかし少女の足は思ったよりも速く引き留めることができない。

 少女は校庭を横切り校門から飛び出していく。公園や住宅地を抜けてしばらくすると大きな商店街が見えてきた。

 その前までやってきた辺りでやっと少女が減速し始める。亜希とスアラは息を切らせながら少女に追いつけた事にほっとした。


「……いきなり、どうした、のかな……?」

「なんか、嫌がって、なかったかしら……?」


 亜希たちは少女を見失わないように注意を向けながら話す。商店街の入り口あたりで少女は立ち止まった。二人とは対照的に息はあまり乱れていない。


「確かに……知り合いでもなんかやばい方の知り合いだったとか?」

「まあちょっと怖い感じだったけど……話し方は別に普通っぽくなかったかしら……それこそ保護者って感じも」

「そういえばあの人は一緒に来てないみたいだね」

「本当だわ」


 周囲を見回しても先程の赤毛の青年の姿はここにはなかった。


「……なんで追いかけて来なかったのかな。知り合いなら一緒に追いかけるよね?」

「そうね……」


 亜希とスアラは首を捻った。遅れてきているのかとも思ったが、こうしている間も青年が追いついてくる事はなかった。

 と、そこで彼女たちの視界に少女の姿が映る。


「あ、あの子が何か思い出したのかも」

「聞いてみましょ」


 頷き合った二人は立ち止まっている少女の傍に歩いていく。


「ねえ、さっきの人見て何か思い出した?」

「知ってる人だったの?」

「うーん……」


 亜希たちの問いかけに少女は首を傾げた。どうやら思い出したわけではなさそうである。二人はがっくりと肩を落とした。


「見てたらなんとなく嫌だなって思った」

「嫌かぁ……やっぱりよくない知り合いなのかな?」

「何にしても学園に戻って誰か先生に事情を話してみましょ。私達だけじゃ手に負えないわ」

「そうだね」


 真面目な表情で言うスアラに亜希も神妙な様子で首肯した。

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