第23話

 神奈川代表箱根遊泉学園はこねゆうせんがくえん vs 静岡代表御殿場西小学校

 お客さんからしたらこの決勝戦のカードは意外なものかもしれない。


 でも私達はこうなるって信じてた。


「両チーム、礼!」


 舞台に上がった2チームに、観客席からゲキが飛ぶ。


「絵馬くーん!」「がんばれ禅ー!」


 全国常連のふたりには特に熱い声が集まる。ユキトくんはヒラヒラと客席に向かって手を振って、まるで余裕を見せつけてられているよう。


「実咲さま〜!」「番長ファイトー!」「ケントやっちまえ!」


 でもこっちの応援団だって声出てるもんね!

 聞きなれた声援に背中を押され、私は迷わず右陣につく。

 そして西丸先生の予想データを頭の中で展開した。


 絶対的エースのユキトくんはほぼ本陣で間違いない。将継と当たることになるだろう。個人戦の因縁もあるし、将継も張り切っていた。


 左陣はこれまでどおりなら5年生の神鳥かんどりさん。年下でも油断できないってことは千代ちゃんのチームに教えてもらった。ケントは年下の女の子相手でも絶対に手を抜かない。


 右陣は恐らくユキトくんの右腕と言われている町屋まちやくんがくるはずだ。彼の手がけた繊細な作品は展示会でも有名らしい。


 どんな相手でも全力でいく!


「個人戦の前にリベンジできそうやな」


 本陣で将継とユキトくんが対峙した。予想どおり、本陣で戦うのはこのふたりのようだ。

 将継の真剣な表情を見たユキトくんがニッコリと笑う。


「禅。この短期間でチームをつくるの大変だったでしょ。なんだか顔つきが去年と違うね」

「去年絵馬くんに負けたおかげでひとりではたどり着けんところまでこれたから、礼を言わんとな」

「礼なんていいよ。それに……決着をつけるのは今じゃないから」


 ユキトくんの視線が将継から外れる。そしてゆっくりとした所作で本陣から離れ、まっすぐに私の方へと向かってきた。


 まさか。


 ドクリと心臓が鳴る。

 将継も驚いた顔でユキトくんの背中を見ている。


「やろうか、みさきち」


 机に手をついて、私の目をのぞき込むユキトくん。その瞳の奥には、確かに熱がこもっている。

 私はその目に飲み込まれないように見返して、こくりとひとつ頷いた。私の意思を確認したユキトくんは嬉しそうに頰をあげる。


「みさきちと初めて会った日のことを毎日思い出す。また必ず会いたいって思ってた。みさきちの一番近くに立ってる姿をみんなに見てもらいたかったんだ」

「それって将継を抑えるよりも重要なこと?」

「もちろん」


 ユキトくんにはユキトくんなりの考えがあって私と戦おうとしている。


 でもいいの? 将継はユキトくんにしか止められないのに。


 私の考えを読んだかのようにユキトくんは柔らかく笑う。その笑顔の奥には執念にも似たやる気が見え隠れしていた。


「みさきと一緒に楽しみたい」


 ぞわりと背筋が凍る。もう目の前にいるのはえまぴでもユキトくんでもない。ハイパーペーパークラフトに飢えた絵馬幸人という人間が、私の前に立ちふさがっている。

 楽しみ方を忘れた、紙を切るだけの悲しい人間。

 ゆっくりと準備をするユキトくんの横で、私は左陣と本陣に続けて目をやった。

 そんなに心配しないで。そう気持ちを込めてふたりに目配せをする。それでもケントは焦った表情を隠せていないし、将継の顔も険しいまま。


 大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせるように深く息を吸う。

 柔道でもハイパーペーパークラフトでも、勝ったり負けたりの繰り返し。絶対に勝てる試合なんてないんだから。

 

 ユキトくんは細長い独特なハサミを静かに机に置いた。

 動画で見た時は美容師さんの使うハサミかと思ったけど、よく見ると違う。

 刃の部分はゆらゆらとした波紋が浮かび、ほんのわずかに反り返った形をしている。

 まるで日本刀だ。

 ごくりと空気を飲むのと同時に、本陣のふたりがハサミを置く。

 

 ――全陣、準備完了。

 

 艶やかな友禅和紙が机の上で生まれ変わるのを今か今かと待っている。


『それではお題を発表します!』


 アナウンサーの合図とともに最後の10カウントが始まった。その途端、頭の中にぶわりと今までの記憶がよみがえる。


 将継が転校してきて、クラブをつくった。県大会を勝って、私たちは今ここにいる。

 手首を故障したときは絶望して、正直その日の夜はずっと泣いてた。


 それでも、ふたりは一緒に戦ってくれる。


 だから私もその気持ちに応えるんだ。


 パッとスクリーンが切り替わった。


 お題

『喜』『怒』『哀』『楽』の内からひとつを選びなさい


 その文字列が浮かび上がった瞬間、舞台上の全員がピタリと動きを止めた。

 選択制の全陣共通お題。初めて見る出題形式に思考が奪われる。


 なんだ、ここまできて自分で選んでいいんだ。


 一瞬緊張したけど、そう考えると肩の力がふっと抜けた。

 喜怒哀楽。4つの文字が目の前にぎゅーんと迫ってきて、そのまますっぽりと私の脳みそに収まる。

 ああ、この感情は全部知ってる。しかもつい最近味わったものだ。ひとつを選ぶのが難しい。

 それでもあふれ出る感情を表現するために、ひとつの作品を完成させないといけない。

 お題が出てから1分はたった? それとも1秒?

 4つの内からひとつを選び取ったその時、私の体の周りで次々とイメージが構築されていく。

 全身の感覚を脳に集中させ、何通りもの展開図を描き出す。その間、周りの景色はスローモーション。みんなの動きがゆっくりと視界の端っこに映っては遠のいた。


 最後の舞台。私の中に強烈に残るインスピレーションを具現化したい。

 この場にいるみんなに伝えたい。そのままの熱量でユキトくんにぶつけてみたい。


 ピッタリと展開図が定まった。その形をなぞるように、一心不乱にハサミを動かす。

 集中すると痛みを感じないんだなあ。なんて、どこか他人事のように自分の手首の動きを観察した。


 心に体が追いつこうとしているみたいに、手が動く。刃が躍る。指先が紙面をなでる。

 将継はいつもこんな感覚で紙を切っているのかな。ユキトくんも。

 もしかしたら将継のおじいさんも。


 ――シャキンッ。


 手元からは最高の音が聞こえてくる。


 ▼


 全陣の作成が終わった。俺はすぐに右陣の実咲の様子を伺う。顔を伏せていて表情は見えないけど、作品は完成しているようでとりあえずほっとした。

 まさか絵馬くんが右陣で出てくるとはな。絶対に本陣でくると思ってこっちはポジションを変えなかったのに。


 かく言う俺の相手も絵馬くんの右腕の名にふさわしい相当な実力者。ちらりと相手の作品を盗み見ると、『喜』を表現した精巧な人型が堂々と机の上に置かれていた。

 俺はなにをつくるか少し悩んでしまったけど、お題は『楽』を選んだ。

 この3カ月楽しかったって、ふたりに伝えたくて。


 その結果、俺がつくったのは『3匹連なって飛ぶ幻鳥』。

 実咲とケントには古いだの渋いだの言われるかもしれん。でも、ふたりと一緒に紙を切る内に自分のスタイルを捨てる必要はないと気づいた。

 インスピレーションの幅を広く、そしていつものスタイルを貫く。

 これが今の俺が至った最善であり最高地点。

 作成時間はほぼ同じやったから、技術点と芸術点の勝負になる。


 左陣のケントは悠然とした出で立ちの『武者』をつくったようや。ふと目を凝らすとその武者の体は骨でできている。

『骸骨武者』……お題は『哀』か。お題のチョイスは意外やけど作品は秀逸。

 恐ろしいほどつくりこまれたその骨格に鳥肌が立つ。全国大会決勝を自分の得意な人型で挑むのもケントらしい。

 つくった本人は審査を待ちながらどこか遠くを見ている。凄味さえ感じさせるそのまなざしはもう初心者とは呼べないほど。


 ケント……俺は正直お前がここまでやるとは思ってなかった。実咲にくっついてクラブに入ったお前が全国大会でこんなに堂々としとるなんて。

 しかし相手の作品も見事なものや。友禅和紙の色味を使った鮮やかなおくるみに包まれた赤ん坊。紙で表現できるレベルをはるかに超える穏やかな表情。新たな技術とも思えるその作品はまさに誕生を思わせる。


 どちらもハイレベル。これは題材の戦いになるかもしれん。


 最後は右陣。実咲と絵馬くんのどちらの表情も見えないが作品は見える。

 絵馬くんの作品を見て俺は息を飲む。

 画面を思わせる、真四角に切り取られた枠。

 その向こうには人間の手が様々なジェスチャーをしている。

 拍手をする手。

 親指を立てる手。

 子供の手。大人の手。女性の手。男性の手。

 まるで画面の向こうの不特定多数を表すような現代アート。

 これがきっと、絵馬くんの感情なんや。顔も知らない誰かの反応が絵馬くんを突き動かして、その結果がこの舞台。

 審査員が「ほう」と感嘆の声をもらす。それだけ近くで見ても出来がええんや。

 絵馬くんは落ち着いた様子で審査を待っている。その姿は全国1位にふさわしい存在感を放つ。

 まさか実咲がずっとうつむいているのは、負けを悟ったからか?

 俺は絵馬くんの隣にいる実咲に視線を移す。


 その時、実咲の表情を隠していた前髪が揺れ、その奥の瞳が強い光を宿した。

 実咲の作品を見ようとした審査員がその視線を真正面から受けて手を止める。


「これよりご覧に入れまするは――

 ――唐人阿蘭陀南京無双」


 凛とした実咲の声が、その場に響き渡った。


「神技……『新・紙すだれ』でございます!」


 実咲は勢いよく自分の作品――紙すだれを手に取る。そして審査員、観客の目の前でそれを天高く伸ばした。

 パアッと四方八方に滝のように広がる和紙は、実咲の手元から絵馬くんの眼前を通り、客席に降り注ぐ。

 実咲がすだれを出し入れするたびに、わあっという歓声が会場中に響き渡った。


 実咲……! 


 俺はツンとする目頭を慌てて抑えて、目の前で起こっていることを目に焼き付けた。

 神技、紙すだれ。じいちゃんしかできなかった技が実咲の手で今ここに復活した。

 思えばじいちゃんの紙すだれの動画を実咲は何度も繰り返し食い入るように見とった。

 もしかしてあの時から紙すだれの構造を考えとったんか。

 大歓声の中ぎゅっと胸が締め付けられる。降り注ぐ和紙の中で楽しそうに笑う実咲をずっと見ていたい。

 羨ましいから憧れに変わって、その後はどうなるんやろう。

 照明の下でキラキラ輝く実咲に、俺は盛大な拍手を送った。


「あっはっは! みさきサイコー!」


 実咲の隣では、絵馬くんが腹を抱えて笑っている。


 ▽


「ふ、あはは。すごかったねえ。みさき」


 審査を待つ間、肩で息をする私にユキトくんが笑いながら声をかけてきた。


 紙すだれをやったらどっと疲れた! 私は汗をぬぐって笑顔を返す。


 将継のおじいさんの神技、ちゃんと成功してよかった。実はほとんど構造が分からなくて自分流のアレンジをたくさんしてしまったから、正確には将継のおじいさんのものとは別物だ。だからすだれとして機能するか不安だった。

 それでも笑顔にしたい人がいたから挑戦できた。私はこちらにほほえむ将継を見てから、ユキトくんに向き合う。


「楽しかった?」


 私の問いかけにユキトくんは笑うのをやめて私のことを見つめ返した。


「負けたよ。めちゃくちゃ楽しかった。この歓声は実咲のものだけど、自分のものにしたいと思った」

「ふふ」


 よかった。楽しませたいと思っていた人が楽しんでくれた。私は味わったことのない幸せをただひたすら噛みしめる。

 どんな結果でも、これが私の全力だよ。

 やり切ったと思った瞬間、ずしりと体が重くなる。


「……みさき、すごい汗。それに顔が真っ赤だよ?」


 ユキトくんのそんな指摘に私は自分の頬に手を当ててみる。

 ――熱い。それになんだかぼーっとする。

 紙すだれをつくって披露しているときは必死すぎて気がつかなかった。自覚するとどんどん目の前がぼやけていく。


 まずい、オーバーヒートしちゃう。


 ぷしゅーっと頭から湯気が出るような感覚。手首の痛みを感じないくらい思考が遠くにいってしまう。


「わあっみさきしっかりして!」

「実咲!?」


 ユキトくんと将継の焦った声が頭の中でこだまして、私の意識はぷっつりと途切れてしまった。

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