第22話

 ▽


「神奈川代表と当たるのは決勝だな」


 オレンジジュースを片手にケントが言う。

 食べ物とデータ資料が散乱しているテーブル席で、私は左手でカツサンドを食べながら頷いた。


「その前に2回、勝たないとね」

「ここまで全勝できたんは正直運がよかった。ここからは1勝落としても気にせず突き進もう」


 将継の真剣なまなざしに、いよいよ戦いが厳しくなることを実感する。


「次の対戦相手も油断できないけど、問題はその次。恐らく前回の団体戦優勝チーム、大阪代表の『難波紙切なんばかみきりクラブ』と当たるね」


 西丸先生がデータを見て難しい表情を浮かべていた。

 前回の優勝チーム。言葉の響きだけでぞわりとする。


「将継は去年戦ったんだっけ。どんなチームなんだ?」

「上方紙切り協会の指導を受けてる本格派や。個人戦でリーダーの笠松かさまつくんと当たったけど、タイプは実咲に近くて、頭の回転が早い感じや。強かったよ」

「うーん、データ見る限り他のふたりも強そうだな。実咲、お前は無理すんなよ。最後までやれるようにセーブしとけな」

「え、でも手を抜いて勝てる相手じゃないでしょ?」

「笠松くんが本陣とは限らんし、もしも実咲が笠松くんと当たったら右陣の勝負は捨てよう」


 将継の唐突な提案にギョッとする。

 全力を出すって決めた。ふたりはそれを分かってくれたと思ってた。なのに勝負を捨てろだなんて!


「な、なに言ってんの将継!?」

「実咲。これはチーム戦なんやよ」


 チームとして勝ち進むために勝負を捨てる。戦略としては正しいのかもしれない。私が手首を痛めているからそうせざるを得ないことも分かってる。


 でも!


「将継は勝つだけでいいの? そのためなら最初から強い相手との勝負を諦めるの? そんなの絶対、いつかハイパーペーパークラフトが楽しくなくなっちゃうよ……」


 ユキトくんが紙を切ることをを楽しめなくなった理由がほんの少し分かった気がした。

 勝利のために捨てていったものの中に、きっと大事なものがあったんだ。


「私じゃ敵わないかもしれないけど、最初から捨てるなんて言わないで……」


 だんだんと尻すぼみになる私の言葉に将継はハッとした顔をした。


「すまん実咲、そんなつもりは……」

「将継はお前の手を心配してるだけだって」

「うん、それはもちろん分かってる。ただ、私は勝負を捨てないから!」


 そう言うだけ言って、私はカツサンドをガツガツとほおばった。そんな私を半ば呆れた目でケントが見つめてくる。


「この負けず嫌い」

「ケントに言われたくないし」

「それもそうや」

「いやいや将継にも言われたくないって」


 結局私達は根っこの部分がよく似てる。

 私がふたりの立場だったとしても、ケガの心配をする。

 逆にふたりが私だったとしても、勝負を捨てないだろう。


「ま、実咲がそう決めたなら止めんけど。負けるつもりないからあと2回、ハサミ握れるか?」

「うん!」

「あーもう知らね。師範になに言われるかな」

「うっ!」


 ケントの余計な一言のせいで、カツがのどに詰まった!

 作戦会議を兼ねたランチタイムももう終わり。午後からはより険しい戦いが待っている。


「よし将継、円陣しとこ!」

「えっ。ここでか!?」

「会場だと悪目立ちするしいいんじゃね」


 無理やり将継を挟んで肩を組んで、パッと頭を下げる。

 円陣の体制って結構腰がキツいなーなんて思っていると、将継がなかなか声を出さないことに気づく。


「将継はやくー」

「ああ、うん……」


 すぐ近くで将継が小さくため息を吐いた。私は首をかしげ、ケントは眉をハの字にする。


「どした?」

「や、なんか……このまま終わりたくないなって」


 そんな感傷的なセリフに、私とケントは目を合わせてから将継の背中を思いっきり叩く。

 バッシーン!


「いたあ!?」

「そこっ急に感傷に浸らない!」

「頼むぜリーダー!」


 将継が最近、不安げな顔をするのは気づいていた。この時間が終わってしまう寂しさに苦しんでるってことも。

 そんな心配、全然しなくていいのに!

 将継が教えてくれたハイパーペーパークラフトの世界、もう簡単に抜けられない。だから将継にはこうなった責任を取ってもらわないといけない。

 不安に思うヒマなんて一瞬もないんだよ。だってこれからずっと一緒に紙を切ることになっちゃうんだから!


「将継、私達は終わらないよ。大会が終わったって、卒業したって紙を切ろう。まだまだ始めたばかりなんだから、これからも将継が教えてよ!」

「そうだぞ、お前俺達を巻き込んでおいてすぐに解放されると思うなよ? お前を追い越すまで極めてやるからな!」

「実咲……ケント……! よし、絶対勝つぞー!」

「「おー!」」


 ▽


 ――ハイパーペーパークラフト全国大会、準決勝。


 私達の前に立ちはだかったのは、全身を黒い衣装で染めた大阪代表。

 やっぱり、去年の優勝チームという肩書きはダテじゃない。

 舞台に上がって深く息を吐く。

 すぐ隣では背の高い男子――『難波紙切りクラブ』のリーダー、笠松くんがハサミの最終調整をしていた。

 将継が言っていた強い人。まさか本当に私がこの人と対戦することになるなんて。

 恐らく相手は大会参加選手のことをよく調べ上げて、布陣も対戦ごとに変えてきてる。

 こっちが警戒していた笠松くんが右陣で出てきたのは、私がアンラッキーだったわけじゃない。

 向こうは考えてわざと笠松くんを私に当ててきたんだ。

 本陣で全国2位の将継と戦うよりも、タイプの近い私と戦って競り勝つ方を選んだ。

 つまり相手は私にだったら勝てると思ってるってこと。ふつふつと沸き上がる悔しさが顔に出ないようにしながら机にハサミを置いた。


「なあ自分、キレーな顔しとるなあ。男子? 女子?」

「え?」


 突然降ってきた場にそぐわないセリフに思わず顔を上げる。そこには私を見てにこりと微笑む笠松くんがいた。

 今話しかけられた? ハサミを置いたら無闇に話すなって言われてるのに。ううん、そんなことより――。

 私は笠松くんの手にするハサミに視線を移す。

 カミソリのように薄い刃が会場のライトに照らされている。刃の表側は傾斜があるのに対して裏側は深くえぐれた不思議な形だ。


「ああ、これ? 『薄刃鋏うすばばさみ』っていうんよ」


 私の視線に気がついた笠松くんは試合直前とは思えない口調で、特に頼んでもいない説明をしてくる。


「薄刃包丁ってあるやんか。それのハサミバージョン。切れ味は抜群やけどまー手入れが大変でな。この大会通して刃こぼれせんか心配で心配で」

「ちょ、ちょっと」


 近い!

 ずいっと顔を寄せてくる笠松くんからのけぞってなんとか距離を取った。そんな私をスルーして笠松くんはペラペラと話し続けている。

 ねえ、待って。

 どんだけ話すの?

 みんなもうハサミを置いて準備完了してるのにまだしゃべるつもり!?

 ありえないマイペースさに私の方が焦ってしまう。観客席からもじれた視線が送られてくる。


「で、男なん? 女なん?」

「ど、どっちでもいいでしょ! 早くハサミ置いて!」

「うんうん。俺どっちでもいい派だから後で連絡先交換しよーな」


 やばい。これ以上この人と会話してたら、

 もうすでに鬼の形相をしてる将継に殺されちゃうよおおお〜!


 バキバキにこめかみに青筋を浮かべてこっちを見てる将継が怖すぎる。笠松くんをにらみつけているんだろうけど私にもダメージが入ってるって気づいてほしい。

 なんとかハサミを置かせることに成功したけどなんだかもう疲れてしまった。

 まさかそういう作戦!?

 全陣、準備完了。なのに落ち着かない気分だ。


『それではお題を発表します!』

「あ、そうそう。ケガしてても容赦せんよ?」


 アナウンスと同時に隣からそんな言葉が聞こえてきた。私は湿布と包帯だけ巻いた手首を袖に引っ込めて隠す。

 容赦しない? そんなの分かってる。勝ちがほしいのはどちらも同じ。

 10カウントが始まった途端、笠松くんの周りの空気がひりつき始めた。

 さっきまであんなに軽かった雰囲気が、突然霊に取り憑かれたみたいに静かになる。


『タイプは実咲に近くて、頭の回転が早い感じや。強かったよ』


 嫌な予感とともに、将継の言葉が頭の中でこだました。


 ▽


 結果

 左陣 勝者:藤扇ケント

 本陣 勝者:禅将継

 右陣 勝者:笠松晴哉はるや


「ま、ま、負けた……!」

 ふたりのおかげでチームとしては勝ち進めたけど、悔しすぎてその場に膝から崩れ落ちる。

 10カウントの後、『雄鹿』というお題が出てすぐに私はハサミを入れた。それと同時に笠松くんの手が動いたのも、気づいてはいた。

 速さの勝負になることは想定内だったけど、まさかハサミを入れる時間まで追いつかれるとは思わなかった。

 敗因は相手のハサミの速度に敵わなかったこと。

 やられた。まさか時間点でこんなに差をつけられるなんて……!


「あーあかんかったか。さすが禅のチームやな。まあ団体戦は前哨戦みたいなもんやし、個人戦がんばろ」

「く、悔しい……」


 去年の団体戦優勝チームなのに、「団体戦は前哨戦」だとう?

 チームは勝ったけど、こんなことを言う人に負けたことがめちゃくちゃ悔しい。千代ちゃんに負けた時の100倍悔しい!


「禅に首洗って待っとけって伝えといてな。イケメンちゃん」


 そう言い残して『難波紙切りクラブ』はさっさと退場してしまった。まるで最初から個人戦にしか興味がないみたいに。

 私は舞台を降りながら唇を噛み締めた。手首の痛みも超えた感情が頭の中を覆いつくす。

 ペースを乱されていたとはいえ、私は実力で負けた。その事実が重い。

 待機スペースに戻ってすぐに手首を冷やす。それを心配そうに見つめる将継とケントの瞳に気がついて、私は大きく頭を下げた。


「ごめん! 結局負けた」

「いや、笠松くん相手によくやったよ」

「チームは勝ったんだから気にすんな! しかし笠松ってヤローふざけたヤツだったなあ」

「対戦前に相手のペースを乱すのも戦略のうちや。強さにはいろんな種類があんねん」

「うん……。団体戦で負けてもあんまり気にしてないみたいだったのが余計に悔しいよ」


 ポツリとそうこぼすと、将継が手を顎にやって、なにかを考えるそぶりで口を開いた。


「実際ああいうヤツは一定数おるよ。個人戦に集中したいけど、クラブの事情で嫌々団体戦に出てるんやろな。俺も前は団体戦に興味なかったけど、今は少しもったいなかったと思う。団体戦には団体戦の楽しさがあるって気がつけないままでいるのは不憫やな」

「よく言うよ。実咲が絡まれてた時、般若みたいな顔してたくせに」

「当然。あれは許せんから個人戦でシバいたるわ」

「怖っ」


 ふたりは明るく受け流してくれたけど、私が足を引っ張ってることには変わりない。

 将継の安定の強さと、ケントの快進撃に助けられてここまでこれた。

 次は決勝。相手はユキトくん率いる神奈川代表だ。

 ふーっと細く長く息を吐く。心を落ち着かせるために。それを見た将継がふと笑った。


「怖い顔」

「え、それ将継が言う?」

「楽しもう実咲。実咲は最初から最後までハイパーペーパークラフトを楽しんでいればそれでええから。きっとそれを望んでる人がたくさん居ると思う」

「じゃあ俺も……」

「ケントはあかん。無傷なんやからちゃんと勝って」

「ヒドッ!」


 将継の目が私の手首をとらえる。さっきから細かい震えが止まらないのに気づかれていたようだ。

 将継とケントはそんな私の手にそっと自分の手を重ねる。


「泣いても笑っても次で最後。正直俺も絵馬くん相手に100%勝てるとは言えん。ただ楽しもう!」

「今日絶好調のケント様に任せな」

「……うん、私だって負けないから!」


 ともに駆け抜けた3ヶ月。私達にはまだまだ足りない。

 ハイパーペーパークラフトを楽しむ時間が!


 もうすぐ、決勝戦の点呼が始まる。

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