Oh, Love is Burning.

「……何か忘れてるような、まあいっか」

 そう独りごちる僕を見て、人魚がきょとん、と首を傾げる。

「いや、なんでもないよ」

 黄昏時まで海で遊んだ僕達は、身体を濡らしたまま帰路についた。勿論帰りも誰かに遭遇しないよう気をつけた。

 彼女をおんぶしながら歩いていると、道路沿いの電柱のポスターに目がとまった。


 それは花火大会の告知だった。

「来週、か」

「何?」

 人魚は再び首を傾げた。

「この近くで花火大会があるんだって」

「それ、何?」


 そうか、人間の文化なんて知ってるわけないから花火大会を知らないのも当たり前か……そうだ。


 少し考えた後、こう言った。

「来週、一緒に行こうか」

 人魚は首を傾げたままだった。

 そんなこともありながら、無事に帰宅することが出来た。



 その夜。すっかり夕飯も済ませた僕はギターの練習を続けていた。今更ながら僕の部屋はちゃっかり防音加工がなされているため、ギターの音が外に漏れる心配もない。

 人魚は特に騒ぐでもなく、僕の隣に座ってギターを練習するのを眺めている。時折うとうととするが、それでも僕の様子が気になるのか、頑張って起きようとしている。さすがに気の毒になって僕も寝ようとしたら、頬を膨らませてきた。どうやらギターの練習を眺めるのが本当に好きらしい。不思議なものだ。


 ちなみに今朝間違えたBメロはちゃんと復習した。また人魚に「演奏して」とせがまれても、間違えはしないはずだ……恐らく。




 〇


 ひとくちに「花火大会に行く」と言っても、一人なら適当な服を着て、適当にぶらぶらしていればいい。だが人魚が一緒となると、話は別だ。


 まずは足。これは浴衣をレンタルして誤魔化せばいいということに気づいた。さすがに頭から足までじろじろと見るような輩はいないだろう。だが万が一そんな輩がいた時の為に、少々強引ではあるが裾が長めの浴衣にしておいた。


 次に言語。これは僕がずっと人魚と一緒にいれば問題ない。まあ、この一週間で並の小学生……いや、中学生ぐらいか? その程度には喋れるようになったのだが。難しい言葉はまだ話せない。


 前置きが長くなったが、僕は人魚を連れて海の近くで行われる夏祭りに参加している。

 砂浜に数多の屋台が展開しており、沢山の人で賑わっている。砂浜の中心には大きな櫓があり、そこから太鼓の音が響いている。沖には煙突のようなもの ── 恐らく花火を打ち上げるための機材だろう ── が沢山載せられた舟が見える。夜だというのに、月明かりが弱々しく見えるほど明るかった。

 ちなみに人魚はというと、僕の後ろで小さくなっている。

「こわい……」

「シオラ、僕がいるから大丈夫だよ」

「うう……」

 シオラは僕のTシャツの裾を掴んでいる。「シオラ」とは彼女の名前だ。由来は、僕の好きな曲の英題から。名前が無いと不便だったので勝手につけてみた。そしたら喜んでくれた。

 僕が歩き始めるに従って、シオラも後をぴょこぴょことついてきている。ぴょこぴょこといっても、すっかり完治した尾鰭を器用に動かして歩いている。元々尾鰭は頑丈らしく、尾鰭だけで体重を支えることも容易いようだ。そんな尾鰭が傷つくなんて、余程のことがあったのだろう。理由は未だに聞けていない。


 完治したのなら海に戻せばいいのでは、という指摘が聞こえてきそうだが、正直に言おう。もう少し一緒にいたい。これは僕のエゴだろうか。


 ふと、シオラが声を発した。

「あれ何?」

「ああ、たこ焼き」

「あ、タコさん入ってるの?」

「そうそう」

 すると、シオラは目を輝かせてどこにあるのか尋ねてきた。そこでシオラを連れて、たこ焼きの屋台へと向かった。

 それからはもうトントン拍子だった。

 初めて見るたこ焼きの美味しさにシオラは魅了された。食べ終わると他の屋台にも興味を示すようになった。綿あめ、焼きそば、焼きとうもろこし、などなど……食べ物ばかりだが、シオラは人が沢山いるのを忘れて楽しんでいるようだった。


 僕自身、お祭りは好きだ。いや、お祭りそのものと言うよりは、日本の文化そのものが好きだ。花火や和食、神社に浴衣……実のところ、親の住むアメリカの大学ではなく日本の大学に行ったのも、日本で暮らしてみたかったからだったりする。

 日本の文化についての勉強もかなりした。シオラに浴衣を着せたのも僕だ。さすがに女性の裸を見るわけにはいかなかったので、首元がV字になっているシャツを下に着てもらってから着付けを行った。


 閑話休題。


 今、シオラは二つ目の綿あめを頬張っている。その隣にいる僕は、財布の中身を見てため息をついていた。

「使いすぎたな……」

「どうしたの?」

 シオラが僕に問いかけてくる。眉を少し下げていた。考えていたことが筒抜けになっていたとでもいうのか。

「あ、いや、大丈夫だよ」

「そっか……ありがとうね」

 不意に投げかけられた感謝の言葉に対して、ドギマギとしてしまった。


 しどろもどろになり、上手く答えられずにいると、突然背後から声をかけられた。

「あれ……かずま?」

 振り向くとそこには、白髪の混じった黒髪の男性がいた。


 彼の名は影見 敬佑(かげみ けいすけ)で、大学での僕の友達。入学した時に同じ学部だったのがきっかけで、親しくなった。僕と同じく、この辺に住んでいる。

 日本の文化を教えてくれたのも、彼だ。


「ああやっぱり、和真か。来てたんだね」

「そうだよ、暇だったし」

「ああそうなの……ところでさっきまで一緒にいた連れの女性は?」

 そこでシオラのことを思い出した。慌てて彼女のいた方を見やると、そこには人だかりがあるだけだった。


「シオラ……?」

「し、しおら?」

 僕は顔から血の気が引いていくのを感じた。

「シオラがいない!!」

 その叫びに敬佑はビクッと身を震わせた。が、状況が掴めないながらも彼はこう切り出した。

「待て待て、そんなに遠くには行ってないはず」

「でも下半し……とにかく誰かに連れて行かれたらやばい!」

「とりあえず私も探すから、ちゃんとした特徴教えて」



 少しの時間が経った後。賑わう砂浜から外れた住宅街の入口で、僕は焦っていた。クリーム色の髪の毛を持つ人なんてそれほどいないはずなのに、全くと言っていいほど見つからないのだ。


 人とは形が異なれど、彼女の存在を実感するには十分すぎるほど時間が経っていた。故に、不安。

 今更彼女を手放す気にはならなかった。



 そこに息を切らした敬佑が合流した。

「はぁ……はぁ……いた、シオラさんいた!」

 その思わぬ知らせに驚き、目を見開く。

「防潮堤の近くにいくつかトイレあるじゃん? 祭りやってるとこから2番目に近いやつの裏に連れ込まれるのが見えた」

「ここからも近いやつ?」

「そう!」

 敬佑の言葉を聞いてすぐに、僕は走り出した。




 〇


「はわぁ……すごい」

 時は遡って、シオラは和真から一人離れてお祭りを見て回っていた。

 ふと、彼女は自分が一人であることに気づいた。どうやら彼女でも気づかないうちに体が動いていたようだ。

「あれ……和真? ……まあ、いっか」

 まだ見ぬ人間の世界への興味。ましてや、「夏祭り」というものの楽しさを知ってしまった今となっては、彼女に恐怖心などなかった。そのまま彼女は一人で散策を続けた。


「おうおう、ねーちゃん。一人か?」

 シオラは誰かに明るい声を掛けられ、立ち止まった。彼女がゆっくりと振り返ると、そこには三人組の男性らが立っていた。

 全員短髪で、絶妙にダサいロゴのついたTシャツを着ている。それぞれが髪を思い思いの色に染めており、中でもリーダー格らしき男性は金髪だった。ちなみにシオラに声をかけたのもこいつだ。

「俺達と遊ぼうぜ」

 リーダー格の隣の男性が軽い口調で言う。

「誰……?」

「そんなこと言わずにさ」

 また別の男性がそう言いながら、シオラの背後に回り、彼女の肩を掴んだ。

 リーダー格の男性が言葉を繋げる。

「いいこと、しようぜ」

「いいこと……分かった」

 シオラは、目を輝かせて彼らについていってしまった。


 シオラは人間の世界を知らなかった。だから、好奇心が人一倍あった。恐怖は、既に「夏祭り」で薄れた。普通の人間なら、明らかに怪しいこの連中についていくことはしないだろう。彼女の好奇心が、仇となったのだった。



 シオラは夏祭りの会場から離れたトイレの裏に連れ込まれた。現在、シオラは壁に寄りかかって怯えている。そんな彼女を取り囲むように、先程の三人の男がにじり寄っている。

「悪いことはしねえから、大人しくしてろよ」

 リーダー格が先程までの明るい声を反転させて、低くくぐもった声で威圧する。両隣の男性らは、舌なめずりをしている。

 リーダー格の手がシオラの着物へと伸び、無理やり剥ぎ取ってしまった。彼女はVシャツだけの格好になった。

 そこで、男性らの悲鳴が上がった。もうお分かりだろう。彼女の下半身を見て驚いたのだ。




 〇


「いた!!」

 知らない男性の悲鳴が聞こえ、そこに向かった僕と敬佑はシオラの姿を見つけた。

 早速僕は駆け寄ろうとするも、それは敬佑に制止された。

「ちょっと待って、男性が三人いる。みんなまあまあガタイがいい。私と和真でかかっても負けそう」

「でも、やるしかないよね」

「待って、私に考えがある。上手くいくかは分からないけど、もし上手くいったら君はシオラさん……の元へ行ってあげて」

 そう言うと、敬佑はいきなり駆け出した。


 彼は三人組から少しだけ離れたところまで走り、そこで仁王立ちをした。そして、叫んだ。

「おい、お前ら!! かかってこいよぉ!! 三人まとめて返り討ちにしてやる!!」

 三人組が驚いた表情のままゆっくりと振り返った。目を白黒させた後、その表情は怒りに染まった。

「てめぇ……なんつったァ?」

「さ・ん・に・ん・と・も・ってうわぁ!!」

 敬佑が言い終わる前に、三人とも急に走り出した。声にならない怒声を挙げながら、拳を構えている。

 敬佑は即座に反応し、くるりと背を向けて逃げ出した。

「うわあああああ!!」


 僕はというと、敬佑の突然の奇行に呆然としていた。四人とも、お祭りの方へと走っている。そのまま、人混みの中へと消えた。

 そこで我に返り、シオラの元へと駆け寄った。

「シオラ!!」

 シオラも、先程の僕と同じように呆然としていた。しかも、涙目のまま、開いた口が塞がっていない。無理もない、先程まで襲われそうになったのに、いきなり三人組が消えたのだ。複雑な気持ちがそのまま複雑な表情となって表れるに決まっている。

「シオラ、シオラ……良かった……」

 僕はシオラをひしと抱きしめた。まるで彼女の存在を確認するかのように。彼女は狼狽えたようにもぞもぞとしていたが、そのうち腕の中に大人しく収まった。彼女の良い匂いが、鼻腔をくすぐる。


 遠くで何かが弾ける音がした。点滅する光の感じから、花火なのだと分かった。

 夏祭りの遠い喧騒はただの雑音となり、夜の闇を照らす色とりどりの光は僕らを優しく包んだ。


 永遠より永く、彼女を抱きしめていたいと思った。

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