3 戦場

 灰色の曇天、灰色の土。


 その遥か彼方にあるは魔王の居城。


 灰色の曇天、灰色の土。ヘドロのような泥濘ぬかるみの丘を、泥まみれの火兵たちが黙々と歩き続ける。今にも崩れ落ちそうなほどに背を丸め、己の『墓石』を担いで歩き続ける。歩き続ける。


 遮るもののない荒野を、切り刻む様な冷風が吹き抜ける。


 火兵は、肉が焦げるような悪臭を常に放っている。冷風に乗ってまき散らされた悪臭を嗅ぎ取って、地平の彼方、魔王軍の動きが慌ただしくなる。


 火兵部隊は陽動である。

 火兵部隊は捨駒すてごまである。


 火兵部隊が魔王軍の主力と激突する間、勇者達が魔王城に潜入し、魔王と直接対決する作戦である。


 こちらの数倍の規模の魔王軍。だが火兵たちの行軍はむしろ加速する。湿地のぬるく湿った空気を引き裂くように、火兵たちはその身から火花を散らしながら疾走し始める。


 いくさいくさだ。


 ころせ。ころせ。ころせ。


 大量の火の粉を置き去りに、群体を伸び縮みさせながら、火兵部隊が敵軍に肉薄する。一人一人のかおが、狂気に染まる。急激に膨れ上がった魔力の横溢おういつ。兵士たちの瞳が怪しくくれないに輝いている。


 魔王軍の魔術師が火兵に向かって魔法を放つ。刹那、進行方向の地面が大きく崩れ崖と化した。


 火兵は止まらない。


 火兵たちは跳んだ。常人の限界をはるかに超えた距離を飛び越える。


 魔王軍のオーガたちが、巨大な投げ槍を手に前線に出る。凄まじい膂力で投げ込まれた無数の槍が、跳躍中の火兵たちを次々と貫き、撃ち落としていく。


 火兵は止まらない。


『墓石』を使い攻撃を逸らし、あるいは同僚を踏み台にしてさらに跳躍し、次々と着地する。


 両軍の激突。


 赤熱した火兵の重槍が、いわおの如き鬼の胸板をたやすく貫く。常人では持ち上げることすら困難な『墓石』を構えたまま、火兵たちは恐るべき速度と膂力で、魔王軍を蹂躙する。


 敵の槍が、火兵を貫く。

 敵の剣が、火兵を貫く。

 敵の呪が、火兵を貫く。


 先陣を切った火兵の小隊…もはや霊薬すら効かなくなった最古参の連中…が、ついに足を止めた。幾多の槍に貫かれた身体。それでも火兵は血まみれのかおわらう。


 火兵たちが同時に、『墓石』を地面に突き立てた。


 ―奴らを止めろ!


 魔王軍の誰かが叫ぶ。


 爆発。

 閃光。


 同時に自爆した火兵たちが、命と引き換え解放した莫大な魔力。一瞬で戦場が灼熱の地獄と化し、周囲の敵兵を薙ぎ払う。


 焦土と化した一帯には生者はいなかった。残ったのは立ち並ぶ『墓石』のみ。主を失った、赤熱した『墓石』が魔力を含んだ燐光をまき散らす。


 魔力の燐光を浴びた―死者の遺産を受け継いだ生き残りの火兵は、さらに強化された身体と魔力で、敵兵への暴虐を加速させる。


 爆発。

 閃光。



 ***




 シグは、戦場をはしる。


『墓石』を構え、戦場をはしる。


 火兵として戦場を渡り歩き、どれほどの時が経っただろうか。もう考える気も起きない。同僚などとうの昔に死に絶えた。彼らの遺品は、霊薬が充填された注射器シリンジだけだ。


 凄惨を極める戦場。火兵たちは狂ったように戦い続ける。灼熱の頭脳は思考することを拒否し、ひたすらに敵を殺す動作を要求し続ける。


 だれに騙されたのか。

 だれに裏切られたのか。

 だれを憎んでいたのか。

 なぜ自分はここにいるのか。


 おれは何なんだ。


 崩壊寸前の肉体。溶け去った理性。一つだけ残ったのは、絶叫。


 不条理な世界への絶叫だ。

 不条理な神への絶叫だ。


 努力を怠らなかった者。

 人に優しく接してきた者。

 愛する人を守ると誓った者。


 ただ善良であろうとした人々でさえ理不尽な運命に巻き込まれ、ここにいる。自分を規定していたと思っていたもの全てが剥ぎ取られる。むき出しの魂。


 憎しみではない。

 怒りではない。

 悲しみではない。


 いかなる言語でも言い表せないが、激情が渦巻いている。絶叫する。


 絶叫する。戦い続ける。

 絶叫する。戦い続ける。

 絶叫する。戦い続ける。


 絶叫。

 絶叫。

 絶叫。


 シグは、戦場をまっすぐに駆け抜ける。


 立ち並ぶ『墓石』を通り過ぎるたび、前任者たちの魔力を受け取るたび、シグは加速する。


 周辺の景色が流れる。『墓石』たちが、火兵たちの墓標が、急速に遠ざかっていく。


 魔王城の巨大な城門。破壊されている。おびただしい魔族の死体。刀傷かたなきず。奴か。


 シグは加速するまま瓦礫を死体を跳び越え、城内を奔り続ける。


 あの向こうに。


 勇者ヤツがいる。

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