スリーピー・ヘッド

 あの日から、眠れない夜を過ごしていた。


 いつか切り出そうと思っていた言葉を口にした、あの別れの日から。


 「君は僕だけのものだ。だから、ずっと僕のことを見ていてほしい!」


 告白の台詞から、独占欲の強さは窺えた。


 でも、あそこまで束縛され悩まされる事になるとは、思ってもみなかった。


 「自分の悪い所は直す。だから、もう少し時間をくれないか!」


 そう強く引き留めようとした彼だったけど、私の疲れきった顔を見て、到頭諦めたのだ。


 そして私は、彼との生活から解放された……はずだった。


 「あのう、先輩……なんか最近、元気なくないですか?」


 ある日職場で、隣にいる後輩のマミが声をかけてきた。


 「そう……かな? そう見える?」


 「はい、ひょっとして不眠症とかですか?」


 「そうかもね……。前から眠れる方ではなかったんだけど、ここにきて一段とね」


 「ふーん、大変ですね」


 そう言うとマミは、再びブラウザに目を戻した。


 そこで終わりにするのかよ……と、心の中で呟いた時、彼女がまたこっちを向いた。


 「専門店、デパートにありましたね」


 「は? 専門店? 何の?」


 「枕とかマットとかの専門店です。自分に合ったのを、オーダー出来るんですよ」


 「自分に合った……」


 仕事が終わると、私は早速マミに教えてもらったデパート内の店舗に向かった。


 表示された店名から、枕専門店かとも思ったが、マミの言う通り他の寝具も取り扱っていた。


 取り敢えず私は、自分用の枕を作ってもらうことにした。


 「高さが……合ってなかったのかもしれませんね。まずは高さから調整しましょう……ふぁ」


 落ち窪んだ目の中年の店主が、欠伸を手で抑えながら言った。


 その様子を見て内心不安になったが、完成した枕に頭を乗せると、思わず安堵のため息が漏れた。


 「寝心地はどうです?」


 「すごい……本当に今までのとは違いますね。これでもう、安心して」


 思う存分眠れる……はずだった。


 「先輩、まだ眠れないんですか?」


 ある日職場で、マミがタイピングをしながら声をかけてきた。


 「うん……マイ枕はいい感じなんだけどさ。何か足りない感じもするんだよね。うまく言えないけど」


 「じゃあ、他のも試してみます? マイマットとかマイ鼾とか」


 「そうだね。値段も良心的だったし……マイイビキって何?」


 「……置いてありませんでしたか? お店に」


 そういえば奥の飾り棚に、目を惹く袋が幾つか置いてあったな……。真っ白い紙製ので、口には真っ赤なリボンが結ばれていた。まるで……。


 「先輩、限界来てません?」


 「は? どういうこと?」


 「もう、真っ赤ですよ目。最後に寝たのいつです?」


 「ごめん、これ違うの。去年のクリスマスを思い出して。それよりその……」


 マミから一通り話を聞いた私は、仕事が終わると再びデパートに向かった。


 「いらっしゃい。ああ……先日はどうも……ふぁ」


 店主が、相変わらずの調子で私を迎えた。


 「どうですか、枕の具合は?」


 「はい、寝心地はとてもいいんですが、まだちょっと……それで、他のも試してみようかと思いまして」


 「なるほど。じゃ、鼾になりますね」


 「お……あ、はい」


 店主の返しは、少し予想外だった。だが彼は、戸惑っている私を尻目に話を続けた。


 「枕や布団で駄目な場合はね、大体鼾袋だって決まってるんですよ。特にお客さんのような若い女性はね」


 「イビキブクロ……」


 「はい。こうなればね、鼾も立派な寝具ですよ」


 店主はいつの間にか手にしていた、その鼾袋のひとつを私に差し出した。


 「今はまだ宵の口だから、何も聴こえてきませんけどね」


 「確かに鼾も他の商品と同じく、眠りに関連があることはわかります。で、使い方は?」


 「寝しなに枕元にでも置いてみてください。中から音が響いてきます。そしたらきっと、誰かが隣で眠ってくれているような気持ちになり、安眠出来るでしょう。一度試してみてはどうですか?」


 渡された袋の端には、小さく"視聴品”と書かれていた。


 「その袋には工場で作られた、平均的な成人男性の鼾音が詰められています。そこからオーダーされた方に合うように、高さ調整をするんです。音のね」


 「そういうこと……。ただ、気になる事がひとつ」


 私は飾り棚の前まで行き、それぞれの袋に付けられた値札をまじまじと見た。


 「やっぱり、桁がひとつ違う」


 「そうですね、まだ技術的に大量生産出来るだけの物ではないので。もし差し支えなければですが、中古の品も用意出来ますが」


 「中古?」


 「はい、買い取りもしてるんです。ただし天然物の鼾は、高さ調整は出来ませんが……」




 こんな事ってあるんだ……。まさかまた聴けるなんて運命……だよね、きっと。


 今思えば、枕の高さにも原因があったんだろうなあ。


 「自分の悪い所は直す」か……。別れを切り出す一因にもなったから、売ったんだね。


 ああ……本当にあなたが隣で寝てるみたい。


 調整なんて必要ない、これこそ自分にあった鼾。ほら、もうこんなに眠くなってきた。


 もしかしたら、私が売ったアレも……。




 ああ……袋から聞こえるのは、紛れもなく彼女の……まさかまた聴けるなんて、運命…だよな。


 今思えば、枕の高さにも原因があったんだろうなあ。でも今夜は安心して眠れそうだ。


 この、中古の歯ぎしりのおかげで……。




 (了)

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